中学2年生、春(2)
ゴールデンウィーク前、最後のホームルームが終わった。
テンションの上がりまくった半田が発情期のネコのようにわめき散らす中、僕はさっさと学生鞄を担いで教室を離れた。廊下を歩いていても、明らかに学校中いつもよりうるさい。馬鹿みたいだと思う一方、気持ちは分かる面もある。僕だってしばらく学校に来なくていいのは嬉しい。たぶん騒いでいるやつらとは、嬉しいポイントがズレていると思うけど。
校舎を出て、空を見上げる。雲の切れ端も存在しない、大海原みたいな空が僕の視界をジャックする。散歩でもしようかな。そんなことを考えて、なんだかんだ自分もテンションが高いことに気付き、苦笑する。
家に帰るだけなら通る必要のない海沿いの道へ。輝く海を眺め、潮風を肌で感じながら歩いているうちに、子どもの頃よく遊んだ海浜公園が見えてきた。ふらふらと中に入り、海を眺めて一息つけるベンチを目指す。
やがて、海を望むようにベンチが並んでいるエリアにたどり着いた。ベンチのいくつかには人が座っていて、中には僕の学校の制服を着た女の子もいる。誰だろう。傍に寄り、目が合って、思わずお互いに「あ」と声が漏れた。
「細川さん」
細川さんが「えっと……」としどろもどろになる。三つ編みを触っているのは困った時の癖だろうか。こっちもそれなりに困っているのだけど、細川さんが目に見えて狼狽しているせいで落ち着いてくる。
「家、こっちなんだ」
「ううん、違う。散歩。天気いいから」
「そっか。じゃあ僕と同じだ」
「同じ?」
細川さんが眼鏡の向こうで目を見開いた。上向かせた首が大変そうだ。僕としても、ずっと見下ろしているのも居心地が悪い。
「隣、いい?」
「え? あ、いいよ」
許可を貰い、細川さんの隣に座る。別に身体が触れ合ったわけでもないのに、細川さんが肩をひそめて端に寄った。いいよって言ったくせに。
「もしかして、一人の方が良かった?」
「そんなことはないけど……ただ一人になっちゃうことが多いから、誰かといると落ち着かないだけで……」
「仕方ないよ。まだ転校してきたばっかりだし」
「……前の学校でも同じだったから」
フォローを入れたつもりで、余計な地雷を踏んでしまった。押し黙る僕の横で、細川さんがぽつぽつと語る。
「わたし、親が転勤族なんだ。だから何回も転校してるんだけど、その度に人間関係リセットされちゃうから、なんか本気になれなくて……」
「本気になれない?」
「どうせすぐ離れるから、友達とか、別にいいかなって。でも友達が要らないわけじゃないの。なんて言えばいいのかな……」
「お腹が空いて、夕ご飯が近いから我慢するけど、お腹が空いてることには変わりはない、みたいな?」
「あ、そう。そんな風に『ちょっと我慢する』を繰り返してる感じ。転校しても同じことになるんだから、結局ずっと我慢してるんだけどね」
細川さんが三つ編みから手を離した。気持ちを話して少し落ち着いたらしい。目を細め、ぼんやりと海を見やる。
「この街は、海が綺麗だね」
「それしかないからね」
ばっさりと切り捨てる。細川さんのまぶたが大きく上がった。
「地元のこと嫌いなの?」
「好きなところと嫌いなところがあって、嫌いなところの方が多い。ただし嫌いなところはほとんど人間に依存しているから、この街の風土とは言い切れない部分もあって、どこに行っても同じ可能性は否めない」
「……? なんか、複雑だね」
グダグダになった流れをごまかすように、細川さんが学生鞄の中から個別包装された飴玉を取り出した。袋に描かれたギザギザの葉を見て、僕は軽く目を見張る。
「ハッカ?」
「うん。まだあるけど、要る?」
「くれるなら欲しい。好きなんだ」
「へえ」
「サクマドロップのハッカは当たりだと思ってる」
「分かる。期待してレモンだとガッカリするよね」
細川さんが口に手を当てて笑った。初めて見る上向きな感情を前に、素直な感想が口をついて飛び出す。
「友達が欲しいなら、笑った方がいいと思うよ」
「え?」
「笑った方が、かわいいから」
細川さんの目が、大きく泳いだ。
反応を見て初めて、自分がやらかしたことに気付く。しまった。僕は女の子に、というか兄ちゃん以外の人間に興味がないせいで、時に大胆なことをあっさりと口にしてしまうのだ。誰かに嫌われることを気にしないから、当然、好かれることも気にしていない。
「ほら、犬とか猫だってかわいい方が人気出るでしょ。そういう意味だよ」
そういう意図はないぞと釘を刺す。細川さんが恥ずかしそうに目を伏せた。それから僕にハッカの飴を渡し、蚊の鳴くような声で囁く。
「……ありがと」
――大丈夫かな。
僕は包装を破り、飴玉を口に放り込んだ。すうっと爽快感が喉から鼻に抜ける。吹きすさぶ海風の音が、いつもよりクリアに聞こえた気がした。
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