乙女、嗜好に煩悶(5)

 家に帰って、部屋のベッドに寝転び、SNSアプリに『いま電話していい?』というメッセージを打ち込む

 あとは送信アイコンを一回、トンとタップすれば、約400kmの距離を越えてわたしの言葉が大阪に届く。指先を液晶画面に近づける。ブルーライトに照らされた親指の腹がぼんやりと輝く。そして数秒後、わたしはLINEアプリを閉じて、スマホを持った手をベッドの上に投げ出して焦点の合わない目で天井を見つめている。

 ――未練残してたの、バレてたみたい。

 宮ちゃんの言葉を思い返し、わたしはごろりと身体を横に向けた。この感情は「未練」なのだろうか。分からない。何せ、初恋なのだ。海を知らない人間が初めて海を目にしたようなもの。圧倒的で絶対的な存在を前に、ただ言葉を失って立ちすくむしかない。

 わたしはスマホを目の前に運び、ウェブブラウザを起動させた。そして、しつこく聞きまくってどうにか教えてもらった安藤くんのブログを開く。わたしから安藤くんの現在を一方的に知ることができる手段。ちょっと卑怯かな。そんなことを考えながら、液晶に映る記事のタイトルを読む。


『彼氏が出来ました』


 ――この野郎。

 センチメンタルな色々が、一瞬で粉微塵に吹き飛んだ。ブログを読み、事前にメッセージを送っておく手間も惜しんで通話を飛ばす。すぐに、男の子にしては柔らかい響きの声が、スピーカーを通してわたしの耳に届いた。

「三浦さん? どうしたの?」

「どうしたの、じゃないでしょ。なにあれ」

「あれ?」

「ブログ。引っ越して一ヶ月ちょっとで彼氏つくってるのありえなくない?」

「そう言われても、ブログ読んだなら分かってると思うけど、別に僕から行ったわけじゃないし」

「……その言い方もなんかムカつく」

「理不尽すぎない?」

 抗議を無視して、わたしはこれ見よがしに大きなため息をついた。そして皮肉めいた口調で言葉を紡ぐ。

「いいよねー、安藤くんは順調で。わたしは安藤くんのせいで色々と大変なのに」

「何かあったの?」

「あのね――」

 取材依頼のことも含めて、お悩みランキング二位のことを話す。話しているうちにヒートアップして、やたら表現が大げさになってしまった。一通り話を聞いた後、安藤くんが一言、これだけは譲れないといった風に力強く言い放った。

「僕のせいじゃないよね」

 ド正論。わたしは「そうだけどさー」と、納得しているけれど納得していないという態度を示す。

「それで、取材の件はどう? OK?」

「OKだと思う?」

「……だよねー」

「え? 断っちゃダメなの?」

「いや、いいんだけどさ。あの子のことだから『どうしてですか!? わたしから直接頼ませて貰えませんか!?』とか始まるんだろうなーと思って」

「話したくないなら話さないでいいんじゃないの?」

「他人が自分の意にそぐわない行動をする時は理由がいるの。『やりたくないならやらなくてもいい』って言うくせに、いざやらないとなったら理由を聞きまくって来る人、いるでしょ」

「……なるほど」

 安藤くんがポツリと呟いた。そして声のトーンを少し落として、続ける。

「その子、二丁目に取材に行くって言ってたんだよね」

「うん」

「お店の紹介ぐらいなら出来るけど」

 妥協案。驚くわたしに、安藤くんが淡々と語る。

「夜はバーだから未成年が入るのはちょっとアレだけど、昼間はカフェやってるお店があって、そこのオーナーがレズビアンの女性なんだ。ゲイじゃないから希望とは違うかもしれないけど、その人なら話通せる。そうすれば三浦さんも僕に頼んだ面目は立つよね」

「それはそうだけど……いいの?」

「いいよ。突き放して今度は直接僕に来たらイヤだし、何よりその子が好き勝手に動いたら、変なことになりそうだしさ。二丁目で誰かに迷惑かけること考えたら、信頼出来る人に丸く収めて貰った方がいいでしょ」

「丸く収めてくれるかな」

「あの人なら上手くあしらってくれると思う。ただ、行くなら三浦さんも一緒に行ってよ。僕はその子じゃなくて、三浦さんに紹介してるんだから」

「うん、分かった。ありがとう」

 お礼を告げる。そしてふと、思い至る。わたしに紹介している。わたしにも一緒に行って欲しい。ということは――

「ねえ。もしかして『知り合いにわたしを紹介したい』みたいな気持ちも、ちょっとはあったりする?」

 はぐらかされるだろうなと思いながら、少しの期待を込めて尋ねる。返ってきたのは、まるで想像もしていない、真っ直ぐな言葉。

「むしろ、そっちがメインかも」

 スマホを当てている耳が、じんと熱くなった。

 ヤバい。直感でそう思った。何が起きて、どうなろうとしているのか。それは分からない。ただとにかくヤバい。そういう、大きな事故に遭う直前のような感覚が、全身を駆け抜ける。そして事故に遭いそうな車がとにかくまずクラクションを鳴らすように、わたしは声量を無意味に上げた。

「じゃあドレス着て行った方がいいかなー」

「いきなり紹介する気なくすようなこと言わないで」

「だって安藤くんの面子を背負っていくんだよ?」

「カフェにドレスは面子潰しに来てるよね」

 下らない会話を交わす。そのうちいい時間になって、通話を切る。お悩みランキングなんてランキングボードごと破壊されたような充足感に満たされながら、ベッドで大の字になって目をつむるわたしの耳に、いつか聞いた波の音が静かに蘇った。

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