外篇 大正ヱトセトラ奇譚

独一焔

巻の壱 判道愉景 ────明治

 私は判道愉景ばんどうよしかげ


 かつての師から独立し、自らの流派を作り上げたのが三十年前。

 以来私は、真理へ至るために研究を重ねていたのだが……。


「糞っ! こんな物では足りない!!」


 実験器具を机から払いのける。フラスコの割れる音が耳障りだ。

 中には有害な物も貴重な物もあるがそれがどうした。


 私の研究の前では等しく汚物に過ぎない。


 ああ糞、何もかも足りない……。

 金も時間も理解者も! 私には! あまりにも足りない!!


 金があれば良かった。生活など気にせず、思考を全て研究に費やせる。


 時間があれば良かった。今の私は老人だ。先などたかが知れている。


 理解者があれば良かった。家内は非協力な上に、子はおろか弟子もいない。


 何故だ!? 私は今まで完璧で、天才で、必ず世界に名を轟かせる心理を見つけ出せるはずだったのに!

 ……なんだ、この体たらくは? 我ながら無様極まりない。


 ああ、師の言葉を思い出す。


『神童も二十歳過ぎればただの人、とはよく言ったものだ。愉景よ、お前には無理だよ』


「ああああああああああああああっ!!」


 黙れ! 黙れ! 黙れぇっ!!


 感情の高ぶるままに頭を掻き毟る。今は、この落ちる白髪さえ腹立たしい。


 せめて、せめて時間が……。

 金も、理解者も、いずれは時間が解決してくれるに違いない。

 だが今、その時間が一番足りないのだ!


「誰か私を、私の時間を延ばしてくれ……」


 叶わない願いが口から漏れる。これも悪い癖だ。つい心象を吐露してしまう。

 ……しかし、今回はそれが救いとなった。


「ボクが、その願いを叶えてあげようか?」


 背後から聞こえる少年の声。それを現実と認識するのに、僅かに時間がかかった。


「誰だ!?」


 振り返ると、思わず息を吞んだ。


 雪のように白い髪と、血のように鮮やかな赤の瞳。

 こちらを見つめる瞳には慈悲があり、その笑みは菩薩の如く。


 一目で分かった。──彼は、人間より完璧な存在だ。


「君のように、年老いた錬金術師を見たのは久しぶりだからつい声をかけてしまったよ。君達の歳だと、異国との差に苦しんで止める人が多かったから」


 彼の言う通りだ。昔鎖国が解かれ、異国の錬金術を知った我々は愕然とした。

 我々がこんな小さな島国で無様に足掻いている間に、異国は百歩も先を進んでいた。


 幕府は愚かな選択をしたものだ。今さら、こんな技術に追いつけるはずがない。

 周りの人間も、身の程も知らず追いつけると信じている。頭のおめでたい奴らめ。


 だから私は、今すぐに日本独自の錬金術を作り上げなければならないと何度も主張したのに……。


「でも心配しなくていいよ。ボクが君に無限の時間をあげる。老いず、病まず、朽ちる事無い身体を。君達人間って、そういうものが欲しいんだよね?」


 ああ、神よ! 今まで信じていなかったが訂正しよう! 彼こそが神だ!!


「ほ、欲しい! 教えてくれ! どうすればいい!?」


 私はみっともなく彼の足元に縋った。だが彼は一つも嫌な顔をせず、こんな老いぼれの私に手を差し伸べてくれた。


「いいよ。教えてあげる。これで今日から、君も『不死者』だ」


 彼に教わるがままに術式陣を書く。

 その中に入り、煌めく金を思い浮かべた。


 金と同化し、己が金となる。金とは完璧であり、ならば金となった私もまた完璧だ。


 身体が造り替わる。不完全な人間の部分が消えていく。身体が万能感に充ちていく。


 これはそう、快感だ。人間が一生をかけて得るであろう快感を全て合わせても、永遠に至れない快感。


「あ、あ、ああああぁ……」


 恍惚の声を上げる。しばらくすると、その声が若く聞こえる事に気が付いた。

 しわがれた老人の声ではなく、若く活力に満ちた青年の声。かつての私の声だ。


 それを自覚すると同時に、手や顔にあった皺が消え、曲がった腰が伸び、活力も戻っていく。


 全てが終わった頃には、私は若かりし頃の姿を取り戻していた。


「こ、これは……」


「へえ」


 その私を見て、彼は感嘆の声を上げた。


「……興味深いな、そこまでの変化を見せた人間は初めてだよ」


「は、はは……」


 私は自然と笑みが込み上げてきた。かつて抱いていた全能感が脳を駆け巡る。

 これで、私は真理に──。


「それじゃあ、ボクはもう行くよ。どうか、楽しんで」


「ま、待ってくれ!!」


 去ろうとする彼を引き止める。


「何?」


「せめて、貴方の名前を教えてくれ!!」


「名前? うーん……」


 少し考える素振りをした後に、彼は最初の笑みを浮かべながら言った。


透無虚鵺とうむからや。原初の不死者だよ」


 彼が名乗った瞬間、吹き荒れる風が家の中を蹂躙した。研究書の紙が舞い上がり、その姿を隠してしまう。

 程なくして、彼の姿は夜の闇の中に消えてしまった。


「…………」


 現実離れしたその光景に夢かと疑ったが、他でもない私の身体がそれを否定していた。


「あ、貴方……誰です!?」


 大声に振り向くと、そこには家内がいた。

 ただでさえ老いさらばえて醜い顔が、驚きの表情で更に歪んでいる。

 ……何故か、胸に侮蔑が込み上げてきた。


「うそ……」


 灯籠で私の顔を照らした家内が絶句する。無理もないだろう、そこにあるのは若かりし頃の旦那の顔。驚かない方が可笑しいというものだ。


 ……だが、それがどうした?


 胃が湧き立つほどの怒りが頭を支配する。こうして若返り不死となった以上、この醜き老婆に縛られる必要などあるのか?

 ……いいや。


「え、あ、……がはっ!?」


 それが自然の流れであるかのごとく、私は家内の首を絞め上げていた。

 家内の爪が私の腕を引っ掻くが、血が滲む前に傷が消えていく。

 私は、本当に不老不死となったのだ!!


 歓喜に打ち震え、私は更に家内の首を強く絞めていく。

 だが気まぐれに少しだけ緩めてみると、


「いやあああああああああああ! 助けてええええええええええええええええ!!」


 耳をつんざくような絶叫を家内が上げた。

 その喉の震えが掌に伝わる。

 ──ぞくり、と背中に何かが走った。

 悪寒ではない。恐怖でもない。例え家内が永遠に叫んでも、ここは人里離れた小屋だ。どうせ誰にも聞こえない。


 なら、なんだ? この感覚は?


 それを知りたくて、私は何度も何度も手の力を込めたり緩めたりした。


 目の前の老婆は絶叫と悶絶を繰り返すが、次第にその力が弱くなる。そして、十回目に力を込めた時。


 だらり、と腕が落ちた。顔が青い。何度か揺さぶっても返答がない。

 ……死んだ、のか。


 老婆の死体を捨てる。既にあの時の興奮は無い。どうしてか考えると、一つの可能性に辿り着いた。


「……悲鳴だ」


 死に晒された者の、断末魔。

 それが私をこんなにも興奮させる。


「試さなければ……」


 一度の結果で全てを知る事は出来ない。

 研究は回数を重ねる事で、ようやく確実な結果を得られる。

 そうと決まれば相手を選ばなくては。


 男は駄目だ。力が強い。不死者であるから例え反撃されようと構わないだろうが、抵抗されるのは面倒だ。


 老人も駄目だ。先程、私のこの興奮を呼び覚ましたのは目の前にいる老婆だが、何だか少し物足りない気がする。

 もう少し長く生きられる者が欲しい。


 女ならどうだろうか? 特に、若い肢体はさぞかし絞め甲斐が……。いや、絞めるより効率的に、そして長く悲鳴を聞ける殺し方はないだろうか?


 長考に長考を、実験に実験を重ねた結果、私はとある結論に辿り着いた。


 少女の身体を、足から徐々に削っていく。これほど甘美で最高の悲鳴は無い!!


 結論に辿り着いた後は楽だった。

 私は段々その行為にのめり込んでいく。

 真理? 最早そんなものはどうでもいい。もっと悲鳴を! もっと悲嘆と絶望に充ちた声を!!


 私は顔を変え、居場所を変え、様々な場所で行為を重ねた。

 私の顔で落とせない少女はいなかったし、周りの人間も、まさか品行方正な私がこんな行為に耽溺しているとは思わないだろう。

 それでも、偶然知ってしまった者はいる。もちろん漏れなく殺した。正体を暴かれてはいけない。

 こんなにも愉しい事を、つまらぬ凡人共に咎められたくはない。


 それに、噂で不死者を殺す組織があるとも聞いた。

 不死の者を殺すなど矛盾に満ちているが、気にした方がいいに越した事はないだろう。


 そうして殺した少女の数が合計四十五人を超えた頃。時は大正時代。私は名もなき村に洋館を立てた。

 手始めにここで十人は殺そう。ああ、腕が鳴る。


 適当に恩を売ってやると、村人共は随分と喜んだ。単純な奴らめ。

 中には才能が無いにも関わらず、愚かにも錬金術師を目指しているという少年もいた。

 必要ない本を戯れにくれてやったが、すぐに諦めるだろう。


 そこでも、全てが順風満帆に行くはず……だった。



 数年後、あの復讐鬼が来るまでは。



 大正アルケミスト復讐譚 第一話に続く

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