中学2年生、春(1)

 二年生になれば学校が楽しくなるなんて思っていたわけではないけれど、さすがにより悪くなるとは思っていなかった。

 僕の真後ろの席に座り友達と騒いでいる男子、半田伸行があまりにもうるさいせいで、読んでいる本に全く集中できない。新学期初日の朝から次の席替えを望んでしまう。何なら次のクラス替えすら待ち遠しい。この歩く騒音発生機とまた同じクラスというだけでも憂鬱なのに、席が前後だなんて。あまりにもついていない。

「そんで、そのAVがガチでヤバくて――」

 半田が春休み中に見たAVについて声高に語る。半田の提供する話題は八割がエロ絡みだ。煩悩の擬人化。おかげで女子からはだいぶ煙たがられている。だけどその煙たがられていることに快感に覚えている節もあり、始末に負えない。

「はよー」

「はよー」

 また一人、仲間が半田たちのグループに合流した。まだ増えるのかとうんざりする僕の鼓膜に、少し気になる情報が引っかかる。

「ノブ、うちのクラスに転校生来んの知ってる?」

「え、知らない。マジで?」

 転校生。僕は文字を追うのを一旦止めて、会話に耳をそばだてた。

「女子? 美人? かわいい? ビッチ? ヤレそう?」

「女子だって。後は知らない。ダチが職員室で話聞いたってだけだから」

「そっか。ヤレそうならいいなー」

「一番大事なのそれかよ」

 笑いが起きた。それから半田たちはまだ見ぬ転校生を勝手に想像して盛り上がり、僕は話がどうでもいい領域に入ったと判断して意識を本に戻す。十数ページ進んだところでチャイムが鳴り、新担任の若い女の先生が教室に入ってきた。

 まずは挨拶と、先生自身の自己紹介。半田から「処女ですか?」という質問が飛び、そのメカニズムの単純さに逆に感心した。そして――

「えー、それと今日は転校生の紹介をします。始まったばかりのクラスですが、皆さん仲良くしてあげてください。細川さーん、入ってー」

 先生が廊下に声をかけると、教室前方の扉が開いた。そして長い髪を後ろで三つ編みに結び、レンズの厚い野暮ったい眼鏡をかけた、地味な印象の女の子が教室に入ってくる。女の子は黒板にチョークで『細川真尋』と書いた後、教卓の前に所在なさげに立つと、ぼそぼそと自己紹介を始めた。

「細川真尋です。よろしくお願いします」

 細川さんが頭を下げた。パラパラと息の合わない拍手が上がる中、能天気な声が僕のすぐ後ろから響く。

「ヤレなさそー」

 声がデカいよ、バカ。僕は無駄によく通る半田の声をかき消すため、強めに手を叩いて音の波を起こした。


     ◆


「じゃあ、学校は相変わらずなんだな」

 ゲームをする僕の後ろから、兄ちゃんが声をかける。僕はテレビのゲーム画面を見つめながら「うん」と頷き、そのすぐ後に「あ!」と短い声を上げた。動かしていたロボットがステージギミックに触れて爆散。作戦失敗の文字が画面に浮かぶ。

「もう、声かけないでよ」

「景気よく愚痴ってたのはお前だろ」

「兄ちゃんが『新学期なんだからこんなところに来てないでクラスの友達と遊べ』とか言うからでしょ」

 僕はゲーム機のコントローラーを右手に持ち、仰向けに寝転がった。眼球を動かして、すぐ傍であぐらをかいている兄ちゃんを見やる。

「兄ちゃんは僕に遊びに来てほしくないの?」

「来ない方が健全だとは思ってるな」

「健全とか不健全とかどうでもいいよ。くだらない」

 言葉を吐き捨てる。兄ちゃんはちょっと寂しそうな顔をして「そうだな」と呟きをこぼした。そうだよ。そうに決まってる。どこかに正しい生き方があって、それ以外は全部間違いだなんて考え、ぐるぐるに縛って燃えるゴミに出してしまえ。

「でも友達が多くて困ることは無いだろ。気になる子とか、いないのか?」

 アプローチが「俺以外を選べ」から「俺以外を増やせ」に変わった。そうなると否定しづらい。天井に視線を移し、ぼんやりと光るLED照明にクラスメイトの顔を思い浮かべる。

「転校生の子がいるんだけど、その子はちょっと気になる」

「転校生?」

「うん。四月からうちの学校に来たんだ」

「男子? 女子?」

「女子」

「どうして気になるんだ」

「孤立してるから」

 細川さんが転校してきて、まだ半月も経っていない。

 なのに、ここ最近、細川さんが誰かと一緒にいるところを見ていない。仕方ない。細川さんはあまり自分から他人に話しかける子じゃないみたいだし、かと言って、他人が思わず話しかけたくなるような趣味や特技を持っているわけでもない。これから絵が抜群に上手いとか、泳ぎがとんでもなく速いとか、円周率を一万桁言えるとか出てくるのかもしれないけれど、今は地味で大人しいだけの女の子だ。

「孤立してるから、お前がその子を助けたいわけか」

「っていうか、友達がいるやつは友達がいるんだから、わざわざ僕が気にする必要ないし」

「……必要、と来たか」

「なんか気になる?」

「お前にとって友達作りって、本当に仕事みたいなものなんだなと思って」

「だって僕は兄ちゃんがいればそれでいいから」

 熱いラブコールを送る。兄ちゃんが僕から視線を外した。そして身体を反らし、僕と同じように天井を見上げる。

「まあ、その転校生の子に話しかけてみるのはいいかもな。その子だって心細いだろうし」

 はぐらかし。そしてさらに、捻じ曲げ。

「もしかしたら、好きになるかもしれないしな」

 どうしてそういうことを言うのだろう。

 いや、分かっている。僕を遠ざけるためだ。分からないのはその先の、どうして僕を遠ざけようとするのか。さらに言うとそれも何となくは分かっているので、理解はできても納得はできないと言った方が正しい。

 結局、兄ちゃんも父さんと根っこの部分は同じなのだ。世の中には分かりやすい善悪があると思っていて、僕を善き方に導こうとしている。違うのは、父さんは自分を善だと、兄ちゃんは自分を悪だと認識しているということ。

 ――くだらない。

「好きになんてなるわけないよ」

「そんなの分からないだろ」

「分かるよ。絶対に、分かる」

 僕が好きなのは兄ちゃんだから。もう一歩踏み込んできたら撃ってやろうと、言葉の弾丸を銃に込める。だけど勘のいい兄ちゃんは鋭く危険を察知し、発砲ラインを割ることなく踏みとどまった。

「そうか」

 兄ちゃんが立ち上がり、トイレに向かった。僕は身体を起こしてコントローラーを両手で持ち直す。リトライを選択した時の音が、やけに大きくリビングに響いた。

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