乙女、嗜好に煩悶(2)

「まあ、気持ちは分からなくもないけどね」

 ドリンクバーのアイスコーヒーにミルクを入れてかき混ぜながら、姐さんがどこか他人事のように呟いた。カランカランと氷のぶつかる音が、休日のファミレスの雑音に呑まれて消える。わたしはもう義務感だけで買ったと言っても過言ではない、イベントで手に入れた推しキャラの缶バッチを眺めながら、本日何度目か分からないため息を吐いた。

「本当に辛いんですよね……前は眼球に縫い付けて生活したいと思ってたこれも『痛バッグ作る予定もないのに缶バッチに一個五百円も払ってどうすんの?』って感じで……」

「紗枝ちゃん、それ私にも刺さるから止めて」

 ストローをくわえて、姐さんが薄いブラウンのコーヒーを喉に送る。わたしも同じように自分のオレンジジュースに口をつける。ほとんど同時にストローから口を離して、わたしはまたため息をつき、姐さんは手のかかる妹を見る目でわたしを見やった。

「私に安藤くんのことを相談してた時は、『ファンタジーだから出来ることがあると思うんです!』って元気よかったのに」

「……だって、ファンタジーじゃない人たちのこと、知っちゃったんですもん」

 わたしだって別に、この世に同性愛者が存在しないと思っていたわけではない。

 ただ、やっぱり、違う世界の話だとは思っていた。クラスの男子で妄想する時だって、わたしはそれを「妄想」だと思っていた。リアリティをもって考えていなかったのだ。好きになった男の子が同性愛者かもしれないなんて、欠片も想像できないぐらいには。

 だけどわたしは現実に触れた。苦しみ、悩んだ末に命を捨てようとした人や、実際に捨ててしまった人のことを知った。そうなればもう無視は出来ない。すると気になってくるのが、わたしの必須栄養素、ビタミンBLの供給元であるBL星の存在だ。

 地球に色々な同性愛者がいるように、BL星にも色々な同性愛者がいる。ただ、どうしても「普通」が欲しくて女の人と付き合ってしまうような人は、あんまりいない。全体としてはやっぱり、男の人同士がいちゃいちゃしている様子を女の人が表現して、女の人が楽しんでいるという構図が多い。わたしだって、とにかく男の人同士がいちゃいちゃしていることそのものに、まずは興味があった面は否めない。

 そういう構造が、今はとても、グロテスクに思えてくる。

「せっかく知り合いに本物がいるんだから、BLのことをどう思ってるか、安藤くんに聞いてみたら?」

「もう聞きました」

「なんだって?」

「『僕は気にしないけど、自分の苦しみを玩具にされてるみたいで死ぬほどイヤな当事者もいるから、一概には言えないよ』って」

「……安藤節全開だね」

「姐さんもそう思います? 『死ぬほど』とか絶対に要らないですよね。本当、ひねくれてるっていうか」

 ため息。この短時間で三回目。姐さんがやれやれと肩をすくめた。

「あまり気にしすぎない方がいいと思うよ。キリないし」

「キリがないから気にしなくていいっていうのも、なんか違いません?」

「そうだけどさ、そもそも人を傷つけない表現って、あり得ないじゃない」

 姐さんがテーブルの上に腕を乗せて、少し身を乗り出した。

「どんな表現だって誰かを傷つけてる。だから好き勝手やっていいとはならないけど、『正しさ』を求めすぎるのも違うんじゃないかな。だって『これは正しい表現』って言っちゃったら、その表現で傷ついた人がいた場合、その人が悪いことになっちゃうでしょ」

「じゃあ姐さんはどうすればいいと思います?」

「結果が全て。あとは、覚悟の問題」

 力強い。でも確かに、突き詰めてもそこにしか至らない気はする。もっともわたしはその覚悟を持てないから悩んでいるので、アドバイスは役に立たないけれど。

 ブー。

 テーブルの上に置いてある、わたしのスマホが震えた。頬杖をつきながら画面を覗き、はみ出しかけた四回目のため息を飲み込む。

『相原莉緒』

 姐さんが、わたしの代わりとばかりにふうと息を吐いた。わたしが連れて来た彼女と一緒にイベントに出かけた後、「ねえ、あの子もしかして次も来るの?」と不安げに尋ねてきた姐さんの姿を思い返しながら、スマホを取って通話を繋ぐ。

「もしも――」

「師匠! 大変ですよ! 『サムライ・ディストピア』の最新刊読みましたか!?」

 姐さんまで余裕で届いているであろう、キンキンと耳に響く声。切りたい。素直にそう思った。

「まだ読んでないけど……」

「すぐ読んでください! 書き下ろしのオマケ四コマがすごいんです! 今どこにいますか! 近くに本屋ありますか!?」

「いきなり本屋とか言われても……そんなすぐには無理だよ。今、ファミレスだし」

「ファミレス? 誰かと一緒なんですか?」

「うん。この前会ったでしょ。佐倉さん」

「姐さんと会ってるんですか!? わたしも行きたいです!」

「今から?」

「はい!」

 わたしはちらりと向かいの姐さんを見やった。両腕で大きな「×」を作り、横方向へのヘッドバンキングと呼んでも差し支えなさそうなぐらい、首をブンブンと勢いよく振っている。そこまでか。

「ごめん。姐さん、次の用事あるみたいだから」

「えー、そうなんですか?」

「うん。そうなの。それでバタバタしてるから、切るね」

「分かりましたー。あ、サムデスは読んでくださいよ! これは義務です!」

「……うん、分かった。じゃあね」

 通話を切り、さっき飲み込んだため息を、飲み込んだ時の100倍にして吐く。姐さんが同情に満ちた視線をわたしに送って、苦笑いを浮かべた。

「サムデス、もう読んでるくせに」

「だってトーク始まるのしんどいし……」

「電話に出なきゃいいのに」

「出ないと出るまでかけてくるんです」

 わたしはぐったりと肩を落とし、少し上目づかいで姐さんを覗いた。

「姐さん、わたしに『姐さん』って呼ばれた時、どう思いました?」

「どうって?」

「イヤじゃなかったかなと思って」

「イヤじゃないよー。紗枝ちゃんはいい子だもん」

「もし、わたしがいい子じゃなかったら?」

 姐さんの返事が止まった。視線を逸らし、ポツリと呟きをこぼす。

「紗枝ちゃんいい子だから……」

 この上なく明確な回答だった。スマホをテーブルに置き、缶バッチと並べる。もしわたしがBLを楽しめる状態だったのなら、彼女の相手もテンションだけで乗り切れたのだろうか。いや、無理な気がする。むしろ彼女の影響でBLを楽しめなくなっていたのではないだろうか。それぐらいのパワーがある。悪い意味で。

 三浦紗枝お悩みランキング、第二位。

 ヤバい後輩に好かれた。

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