中学2年生、夏(2)
細川さんとの待ち合わせ場所は、登校時によく遭う交差点のコンビニにした。
僕の方が先に着いたので、コンビニの前で待つ。これから花火大会に行く人たちがぞろぞろと、海に向かって交差点を渡っていく。家族連れや女の人だけのグループも多いけれど、やはり一番目立つのは男女のカップルだ。浴衣を着た女の人と、その手を引く男の人という組み合わせが何組も現れて、いったいこの街のどこにこれだけのカップルが潜んでいたのだろうと不思議になってくる。
僕はデニムのポケットに手を入れ、夜空を見上げた。無数の星と満月に近い月が輝いている。いつもなら「綺麗だな」でいいだろうけど、今日はどうだろう。天体観測は月のない夜の方が望ましいように、花火も暗い方が映えるのかもしれない。
――まあ、どうでもいいけど。
視線を下げる。そのまま何気なくコンビニの出入り口の方を向くと、ちょうど出て来たコンビニ袋を手に提げた客と目が合った。髪を短めに刈り、広いデコを剥き出しにした猿みたいな印象の少年。
半田。
「なにしてんの?」
こっちの台詞だ。真っ先に思い浮かんだその言葉にバツをつける。半田がコンビニに買い物に来るのは別におかしくない。ただし、僕が買い物をするわけでもなくコンビニの前に突っ立っているのは、どう考えてもおかしい。
「なんだっていいだろ」
「分かった。花火だろ」
「だから、別になんだって――」
「お待たせ」
最初、誰だか分からなかった。
浴衣までは想定内。だけど眼鏡を外し、三つ編みをほどいて来るのは予想外だ。学校で会う細川さんの原型が残っていない。もっともそれは僕が学校の人間を髪型とアイテムでしか判別していないからで、他の人が見れば違うのかもしれない。
「え? 半田くん?」
細川さんが半田に気づき、驚いたように口元に手を当てた。半田の方はどこかぽうっとした様子で細川さんを眺めている。やがて我に返った半田が口を開き、いつもと違う細川さんに対して雑な感想を述べた。
「めっちゃエロい」
細川さんが硬直した。反応を見て、半田が調子に乗る。
「そのカッコ、ヤバイ。興奮する。匂い嗅いでいい?」
「え?」
「いいじゃん。匂いだけ」
「え、あ、えっと……」
戸惑う細川さんに、半田が迫る。こいつは他にコミュニケーションの手段を知らないのだろうか。僕とこれの違いが誤差だなんて、本当に心外だ。
「止めろって」
僕は細川さんと半田の間に入り、二人を別々の方向に押した。強く押した半田が尻もちをつく中、僕は細川さんに話しかける。
「行こう」
細川さんは動かなかった。僕と半田を交互に見てオロオロするだけ。ああ、もう。こういうことはしたくなかったんだけど、仕方ない。
「ほら」
右手で、細川さんの左手を取る。
そのまま早足にコンビニから離れる。海岸に向かう人の群れに紛れ、脇目も振らずに歩き続ける。こんなの、どう見たってカップルだ。周りから見ても、半田から見ても、細川さんから見ても。ちくしょう。
コンビニからだいぶ離れ、僕は細川さんから手を離した。どこか名残惜しそうな細川さんを前に、自分の失敗を改めて実感する。仕方ない。あのまま半田といざこざになるよりはマシだったと考えよう。
「……会場、もうすぐだから」
ぷいと顔を逸らす。「うん」。振り向かなくても表情の分かる弾んだ声が、頭の後ろから届いた。
◆
花火大会の会場は、溢れんばかりの人でごった返していた。
僕にとってはいつも通りの光景なので驚かないけれど、細川さんは人で埋め尽くされた海岸を見てポカンと呆けていた。怯えたように、おそるおそる僕に尋ねる。
「毎年こんなに集まるの……?」
「そうだよ。花火大会ってそういうものじゃない?」
「それは、そうだけど……」
「この街にこんなに人がいると思ってなかった?」
細川さんが黙った。図星のようだ。僕も同感だから、気にしなくていいのに。
「もうちょっと前行こうか」
「そうだね」
人の海を泳ぎ、本物の海に近づく。足元の砂は既に大勢の人で踏み固められていて歩きやすかった。やがてこれ以上進むのは難しいというところまで来て止まり、海を挟んだ先の海岸から花火が上がるのを待つ。
「暑いね」
細川さんが額の汗を拭った。僕は半袖シャツの襟を開きながら「うん」と頷く。確かに暑い。熱気が人混みにこもり、皮膚が汗でぬめっていく。
「そうだ」持っていたハンドバッグから、細川さんが飴玉の袋を取り出した。「食べる?」
いつか貰ったハッカの飴を受け取る。袋を開けて中身を口に入れると、ひんやりとした甘さが舌に広がり、身体が内側から冷やされた。細川さんも飴を舐め、しばらく無言の時間が生まれる。
やがて、スピーカーを通して花火大会開始のアナウンスが流れ出した。ガヤガヤと騒いでいた人たちが黙り、アナウンスが終わった後は波の音が聞こえるようになる。だけどすぐに大輪の打ち上げ花火が夜空に輝き、波音は花火の炸裂音と観客の歓声に呑まれて、全く僕の耳に届かなくなった。
「綺麗だね」
細川さんがうっとりと呟いた。僕は黙って夜空を見上げる。綺麗だけど、こういうのって何を観るかより誰と観るかなんだよな。次々と打ち上がる花火を眺めながら、そんな失礼なことを考える。
右手の指が、柔らかくて温かなものに包まれた。
反射的に手を引きかけた。どうにか堪えて、右を向く。僕の手をいきなり握った細川さんは僕の方を見ず、顎をくいと上げて夜空を見つめていた。
「好きなの」
細川さんの額から、透明な汗が滴り落ちた。
「いつからか分からないけど、もうずっと好き。絶対に両想いじゃないって分かってるのに、告白を我慢できないぐらい。返事はいいから、今はそれだけ知ってて。お願い」
細川さんが僕の手を握る力を強めた。横顔が花火に照らされる。無理やりこっちを見ないようにしている。焦点のぼやけた瞳から、それが伝わる。
――知ってるよ。
君が僕のことを好きだなんて、とっくに知っている。それはきっと君が特別に分かりやすいわけじゃない。「好き」とはそういうものだ。ほとんどの場合、告白が伝えるものは好きという想いではなく先に進みたいという意志で、だからこそ「返事はいい」なんて、進まなくてもいいなんて話はありえない。
周囲を見回す。手を繋ぎ、夜空に咲く光の花に見惚れている男女がたくさん目に映る。細川さんの想いを肯定すれば、僕もこの仲間に入る。世界を回し、血脈を繋ぐ、「普通」の人たちの仲間に。
「少し、考えさせて」
保留。花火大会に誘われた時と同じ。なら結末も同じになってしまうのだろうか。正しき方へ、善き方へ、流されてしまうのだろうか。
「夏休み中には、答え出すから」
細川さんの手を握り返す。分かった。蚊の鳴くような声で細川さんが囁く。轟音と共に巨大な花火が上がり、ほんの一瞬だけ昼が帰って来たみたいに、世界が明るく照らされた。
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