Bonus Track:Seven Seas of Rhye

六人

 ベッド脇のナイトテーブルが小刻みに揺れる音で、僕は目を覚ました。

 首を伸ばし、震えるスマホの画面を覗く。ディスプレイに映る『九重直哉』の文字列を目に焼き付け、隣のベッドで眠っているスマホの持ち主に視線を移す。寝る時に被っていたはずの布団は床に落ち、ホテルのガウンは片方の袖から腕が抜けて、もう片方も脱げる寸前。どういう寝方をしたらああいうことなるのだろう。そろそろ夏も近いとはいえ、そんな暑いわけでもないだろうに。

「明良、電話」

 無反応。少し悩んで、直哉ならいいだろうと勝手に出ることにした。スマホを手に取り、寝起きの気怠さを残したまま「もしもし」と声を発する。

「その声は純やな。アホはどうした」

「寝てる。急ぎの用なら起こすけど」

「ええわ。急ぎは急ぎやし、どの道、起こすことになるやろうけど」

「……どういうこと?」

「純、自分のスマホ、どこに置いとる?」

 質問に質問が返って来た。不可解に思いながら、とりあえず答える。

「テーブルで充電中」

「ホテルのベッドの脇によくある、ちっこいやつか?」

「違う。そっちはコンセント一個しかなくて、明良が使ってる」

「そっか。だから気づかんかったんやな」

「気づかなかった?」

「小野クンたち、最初は純のスマホに電話かけたんやと。そんで出えへんから明良の方に連絡しようとして、でも誰も連絡先わからんかったんや。そっから俺の連絡先を知っとる小野クンが話を持ってきて、俺が明良に電話かけとるっちゅうわけ」

「……ごめん。かいつまんで用件だけ説明して」

「時計見てみ」

 ナイトテーブルと一体化した、アラーム機能付きのデジタル時計を見やる。

 液晶パネルに浮かぶ数字を見た瞬間、口から「え」と呟きが漏れた。直哉が呟きの意図を的確に読み、呆ける僕の耳に忠告を放つ。

「分かったやろ。はよ、アホ起こした方がええで」

「分かった。ありがとう」

「ええよ。そんじゃ、小野クンたちによろしくな」

 電話が切れる。僕はスマホをナイトテーブルに置き直し、二つあるベッドとベッドの間に立った。ボクサーパンツ一枚と脱げかけのガウンを身に着け、電話の声にも全く反応せずに快眠を貪る明良を揺さぶる。

「明良、起きて」

「……んー……もうちょい……」

「いや、無理だから。早く――」

 明良の手が、僕の腕を掴んだ。

 そのままグイと腕を引っ張られ、明良の胸に飛びこむ形になる。明良はそのまま僕の背中に腕を回し、力を込めて抱きしめてきた。剥き出しの肌から立ち上る薄い汗の匂いが、僕の鼻を鈍く刺激する。

「ちょ……何してんの」

「寝起きはムラムラするわ」

「ムラムラって――」

「迎えスペシャルサンダーショットしようや」

 明良がガウン越しに僕の尻を揉み始める。――仕方ない。僕は右手を動かして明良の股間に乗せた。硬くなった海綿体の熱を布越しに感じながら、小さく息を吸い、指先の神経に電気信号を走らせる。

 ギュッ。

「痛ったあああああああああああ!」

 雄たけびを上げ、明良が僕から手を離した。僕はベッドから下り、股間を抑えてうずくまる明良を冷ややかに見下ろす。

「起きた?」

「お前……なんちゅーことを……」

「起きたらさっさと着替えて。もう三十分遅れだから」

 言いながら、自分もガウンから普段着に着替える。雑に散らかっている服を見て、寝坊した原因を思い出し、少し頬が熱くなった。自分のスマホを覗き、直哉の言っていた通り連絡がどっさり届いているのを確認して、「今起きた。すぐ行く」とメッセージを送り返す。

 手早く準備を整え、明良と二人でホテルの部屋を出る。エレベーターに乗ってロビーに出ると、受付近くのソファに座っている待ち合わせ相手が全員こっちを向いた。亮平と、小野と、三浦さん。

「はよー」

 亮平が声をかけてくる。僕は三人を視界に収め、まとめて言葉を返した。

「おはよう」


     ◆


 明良とファーレンハイトの墓参りに行くことを最初に話したのは、三浦さんだった。

 別に話す必要はなかっただろう。だけど、話さなくてはいけないと思った。三浦さんは寂しそうに「そっか」と呟いた後、急に声のトーンを上げて、僕に提案を寄越した。

「大阪からあそこ行くなら、東京も通るよね」

「そうだね」

「じゃあついでに五十嵐くんと東京観光していったら? わたし、亮平と小野くんに声かけるよ。この前、大阪を案内して貰ったお礼」

「観光する時間あるかな」

「泊まればいいでしょ」

 そうして、ファーレンハイトの墓参りに行く前に東京で一泊し、三浦さんたちと東京観光をすることが決まった。直哉も誘ったけれど「観光だけなら行ってもええけどなあ」と断られた。僕は「観光だけついてくれば」と言いかけたけれど、何だか直哉に失礼な気がして止めた。

 東京に着き、一日観光をして、ホテルに向かう。明日はお昼を食べてから出発するつもりだと言うと、三浦さんたちもそこまで付き合ってくれることになった。そして翌朝、ホテルのロビーで待ち合わせることにして、見事に寝坊して遅刻。思いっきり迷惑をかけてしまった。

「純くんが寝坊とか、珍しいな」

 合流するなりそう話しかけてきた亮平に、僕は「昨日は朝早かったから」と返した。するとすさかず明良が「夜も遅かったしな」と付け足してきて、思いっきりぶん殴ってやりたくなった。亮平は「ふーん」と流し、小野は何の反応も返さず、三浦さんはやたらニヤついていた。さすがだ。ある意味、失礼だけど。

 みんなでお昼を食べて、電車に乗る駅に向かう。改札の前に着き、いよいよ別れ際となった時、最初に声をかけてきたのは亮平だった。

「じゃあ、またな」

 手を挙げる亮平に、手を挙げ返す。小野が横からぶっきらぼうに口を挟んだ。

「今度は九重も連れて来いよ。案内すっから」

「おう。分かったわ」

 明良が雑に答える。最後の一人、三浦さんが僕を見つめながら小さく笑った。

「あの子によろしくね」

 あの子。僕は「うん」と首を縦に振った。

「わたしも、また会いたい気持ちはあるんだけどな」

「……ごめん」

「いいよ。確かに今は、わたしじゃないもんね」

 三浦さんがちらりと明良を見た。そして僕に視線を戻し、一言、告げる。

「行ってらっしゃい」

 二人で旅に出た日のことを思い出す。あれからまだ一年も経っていないのに、随分と遠い日のことのように感じる。でもそれは悪いことではないのだろう。そう思えるだけのものを、あの日から今日まで、積み重ねてきたということなのだから。

「――行ってきます」

 三浦さんたちに背を向ける。改札を抜けて構内に入り、しばらく歩くと、乗る予定の特急電車は既にホームに到着していた。中に乗り込み、二人掛けの座席の傍で明良に話しかける。

「窓側と通路側、どっちがいい?」

「んじゃ、窓側」

 明良が奥の席に座った。僕はその隣に座り、ボディバッグからペットボトルのお茶を取り出して飲む。まだ動き出していない電車の窓から外をぼんやり眺め、明良がしみじみと言葉を吐いた。

「なんか『たびー』って感じで、ええなあ」

 お茶が、気管に入った。

 勢いよくむせ返る僕を見て、明良が「おわっ!」と声を上げた。そしてゲホゲホと咳き込み僕を心配そうに見やる。僕は胸を抑え、どうにか呼吸を整えてから、明良に問い尋ねた。

「今の……三浦さんから聞いたの?」

「ん? どういうこっちゃ」

「……いや、何でもない」

「なんや、変なやつ」

 明良が笑う。変なのはそっちだよ。そう言い返そうとしたけれど、こみ上げてくるおかしさに負けて、ただ静かに笑い続けた。

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