止まる世界(6)

 何が「あんたの友達なんかよう知らんわ」や。

 標準語の時点で噂の転校生なん確定やろ。めんどくさがらんで教えろや。何のために聞いたと思っとんねん。くそっ。

「体調、大丈夫?」

 安藤純がおれが寝ているベッドの傍に腰を下ろした。自然と、目線が上目づかいになる。おれはそっぽを向き、ぼそぼそと小さな声で答えた。

「ぼちぼち」

「明日は来られそう?」

「明日になってみな分からんわ」

「そっか。まあ文化祭は二日あるし、無理はしない方がいいよ」

「……そやな」

 口を閉じる。安藤純も同じように黙り、静寂が部屋に満ちる。三十秒で話題が尽きてしまった。気まずい。

「……お前、何しに来たん?」

「お見舞い」

「そうやなくて、なんでわざわざ見舞いになんか来とるんやってこと。秀則も史人もおれが休んで見舞いに来たことなんかあらへんぞ。東京の文化か」

「まさか。個人的に気になってるだけだよ。五十嵐くんだって僕のこと、個人的に気になってるでしょ」

 どくんと動脈が波打った。安藤純が視線を床に落とし、物憂げに呟く。

「昨日のこと、聞いたんだ」

 昨日のこと。おれの暴言が世界を止めた、その瞬間の空気感が脳裏に蘇る。

「まあ、前からそういう気配は感じてたんだけど、思ってた以上に無理させてたんだなって気づいてさ。それで、謝りに来た。お見舞いよりそっちが本命。本当にごめん」

 安藤純が深く頭を下げた。謝っている。安藤純が、おれに。こいつはそのためにここに来た。

 ――なんで?

「僕にだって好き嫌いはある。だから五十嵐くんが僕を受け入れられない気持ちは、分からなくもない。まあそういう人もいるぐらいに思ってるし、だから五十嵐くんが僕に苦手意識を持っていること自体は、正直そんなに辛くないんだ。ただ――」

 お前が謝る理由がどこにあんねん。謝らあかんのはおれやろ。お前はただ、自分の生きたいように生きとるだけやろ。

「僕のせいで五十嵐くんが孤立するのは、辛い。でも僕はこういう風に生まれちゃったから、今さらそれを変えることなんてできない。それに悪いけど、五十嵐くんのために僕が孤立する気もない。僕には僕の人生があるから」

 悪くない。お前は何にも悪くない。悪いのは、間違っとるのはおれや。

「だから、お互いが納得出来る形を探すために話がしたいんだ。まずは五十嵐くんが僕にして欲しいことを教えてよ。その中から出来ること、出来ないことを考えて、落としどころを探っていこう」

 止めろ。

 おれから、逃げ道を奪うな。

「……安藤」

 声をかける。反応があったことを喜ぶみたいに、安藤純の頬が柔らかく緩む。ああ、こいつ、ほんと――

 ――ムラムラする。

「やらせろ」

 上体を大きく、ベッドの外に傾ける。

 左手で安藤純の後頭部を掴み、唇に唇を押しつける。目を白黒させる安藤純と至近距離で見つめあう。やっぱり、瞳は綺麗だ。えぐり取ってしまいたくなるぐらい。

 安藤純が身体を後ろに引いた。おれはその動きを追いかけ、ベッドからずり落ちる。仰向けに倒れる安藤純の上に馬乗りになり、自分に言い聞かせるように呟く。

「こうされたかったんやろ?」

 頭が火照る。チリチリと焦げつく。風邪は、仮病だったはずなのに。

「仲間がここにおるで、一緒にやろうやって、アピールしとったんやろ? そんために、虫みたいに嫌われるの分かってて、カミングアウトしたんやろ? なあ」

 身体を屈め、顔と顔を近づける。大きく見開かれた安藤純の瞳に、下卑た笑いを浮かべるおれの顔が映る。

「ええよ。やろうや。おれも――」

 ゴンッ!

 骨と骨がぶつかる鈍い音が、鼓膜の内側にじんと響いた。同時に額に衝撃が走り、おれは目を閉じて頭を抑える。頭突きを喰らったと理解し、痛みに顔をしかめながら目を開いたおれの視界に、今まさに握り拳をおれの腹に叩き込もうとしている安藤純の姿が映った。

「止め――」

 ろ。

 鳩尾に拳がクリーンヒットした。おれの全身に震えが走り、口にしかけた最後の一音が飲み込まれる。腹を抑えながら横に転がるおれに合わせ、マウントポジションから解放された安藤純が口を拭いながらゆっくりと立ち上がった。

「さすがに、そういうオチだとは思ってなかったよ」

 学生鞄を肩にかけ、安藤純がおれを見下ろす。まだ走れそうなのに乗り捨てられた自転車を見つめるような、どこか寂しげな視線。

「僕は、虫みたいに嫌われてるかな」

 淡々と、感情を込めず、安藤純がおれに問いかける。

「秀則、史人、直哉、クラスのみんな、小林先生、僕のことを虫みたいに嫌ってるかな」

 答えは分かりきっている。だけどおれは答えない。十数秒の沈黙の後、安藤純が何かを諦めたようにおれから目を逸らした。

「カムアウトするもしないも自由だし、してる方がしてない方より偉いなんて言う気はないけどさ」

 踵を返し、おれに背を向けながら、安藤純が呟きを吐き捨てた。

「自分がビビッて動けないのを、他人のせいにするなよ。僕を認めてくれた全員に失礼だ」

 部屋のドアが、開いて閉まる。階段を下りる音がドア越しに聞こえる。おれは起き上がり、ベッドの上で布団をかぶり直した。もう何も考えたくない。その一心で目をつむり、夕飯も食べず、ただ蛹のようにじっと留まり続けた。

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