第9話:カレーと芸人と元カノと

「いや、俺さっきメシ食い損ねてしもたわ。」

「なんでや?」

「いやな、今日はどうもカレー食いたいな思うてカレー屋行こうとしてん。そしたら俺の車の前に軽トラがおって、荷台に工事現場の簡易トイレ積んでてん。」

「あるな。よう見かけるわ。」

「そしたらな、俺がカレー屋入ろうと思うてウインカー出したら、その軽トラが俺の目の前でトイレごとカレー屋の駐車場入ってん。店の仕入れ先かも?って思うたら食う気なくしたわ。」

「こら!今、お昼時やで!なんてこと言うねん!仕入先なわけあるかい!」

「でもよう考えたら原材料が国産やん?安心やなあ。」

「やめや!俺ケータリングにカレー頼んでもうたやんけ!どんな顔して食うたらええねん?」


つまらん、俺はすぐにYouTubeの再生を止めた。「ほんわかコング」のネタである。略して「ほんコン」。コンビ名に「ん」を入れると売れっ子になれる、というジンクスを大いに気にしたネーミングである。下ネタが多く小中学生に人気だそうだ。バラエティー番組のひな壇芸人としても有名で、突然「ブラボー」と叫びながら立ち上がって視界を遮り、後ろの席の出演者を怒らせるという芸で最近売れっ子らしい。


コンビでもツッコミの太った方が例の「木下純平」である。急に売れ出した芸人はワキが甘いことが多い。にわかに増えた取り巻きの中に半グレの関係者がいたのだ。最初はセックスドラッグである別の麻法を使っていたが、やがて「カンロ」にも手をだす。


それは、木下が「糖質制限ダイエット」で有名な「MoveUpムバップ」というジムとTVCM契約を結んでいたからで、どうにもダイエットが捗らなかったのが原因だった。


 というのも強化系魔法は魔法回路を持たない人間にはカロリーを要求する。だからてきめんに痩せる。木下はジムで運動するとこの「クラブ」の個室に入って暴飲暴食し、「カンロ」を使うのだ。効果がかなり抑えられているブツのため、魔法をぶっ放すまではいかないだろう。


 検挙は警視庁組対4課と合同で行うことになった。

「個人的にはですが、ダイエット効果がある、というのはあまり認知されたくないですね。」

時塚は若者たちに噂が広がってしまうことを恐れているのだ。しかし、変身後の姿はとても美しいとはいえない。だから「今のところ」は心配はいらないとは思うが。しかし麻法の開発は日進月歩。美しく変身できるように改良を加えられたら厄介だ。そうでなくても「ダイエットサプリメント」と偽装して取引されていることも多い。


4課がクラブに突入して木下の身柄を押さえ、マトリが売人を押さえる。


クラブの入り口で木下のマネージャーの女性が金を払ってブツを個室へともっていく。

売人バイヤーです。」

小野寺が式神を放つ。まさに超高性能ドローンである。おかげで俺たちは尾行せず行動を予期して先回りできる。


俺と時塚は二人組みの売人に先回りして六本木駅への入り口階段の前で声をかけた。驚いた男たちは走って逃げだす。彼らは人混みに紛れようとする。二手に別れないところを見ると迎えの車があるのだろうか?


普段の運動不足が堪える。俺は魔力を使う。土系魔法を駆使する九条流だ。自分を地球の重力の枷から少しだけ解放してやる。ホップ、ステップ、ジャンプ。あっという間に追いつくと売人たちに重力の枷をかける。100kg以上の荷物を背負ったようなものだ。堪らず二人は倒れこんだ。


「魔弾を撃ったんですか?」

手錠をかけながら時塚が尋ねてた。

「いや、九条流だ。背中にかかる重力を10倍にしてやったんだ。」

俺が答えると時塚は目を丸くする。

「すごいですね。今度俺にもその技教えてくださいよ。」

まあ擬似魔法回路デバイスを使えばできるだろう。こいつはなんでもできるからな。本当に出来る人間、というものは確かに存在する。


「でも技の名前がひどいんだけどいいのか?」

俺はにやりとしてから断りを入れる。怪訝そうな表情の時塚にややドヤ顔で教えてやった。

「『子泣き爺こなきじじい』だ。」

ぷっ、と笑いを吹きそうになるのを時塚は懸命に堪えた。

「それ、変えられないんですか?」

「俺も九条の爺様に名前を変えないという条件で教わったからな。」

恐るべきはネーミングライツなのか、ネーミングセンスなのか。


俺たちがパトカーに迎えにこさせ売人二人を引き渡し、再びクラブに戻るとそこは赤色灯を回したパトカーが何台も到着し、ものものしい雰囲気だった。逮捕されたのは木下純平と取り巻きの後輩芸人が二人、そして木下の事務所のマネージャーであった。


マネージャーは売買に関係し、後輩二人も使用の現行犯である。マネージャーはまだ若い女性だった。ピンストライプの入ったグレーのタイトスカートにジャケットといういかにも秘書風の女性だったが俺の目の前を通る時にギョッとなった。見覚えのある、いや見間違いもない顔だったのだ。


「香耶⋯⋯。」

尾崎香耶おざきかや、俺の元カノだったのだ。いや、今は結婚して高藤香耶たかとうかやだったはず。彼女は泣いていたのか目が腫れぼったかった。

「爽ちゃん、どうしてこんなとこに⋯⋯?」


「ああ。それは⋯⋯。」

俺が答える間も無く香耶はパトカーに乗せられて行った。

「例の元カノさんですか?まさか、⋯⋯本当に実在の人物だったんですね。」

時塚が感心したように言う。おい、空気読め空気嫁エアカノじゃねえから。


俺たちは取り調べが行われている六本木署に行った。売人の持っていた札から香耶の指紋が検出されたのだ。売買の立派な証拠だ。


俺が香耶の取り調べに呼ばれた。香耶が泣いてばかりで何も話そうとしないので、「知人」である俺なら何か話すだろう、という判断からだ。


「元気そうだな。旦那さん、何してる人だったっけ?」

俺が正面に座ると一瞬、縋るような視線をこちらに向けたがすぐに表情を消した。


香耶と俺は幼馴染だった。初めてあった時の香耶は、まだ小学生で俺の三つ下の弟の同級生でよく家に同級生たちと遊びに来ていた。さっぱりとした性格の女の子で、三つ下の弟がいたせいかわりと姉御肌であった。面長で、ぱっちりとしたやや切れ長の二重瞼に睫毛の長い美少女だった。なにしろ俺のドストライクな顔立ちだったので、目一杯可愛がった。


俺が天使憑きになって実家を離れ、しばらく彼女との音信も途絶えていた。俺が九条の家から逃げ出して実家に戻って来た5年前、香耶と再会して付き合いが始まった。

香耶はネットのニュース番組の制作会社に勤めていて、忙しい日々を送っており、当時無職の俺が彼女のアパートへ行って家事をこなしているうちにそんな関係になってしまったのだ。ああ、九条の家で家事は一通り叩き込まれるので、何でもできるんだよ、家事は。


昔から俺の嫁になれよ、と子供ながらにプロポーズしていたが、

「私、どっちかって言うとお嫁さんが欲しいタイプなんだ。」

とはぐらかされていた。まあ俺がひもになったわけだ。


でも、どんどん香耶の仕事が忙しくなっていき、あまり家に帰ってこなくなった。俺も新橋の居酒屋組合の用心棒のバイトをはじめたこともあり、だんだんとすれ違っていったんだ。

そして1年前、別れを告げられたのだ。


理由は「向上心の無い俺と一生いるつもりはない」、だった。俺は「疲れる」男だったのだ。俺的には気をきかせて彼女を楽しませているつもりが、逆に彼女が俺に気を使っていたのだ。もっとも、彼女にはすでに別の愛する男性がいて、その男が新たに事業を立ち上げるのでそれをサポートしたい、と言うのがもう一つの、そして本当の理由だった。


俺は彼女のアパートを出て「濁庵」のオヤジさんの実家が経営するボロアパートに転がり込んで今に至る。


香耶の旦那さん、高藤一幸たかとうかずゆきは新興の芸能プロダクション「ライオンヒル」の社長である。「ほんコン」も所属タレントの一人、というよりは稼ぎ頭だったのだろう。マネージャーの香耶も二人の、というより木下のわがままに振り回されていた。

主にネタを書いていたのはボケ担当の山城という男で、オシャレなカフェでネタを書くのが好き、という手がかからない男なだけに余計に木下のワガママが堪えたのだと言う。


香耶は何の麻法だったかは知らない、と主張した。取り引きも初めてだと主張する。休憩を入れ、香耶の口を開かせる、という役目を終えた俺はここで別の刑事と交代した。口を割らせるにはやはり手管や経験が必要で、俺にはそれが欠けている、ただそれだけのことだ。


社長の妻よりも後輩二人に口を割らせた方が早いだろう。俺たちは売人の取り調べをしている部屋へと向かった。


その時、取り調べ室の方からドン、という物凄い音が響いた。爆弾が炸裂したような低周波だ。















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