至極の騎士

リーデッド・ロアルは地方に暮らす農民の元に生まれた。農耕を営む両親にとってリーデッドを生んだのは労働力のためだった。リーデッドは幼少期から両親を手伝い野を耕した。朝から晩まで休むことなく働くのは身体が応えたが、それに対して特に不満を抱かなかった。リーデッドにとってそれは当たり前のことだった。

 ある時、酒に酔った母が上機嫌に聞かせたある童話が、リーデッドの心に深く響いた。その童話の主人公は騎士だった。騎士は主君である姫を守るため、剣を振るった。どれだけ恐ろしい魔物が相手でも騎士は退かず、勇敢に立ち向かい勝利する。そして最後は主君である姫と結ばれた。


 現実ではない只の空想。それでも何故かリーデッドは憧れた。姫を守る騎士のような存在になりたいと漠然とした夢を持った。


14の時家を出るよう言われた。リーデッドは次男だった。家督を継ぐ長男が妻と子供と暮らすために家を空けて欲しいという。代わりにお前は牛舎の傍にある納屋で暮らせと言われた。リーデッドは故郷を発った。


 行くあてはなかった。だが食うあてを探さなければいけない。昔、自分の故郷に訪れた吟遊詩人から聞いた話を思い出した。ある都市には魔物が闊歩する迷宮があり、そこでは多くの冒険者たちが協力し、魔物を打ち倒して行く。出自も身分も関係なく、力あるものが成り上がる場所。その都市の名はダイバースという。胸に潜んでいた騎士への夢が、静かに燃え上がるのを感じた。


意気揚々と飛び込んだリーデッドを迎えたのは想像とは幾分か違う世界だった。


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眼前に転がる死体とすぐ近くにある生首。ローブから外れたその顔は思っていたより壮年のものだった。


ゲント・ランパードは両手から剣を落とすと、両膝をついた。


 結局標的を殺すまでにかなりの傷を負った。指も手首の骨も元どおりにはならないだろう。自分の身が可愛いわけではないが、今後の仕事に支障が出るかもしれない。

おまけに長らく使っていた剣もダメにしてしまった。刀身にはヒビが入り、大きく欠けている部分もある。いつもの商人に売りつけて見ようかとも考えるが、間違いなく足元を見てくるだろう。


兎にも角にもまず指を治さなければ。病院に行く金は無い。なので自力で治す。

折れた指を地面にあてがう。正しい方向を意識しながらもう一つの手のひらで地面に押さえつける。肉のねじれる感覚と共に指が一本、正しい方向へと戻る。


「……」


 痛みはあるが慣れた痛みだ。あまり間を置かず2本3本と続けていく。それをいくつか繰り返して、指を治した。

 一つ深い息を吐いて、リーデッドの亡骸を見る。

 残品を漁る為に死体に近づく。いつもと変わらないその工程に何故がひどい失望感があった。

こちらを射抜くようなあの目。掃き溜めにいる自分達が捨ててしまったあの眼差し。何故それを持つに至ったのかは結局分からずじまいだ。それほどに呆気なくリーデッドは死んだ。戦いの最中にあった高揚感はもうなくなっていた。

 フードを剥ぎ取り、鎖に手を掛けたところで、ゲントは異変に気付いた。

 鎖が消失していない。

 リーデッドとの綱引きで抜き取った鎖も、両腕に装着されている鎖も何ら変わらずある。だが胴体から首のなくなったリーデッドは間違いなく死んでいる。

だとするならこの現状は何なのか。ゲントは鎖はスキルの産物だと考えていた。故に使用者が死ねばこの鎖も消えるものではないのか。あるいはゲントが知らないだけで、スキルというのは本来そういうものなのか。

 答えの出ない疑問に囚われそうになったとき、ゲントは視界に動きがあったのを認識する。

 鎖がひとりでに動いた。


「……ッ!」


 ローブを剥ごうとしていた右手を引っ込める。慌てて死体から距離を取った。鎖が動くということはやはりリーデッドはまだ死んでいないのだろうか。だが彼の死体は指一つ動かず、またその素振りもない。なにより鎖の動きはひどく弱々しいものだった。

ボトリと、残された死体の両腕から2つの鎖が抜け落ちる。そしてゆっくりと移動を始めた。鎖の一部を縮めては伸ばし、這って進む。さながら芋虫のように。


「……」


 警戒すればいいのか、剣で切ればいいのか判断のつかないまま鎖は進む。振り返ればゲントの抜いた3本目の鎖も鉄の擦れる音を響かせながら前の二本と同じように移動している。

ゲントはその光景をただ呆然と見ていた。そして鎖の移動を追いかけるために、距離を開けて歩き出す。

標的は倒したのだ。ならば放っておけばいい。だが今回はそうしなかった。未知のものを見つけた好奇心もあったが、その鎖の行進が、なんだか必死で哀れなようにも見えたからだ。

 鎖はずいぶん長く移動し続けた。といっても鎖の移動速度はゲントからすればすぐに追いつくものだ。見失うことなくゲントは鎖を静かに追った。そして一つの廃屋の前にたどり着くと、鎖達は壁に空いた小さな亀裂から廃屋の中へと入っていった。ゲントは正面にあるドアを押して中に入る。誰かが盗み取ったのかドアノブは既に無かった。

 廃屋はどうやらもう使われなくった古いホームのようだった。木造りのそれはどこもかしかも腐り果てている。穴だらけの床を踏むと大きく軋んだ。これでも裏通りにしてはまともな部類の建物だ。こういった場所には大抵ねぐら目当ての物乞い達がいるのだが今は見当たらなかった。もしかしたらこれまでにリーデッドが物乞い達の住処にならないよう、追い払っていたのかもしれない。そのままゲントは先程廃屋に入っていった鎖を探す。床板の擦れる耳障りな音のおかげでそれはすぐに見つかった。鎖たちは部屋の隅まで進むと床板に空いた一つの亀裂に静かに落ちていった。

 ゲントは腐った床板を踏み抜かぬよう注意しながら、その位置まで移動した。そして目の前にある床の模様に違和感を覚えた。鎖の落ちた亀裂の少し手前に、他の床板とは別の木板がはめ込んである。ゲントはひび割れた剣の先端をそこにはめ込み、蓋を開けた。

 蓋の下には床の岩石を真四角で掘り抜いたような深い穴が空いていた。人一人が入れるかどうかの大きさだ。穴の一辺には指が掛けられる小さな隙間が彫られ、それが連続して下まで続いている。


 ゲントは穴の梯子を伝って底の見えない地下へと降りていった。ふと、自分でも何故こんなことをしているのだろうと思ったが、降りる動作は止めなかった。

 しばらくそうすると、岩の底に足がついた。大した深さではない。梯子の先には一本道の通路だけがあった。岩を乱暴に掘り抜いたような狭い通路の先には仄暗い明かりが漏れていた。


ゲントは頭をぶつけぬよう、這って通路の先へと進んだ。奥に見えた僅かな明かりは段々と強くなり、明かりの漏れ方から、この先に開けた空間があることを窺わせた。ゲントはそこまで這い出ると部屋を照らす弱々しいランタンとその奥に佇む存在を確認した。

一段二段と重ねられたように掘られた岩版の上に華美な赤布が敷かれている。布の上にはボロ布を纏った少女が気怠げな姿勢で座っていた。だがどうにも様子がおかしい。

 少女の皮膚は岩のような灰色でその全身がひび割れている。ひびからは灰とも砂とも呼べぬ粒がこぼれ落ちている。ひびの他にも身体の至る所に小さな鎖が、蛆のように垂れていた。目は閉じられ呼吸をしているかどうかも分からない。ゲントも医学には詳しくないがこんな病状の人間は不潔が蔓延る裏通りでも見たことがない。

 ゲントはふとこの少女が人間ではないのかもしれないと直感で感じた。

 ゲントがそのまま突っ立ていると少女の横に開いた小さな亀裂から鎖が這い出てきた。赤錆の肉厚な鎖、先程床板から落ちていったリーデッドのものだろう。

 鎖は少女のそばまで近づくと、少女の皮膚へと吸い込まれていった。鎖を吸い込んだ少女のヒビは薄れ、浅く呼吸を始めた。

リーデッドの捕食の意味と奇異なスキルの正体をゲントなんとなく悟った。


 恐らくリーデッドはこの少女の為に人狩りを繰り返していたのだろう。親鳥が雛に餌を与えるように。鎖が人から吸った栄養をこの少女に与えていたのだ。リーデッドの燃えるような使命感の正体はこの少女だったらしい。


 少女が突然目を見開いた。しかしそこに目はなく空洞の闇しかない。少女はゲントに向けてゆっくりと手を差し出す。その手からは肉厚の鎖が垂れていた。

 恐らくこの手を取れば鎖はゲントに入り込み、リーデッドのような鎖の力を得るのだろう。そして彼女への献身が始まるのだ。弱きものへと強きものが施しをするように。


ふと、ゲントはダイバースで暮らす以前の記憶を思い出した。まだ使用人として働いていた頃の記憶だ。複雑な出生を持つゲントは他の使用人達から好奇の視線を向けられていた。その為ゲントは休憩の時、人の少ない書斎によく足を運んだ。読書は別段好きではなかったが時間潰しの為にいくつか本を手に取った。その内の一つに寄生虫を取り扱ったものがあった。人、犬、狐、魚。多種多様な宿主に取り付く寄生虫の中で目を引いたのは蝸牛の寄生虫だった。その虫は鳥の糞を食らった蝸牛の中で孵化し、成長すると蝸牛の触覚へと移動する。視界を奪われた蝸牛は明かりを求めて動き回り、最後は鳥に食われてしまう。そして鳥の出した糞をまた新しい蝸牛が食うのだ。


おぞましい。それが本を読んだ時にゲントが抱いた感想だった。今もまた、あの時と同じ思いを抱いている。眼前の少女が手から垂らす鎖が蠢く蟲に見えてくる。リーデッドの抱いた思いは果たして本当のものだったのだろうか。少女から鎖の力を与えられ餌を探しにあちこち回る。貯めた命を主に献上し、また餌を探し回る。そんなもの体のいい道具ではないか。

 この鎖はただの寄生虫だ。寄生者を従順な餌の調達者に変貌させてしまう。そして寄生者は餌の調達こそが己の使命だと植え替えられてしまう。


鎖の少女は媚びるようにゲントに手を向ける。空洞の目を見開き、有無を言わさぬように。


「……」


少女の手を払い除け、そのまま蹴り飛ばす。打ち付けられた少女の体に更にひびが広がった。だがそちらには目もくれず、岩の上に敷かれていた質の良さそうな赤布を取り上げる。赤布には細かい刺繍が施されていた。リーデッドが殺した人間から奪い取ったのか、あるいは漁った金でわざわざ買ってきたのだろうか。蹴り飛ばした少女は呻きとも泣き声とも取れぬ唸り声を上げる。それを無視してゲントは踵を返した。狭い通路を抜け梯子を登り、何もなかったかのように蓋を閉める。廃屋を出て自分のねぐらへと足早に向かった。胸中には何故か怒りと失望が広がっていた。


赤布には、ろくな値段が付かなかった。










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