乙女、異界に先導(5)
イベント会場を離れた後も、わたしたちはしばらく姐さんたちと池袋を回った。
姐さんたちと別れる頃には夕方近くになっていた。そろそろ解散。だけどその前に、今日の総括。三人で喫茶店に入り、店の奥のテーブル席に腰かける。
「あー、疲れた」
椅子に座るなり、高岡くんが背もたれに身体を預けて天井を仰いだ。そしてすぐに身体を起こして、わたしに尋ねる
「三浦はいつもあんな風にあちこち回ってんの?」
「最近はそんなに来てないけど……まあ、そう」
「女の買い物はなげえからな。大して買うわけでもねえのに」
高岡くんの隣から小野くんが皮肉っぽい言葉を言い放ち、わたしは思わず眉をひそめた。確かに今日はわたしも「姐さんまだ行くの?」と思ったけれど、それはわたしのコンディションが悪いだけで、世の中には眺めているだけで幸せになるものがあるのだ。あまり馬鹿にしないで欲しい。
「いいからツアーのまとめやろうぜ。まずは小野っちから。今日どうだった?」
「え、普通にキモかったけど」
――この男は。わたしはこれみよがしに大げさなため息をついてみせた。
「あのさあ。小野くん、そういうの反省したんじゃないの?」
「待て、勘違いすんなって。まだ続きがあるから」
「続き?」
「そう。俺、一番キツかったの、最初に入った店だったんだよ」
最初に入った店。確か、カンバッチやラバーストラップみたいなグッズを所狭しと並べて売っていたアニメショップだ。高岡くんにBL星じゃないと言われてすぐに出て行ってしまったところ。
「あれさ、男同士でいちゃついてるのとか無かっただろ。エロいのも無かった。でも一番キツかったんだ。なんでだと思う?」
「慣れてなかったからびっくりしたとか?」
「違う。あそこが一番剥き出しだったんだ。本売ってたとこは棚から引っこ抜かなきゃ背表紙しか見えなかったし、他んとこもあそこよりは大人しかった」
「剥き出しって、なにが」
「欲望」
予想外の言葉が飛び出し、反応が遅れた。その隙に小野くんが自分のアイスコーヒーを飲み、語りを続ける。
「俺の別れた彼女がさ、『男の欲望』が苦手だって言ってたんだよ」
「それは小野くんがグイグイ行き過ぎなんじゃないの?」
「そうじゃなくて、AVとか、ハーレム漫画とか、そういう欲望が透けて見えるものがダメなんだとよ。三浦はそういうのねえの?」
「別に」
「ふーん。やっぱ欲が強いと他人の欲にも寛大だな」
――もしかして今ディスられた? 気づき、抗議の声を上げるより早く、小野くんが話を元に戻した。
「そんで俺は、それ聞いてもピンと来なかったわけ。別にお前に欲情してるわけじゃねえんだからいいんじゃん、みたいな。でも今日あの店入って、分かったわ。自分には理解出来ない欲望ってキモいんだな。勉強になった」
「……喧嘩売ってる?」
「三浦だってそういう理解できないものぐらいあるだろ。口とか態度とかに出さなきゃいいんだよ」
「出してるでしょ」
「今は例外。それにこれ、三浦にとってもデカい発見だぞ」
「え?」
「BLが同性愛嫌悪を煽る、みたいなこと気にしてたんだろ。でももしかして、キモがられてるのは『女の欲望』で、同性愛ってあんまり関係ねえんじゃねえの。だったら気にするだけ無駄じゃん」
「つまり、BL差別は同性愛差別じゃなくて女性差別だってこと?」
「そういうこと」
なるほど。学校で同性愛についてディスカッションをやった時も思ったけれど、小野くんの視点は新しい。そして全てのパターンがその通りではないだろうけれど、確かに一理ある。
例えば昔、コメントをつけられる動画投稿サイトに女性人気の高い男性キャラが躍る手書きアニメーションがアップされると、その動画に「腐女子キメェwww」みたいなコメントが大量につく現象があった。あれは踊っていただけだし、キャラクターは一人だけでもそういうコメントがついたから、同性愛は関係ない。ただ『女の欲望』が叩かれていたのだ。女のくせに汚い欲望を剥き出しにするな、慎ましくおしとやかにしてろと――
「――考えたらイライラしてきた」
「じゃあ考えるの止めとけよ……」
「小野くんのせいじゃん」
「知らねえよ」
小野くんがチラリと高岡くんを見やった。マイペースにマンゴージュースを飲んでいた高岡くんが、ストローから口を離す。
「んじゃ、次はオレね」
高岡くんが今日の出来事を思い返すように、斜め上を見上げた
「つっても、オレは正直よく分かんなかったんだよな。小野っちみたいにムリって思うことは無かったけど、特にすっげえ気になるわけでもない。まあオレはムリって思うかどうか試しに来たんだし、思わなかったならそれでいいんだけど」
――オレもいい加減、あの時黙った自分と、向き合わなくちゃならない。
ツアーを提案する前、高岡くんが独り言みたいに言った言葉。自分を試しに来た高岡くんは、今日を通じて少しは自分と向き合えたのだろうか。もしそうならば、連れてきて良かったと思う。
「とにかく、すげえパワーを感じたな。ごった煮感っつーか、あんなもんにずっと触れてりゃ同性愛とかどうでもよくなるわなって思った。おかげで三浦のことちょっと分かったかも。ただ――」
高岡くんの声のトーンが、わずかに下がった。
「あの後輩のことは、よく分かんなかったな」
あの後輩。莉緒ちゃん。俯き、温かいキャラメルラテを啜るわたしに、高岡くんが話を振る。
「三浦は今日どう思った?」
「どうって?」
「ツアーの感想」
「わたしは前から来てるし」
「今は感じ方が違うだろ。オレは悩んでる三浦が考えるきっかけになればと思って、このツアー提案したんだぜ」
「そうなの?」
「そうだよ。だから小野っちも呼んで色んな視点を提供したんだろ。まあ、それは別の理由もあるけど」
「別の理由ってなんだよ」
「とにかく巻き込みたかった的な?」
「お前さあ」
話す二人をよそに、わたしは一人考え込む。今日の感想。そこからわたしが考えなくてはならないこと。莉緒ちゃんの心に届く、わたしだけの言葉。
「……まだちょっと、上手く整理出来ないかも」
材料は揃っている気がする。でも頭の中から、形のあるものが出てこない。高岡くんが「そっか」と呟き、そして別の質問を寄越す。
「三浦は、BL好きなの?」
当たり前でしょ。
聞かれて、即答出来ない自分がいることに気づかされた。高岡くんにはお悩みランキング第一位のことは話していない。でも伝わってしまっている。高岡くんがわたしに今日の案内を頼んだ理由には、きっとそれも含まれているのだろう。
「好きに決まってんだろ。今さら何聞いてんだよ」
「でもさー、あんな後輩にウザ絡みされまくったら、まとめてイヤになることもありそうじゃん」
それだけではない。というかむしろ、それとこれはあまり関係ない。わたしは控え目に、ボソボソと語り出した。
「……BLってさ、ゲイの人のこと、ネタにしてるじゃん」
話してどうにかなることではない。それは分かっている。だけど、話すだけで楽になることもある。
「いや、作品にも寄るんだけどさ。冷静になって考えると、これっていいのかなとか思うようになっちゃってさ。なんか、素直に楽しめないんだよね……」
「まあ確かにクソ失礼だからな」
そこまでストレートに言われるとムカつく。わたしは小野くんを軽く睨んだ。高岡くんが首を捻って「んー」と唸る。
「BLがいいとか悪いとか、オレには正直分かんないけどさ」
テーブルに腕を乗せ、高岡くんがずいと身を乗り出した。
「今日、オレら、色んなところ回っただろ。そんで色んなものを見た。でも一番オレの印象に残ってるのはオレが見たものじゃなくて、オレが見たものを見てた人なんだよね。グッズも、同人誌も、イベントも、コスプレも、そこにいる人たちはみんなすげえ楽しそうだった」
太陽を見るように目を細め、しみじみと、高岡くんが語る。
「それが小野っちの言ってた『欲望』ってやつなのかもしれないけどさ、少なくともオレはあの光景を否定したくない。本当にそう思うよ」
――楽しい。
視界が少し、晴れる感じがした。そうだ。長らくその気持ちを忘れていたけれど、わたしだって最初はそこから始まった。それは莉緒ちゃんだって同じはずだ。わたしと同じものを見て、わたしと同じものに触れて、わたしと同じように楽しんだことがある。
ならきっと――分かり合うことだって出来る。
言葉はまだ見えない。だけど、希望の光は見えた。その光を見失わないよう、わたしははっきりと、高岡くんに言葉を返した。
「そうだね」
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