ある標的

ゲントは冒険者と戦うとき、決して真正面から挑まないようにしている。酒と女を使って判断力が鈍った所を狙うのだ。だが今回は違う。


例の鎖使い、リーデッドは今までのようなゴロツキたちと違い、相手を殺すことを第一にして動く。酒や女などの搦手は通用しないだろう。


だから目的に合ったエサを用意することにした。


ゲントはゴミだらけの広場で汚布を上から被りながら、来るべき瞬間を待っていた。


日雇い冒険者や物乞い達などはこのダイバースの裏路地には数えきれないほどいる。総じて彼らは一日を乗り越える金すら怪しい。だから多少の駄賃を吊るせば食いついてくるものが殆どだ。


たったったっと、規則的な靴音がする。遅れて響く金属が擦れ合う不快音。


今朝方、ゲントはできるだけ若く健康そうな人間を探しにギルドに赴いていた。そして該当した者を見つけると駄賃を対価にある仕事を手伝ってもらうことを掲示した。仕事の内容はこちらが渡した服装に着替え、指定した区画をぐるぐると回ること。それを聞いた若者は一瞬、不可解そうな顔をした。だが他の人間に頼むと伝えると逃すまいと食いついた。まともな衣服と金まで手に入るのだ。若者にとっては破格だろう。

命に釣り合うかは分からないが。

今回エサにするのはこの若者だ。鎖使いは標的を殺した後両手の鎖で死体を刻み始める。肉片すら残さないこの光景をゲントは「捕食」と名付けていた。捕食には1、2分かかるようでその間鎖使いの攻撃手段は封じられている。隙を狙うならこの捕食中しかない。


正面から戦わず不意をつく。工程は変わろうといつもの作業と相違ないのだ。


追いかけられていただろう若者が細道を飛び出しゲントの潜む広場に現れる。そうして助けを求めるように辺りを見回し始めた。若者にはゲントの居場所を教えていない。あくまで指定の時間まで巡回したのちに金を手渡すとしか伝えていないのだ。どのみち助けるつもりもないが。彼には最後まで仕事をしてもらう。

困惑の表情を浮かべながら若者は来た道を振り返る。そして背後に垂れる鎖に気づくことなく、吊るされた。

若者は必死にもがくが、足が僅かに地面を蹴るだけだ。しばらくその動作を続けて若者は動かなくなった。


 ここからが本番だ。


手元に置いていた両刃の手斧を固く握る。昨日商人から買い取った物だ。商人と言っても取り扱っているのは工房からおろした正規品ではない。その全てが盗品や死体漁りから入手した物で成りなっている。

そのためほとんどの武器に血や汚泥が付着し、刃こぼれや錆などが目立つが、代わりに

安い。

ゲントには金がない。高レベル冒険者や有力ギルドに所属する者たちの多くは「オーダーメイド」の武器を持つらしい。特定の火事工房と専属の関係になり、自分専用の武器を鍛治師と共に作り上げていくのだ。無論金はかかる。だから大抵の冒険者は市販の武器を使う。オーダーメイドには見劣りするがこちらも十分な性能を持つ。それすら買えないものはゲントのように各々で調達するしかない。


手斧の柄には「ロイン」の文字が刻まれている。鍛治師の銘か、持ち主の名前だろう。大方小銭稼ぎのためにパーティーメンバーが売ったのだろう。

冒険者の使用する武器は所属するホームから支給される。私物ではない以上、いくつかの制約が存在する。街中での帯刀の禁止、ダンジョン内での私的な利用の禁止、そして利用者本人が死亡した場合の返却義務。最初の二つは兎も角、3つ目に関しては本人に向けた決まりではない。パーティーメンバーやそのホームに所属する者に課せられたものだ。だがどれだけの冒険者がそれを遵守しているのか。


結局はガワだけなのだ。

酒を交わし、背中を預け合い、夢を語らう冒険者達。だがその節々に底の浅い、がめつさが見受けられる。


手斧に入った大きなヒビを撫でる。精神を落ち着かせる。雑念が多い。これまでと毛色の違う標的に浮き足立っているのだろうか。


一拍、呼吸を置く。緊張も恐怖も必要ない。殺気を乗せずに俯瞰の視野を保つ。これまでと同じように。


宙吊りのまま放置されていた若者の死体が、ゆっくりと降ろされた。それに続いて鎖使いが姿を現す。


ゲントは汚布越しからそれを観察する。


視界に映る鎖使いは若者の死体をじっと眺めている。これから標的が捕食を始めしだい、仕掛ける。ゲントは右の手に握る手斧を強く意識した。

だが予想に反して一向に、標的は捕食を開始しなかった。

そして、周囲を伺う素振りを見せる。


……勘付かれたか?


若者にはなるべく異なる細道を経由して移動するよう指示した。裏路地に迷い込んだ平の冒険者を装うように。その演技を看破されたのか。

あるいはゲント自身自覚していない殺気や視線を奴が感じ取ったか。


深く考えを巡らそうとして止める。気づいていようがいまいが殺すことに変わりはない。今回の準備金に元から余裕のなかった資金は底をついた。奴を倒し、報酬を得ねば自分が飢え死ぬ。


仕掛ける。ゲントが汚布をどかし、飛び出そうとした瞬間。標的が死体に鎖を這わせた。

半端な体勢でゲントは動きを止める。急な制止に姿勢を崩しそうになるが、堪える。焦る必要はない、冷静に頭の中でこれからすべき動作を反芻させる。鎖は若者の死体にまとわりついていく。それはゆっくりと回転しながら全身に広がる。標的の両手から延びる鎖が死体の全身に達していく。金属の軋む不快音と共に血の滴りが鎖から溢れる。

捕食が始まった。


物陰から飛び出す。勢いを殺さず標的を見やる。右手に握る手斧をしっかりと感じながら、踏み込みと同時に全力で振りかぶった。


手斧は勢いよく回転しながら標的に迫り--


すんでの所で半身をずらして躱された。


両刃の斧は標的の真横を通り、壁に突き刺さる。


「……」


驚きも、衝撃もいらない。


踏み込みの姿勢から間を置かず全力の疾走に繋げる。腰から剣を抜く。「セーロスの直剣」はゲントが長年愛用する武器だ。

こちらに気づいた標的と視線を交わす。目深に被った赤いローブのせいでその表情は伺えない。

真正面から素早く間合いを詰める。直権を両手で持った左下からの斬り上げ。

鎖使いは両手の鎖でそれを防ぐが、その動作はぎこちない。敵の両手の鎖は死体と繋がったままだ。予想通り、捕食中は両手の鎖はまともに使えなくなるらしい。虜囚のように手は塞がり、死体の重しが動きを阻害する。

初撃は躱されたが、利は依然こちらにある。


横への斬りはらい、逆方向への返し。右上から左への斬りおろし。


確実に着実に敵を裂いていく。スキルを持たないゲントでも剣は扱える。流麗でなくとも敵は殺せる。


攻撃の合間に標的は確実なガードで急所を避けている。死体の捕食は中断できないようだが、それもいつまで続くか分からない。死体を食らいつくし、両手が自由になれば、形成が容易に傾くこともありえる。焦る必要はないが急ぐ必要はある。

左上から両手で剣を振りかぶる。標的はその先の軌道を見据えて、受け止めるべく両手の鎖を構えた。敵は今左上からの渾身の斬り下ろしに備えている。それを利用する。

ゲントは構えを崩して素早く標的の右側に抜けていく。相手の構えた防御の対角線に位置する場所にだ。

察知した標的は素早く振り返ろうとした。だが動きが阻害されている向こうよりもこちらの方が早い。ゲントは固く握った直剣を敵のわき腹に深く差し込んだ。


両手に広がる硬い感触。そして響く不快な金属音。およそ人体を斬りつけた時とは違う、鉄の塊を切ったかのような痺れ。


ゲントの突きは標的の鎖に防がれていた。両手から延びたものではない、三つ目の鎖。剣で裂いた赤いローブの下からは肉厚の鎖が生えていた


その光景を見て失念に気づく。これまで自分は両手の鎖にばかり注意を割いていた。故に

標的のスキルは鎖の操作に習熟するものと考えていた。だが実際は違う。鎖そのものがスキルなのだ。剣先から感じる鎖の蠢きがその仮説を確信にかえた。


不意に自分の剣が吸い寄せられる。剣に絡まった鎖がゲントの手元から剣を奪おうとしているのだ。反射的に柄を握る両手に力を込める。そして自分の判断ミスに気づく。剣先に絡まる鎖は柄を握るゲントの両手に素早く巻きついた。慌てて手を話そうとしたがもう遅い。凄まじい圧迫感が両手を襲う。


「ぐっ……」


思わずうめき声が漏れる。この現状は、あまり良くない。両手は塞がり、長剣も刀身の全てに鎖が巻きついてる。鎖には至る所に錆が確認できるがかなり肉厚だ。剣でもがいた所で断ち切れるかは分からない。そもそもスキルの産物だろうこの鎖を断ち切ることは可能なのか。


回る思考の中で標的が動くのを捉える。敵は鎖のほかに武器を持っていない筈だ。両手に繋がった鎖で殴りかかってくるつもりだろうか。しかしそれにしては予備動作がでかく、大降りだ。あれはまるで、何かを振り回すような…


思考が結論を導き出すと同時に頭上から鎖の塊がゲントを襲う。


「ッ……!」


意識を失うような衝撃と背中を襲う鈍痛。咄嗟に膝を曲げ両手で受け流そうとしたが、効果があったとは言いづらい。

視界が霞む

先の鎖の塊の正体は捕食の為に鎖を巻いた死体だろう。

そしてそれが意味するのは標的が振り回せる重さまで死体の捕食が進んでいるということだ。

重しの役割だった死体が、向こうにとって有利な武器に変わってしまった。


「後悔してるか?」


標的の声を初めて聞いた。


「あの囮、日雇い冒険者だろ?」


「……」


返答はしない。これまでゲントは標的と言葉を交わしたことは無い。大抵は侮蔑や罵倒、命乞いなどの無駄なやりとりだからだ。しかし鎖使いはこちらの反応を気にも留めず、話し続けた。


「見た目はそれっぽかった。覚束ない足取りも、裏路地に慣れない奴なら不自然じゃない。レベル持ちの冒険者にしては足が遅いが、新人ならありえるかもな。」


ゲントが危惧していた点を標的は語る。ならなぜ看破されたのか。


「目だよ。」


ゲントの疑問に答えるように標的が告げる。


「俺がそうだったから分かる。毎日毎日、死体運んで、鉱石掘って、辛気臭ぇ奴らと一緒に居て。毎日毎日毎日毎日、そうして過ごしてるとな、腐るんだよ、目が。」


その声音はまるで、独り言のようだった。


「あんたの目もそうなんじゃないか。」


目深に被ったフードから標的の双峰がはっきりと見えた。フルフェイスを超えて自分の表情を覗き見られている錯覚を覚える。


「殺したら喰らう前に見てやるよ。」


相変わらず、鎖使いは蕩々と語る。


「……お喋りだな……」


呑まれぬように言い返す。


それを聞いた標的、リーデッドは不敵に笑った。

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