上田俊の話②

上田俊は雪降るその日の3日前に死亡し、今では幽霊として存在する金谷美花の忘れ物の指輪を探していた。

指輪についての特徴は大方、金で出来ており内側には自分の名前のイニシャルであるK・Mの文字が刻まれているのだそうで紛失したのに気づいたのは昨日のことらしい。

しかし、それらの情報を知ったところで雪が積もる中での指輪探しに進展は無かった。

素手で雪をかき分けていたせいで上田俊の手は赤く染まっていた。それを吐く息で温める姿を見ていた金谷美花は申し訳なさそうな表情を見せる。

「ごめんね、こんな事させて」

「いいですよ、慣れてますから」

さも当然のように言う上田俊に金谷美花は瞬きをせずに問いかける。

「慣れてるって、こうして死んだ人と話すことが?」

「ええ、まぁ…小さい頃から見えてたので。そのせいで色んな事にあって、大人には変わった子と言われて気味悪がられて避けられたり散々でした」

「だったら、どうして私を助けたの?」

その問い掛けに彼は神妙な顔になって金谷美花を見ないよう視線を落として地面の積雪を見つめながら答えた。

「最初はそんなこともあって関わるのさえ嫌でした。けど僕が中学に上がってある出来事があったんです」

「ある出来事?」

「ええ、その出来事で僕はある人に出会って、考えが変わったんです。自分にしか見えないモノなのだから。それなら僕が出来ることは自分の力を正しく使わないといけないじゃないのかと教えられたんです」

上田俊は見つめていた雪から目を逸らすと再び腰を屈んで指輪を探し始めた。


これは上田俊がまだ中学に上がったばかりの頃の話だ。

クラスの人間は一方に小学校からの友達を探したり新しい出会いを模索しようとする中で、彼は席に座り退屈そうに頬杖をついていた。

というのも、彼は小学校を卒業すると共に長年住んでいた町を親の都合で引越すことになり新たにこの町に移り住んできた為、転校生という地位も得られず。この世に存在し得ないモノが見えるせいで元より少なかった知り合いが完全にいなくなってしまい心機一転の機会である進学という華々しい出来事に対しても虚ろな表情を浮かべていた。

自分以外の人間が楽しそうに喋り交流をする姿を目下にしていても、それは地獄のような退屈の時間が過ぎるだけで、実際、暫くの間は教室の壁に貼り付けられた時計を一日に何度も見るような生活を送っていた。


そんな彼に転機が訪れたのは中学校に入学してから丁度一ヶ月が経った時だった。

学校が終わり放課後になると何の部活にも所属していなかった彼はいつものように一目散に帰路についたのだが、その日は午後から雨が降っており傘を差しながら歩みを急いでいた。

手に冷たい水玉が一粒ついて、ふと目の前を見るとそこには大学生のような容姿をした女性が小雨とはいえ傘も刺さずに辺りを見渡しながら何かをしているようであった。

上田俊はその瞬間、そのあまりに異様な光景な姿でいる彼女のことを幽霊だと認識した。

そんなことを思っていたその時だった、気づかぬうちに彼女は上田俊の目の前に来て立ち尽くし傘の下から覗き込むようにして彼の顔を見つめた。

「ねぇ、聞いてる?」

怒ったような表情で問いかける彼女に上田俊はいやいやそうな表情を露骨に浮かべそっぽを向いて関わらないように無視をした。

「なに、無視するの。感じ悪いなぁ」

言いながらも彼女は上田俊の顔を逃すまいと大きく目を開き何かを探るような表情を浮かべるとたちまち不思議そうな表情を見せた。

「幽霊とは関わりたくない…?キミ何言ってるの?」

「えっ!?」

何を言っているのか、それを聞きたかったのは上田俊の方だった。自分の心の中で呟いた言葉を彼女の口から出てきたのか、偶然にしてはこんな突拍子もないことを言い当てられることなど出来るはずもない。困惑する彼に対して不思議そうな表情を浮かべた彼女は笑みを取り戻すと慌てたように言葉を付け足した。

「ああ、驚かせちゃったか。ごめんごめん。だけど無視したのはキミの方だからね?」

「でも、幽霊なんじゃ…?」

「何言ってるの、私は今こうしてキミの目の前で生きているでしょうよ?」

そう言って彼女は腕を広げて自身の雨に濡れた服を見せてきた。不可思議な光景だが、けれどその行動にどこか生ける人間らしさを感じた。

「それで、猫を見なかった?」

「猫ですか?」

「そう、うちで飼っている猫なんだけど。三毛猫で赤色の首輪をして右足には昔の怪我の傷があって名前はみーさんって言うんだけど知らない?」

上田俊は呆然として彼女の言葉を反芻してみたが、それらしき姿は疎か、雨が降りしきる住宅街の夕方には人とすれ違うこと自体が片手で数えられるほどであった。

「いえ、知らないですけど」

「そっか…」

困ったような表情を浮かべた彼女は何かを考えるように目を閉じた。

その姿を上田俊は傘を少し上に傾け見ていた。すると突然、目を開けた彼女は上田俊を捉えて改めて口を開いた。

「少し手伝ってくれない?」

そう言って彼女は上田俊の腕を掴むとそのまま彼を連れて雨の中を歩いて行き始めた。

「ちょっと、どこ行くんですか?」

上田俊はしばらく雨に濡れながら歩く彼女に連れられると不服そうな声を上げた。そんな彼を見ることなく、腕を掴み続ける彼女は呟いた。

「キミにしか出来ない頼みごとを頼みたいんだけど」

「僕にしか出来ないことって」

上田俊は出会ったばかりの彼女が何を知っているのかと苛立ちにも似た気持ちを持ったが彼女はそんな彼を気にすることなく歩みを止めずにそのまま暫く歩き続け目的地についたのか腕を離すと、同じく上田俊も顔を上げて見た。

たどり着いたその場所というのは、例によって彼が一番嫌う場所であった。

「なんで、墓地なんてきたんですか」

普通の人間ならば、ただ墓石が立ち並ぶだけの存在だろうが、モノが見える人間からしてみればその場所というのは嫌う対象が溢れかえるほどに集まっていた。

こわばる上田俊にすっかりずぶ濡れになった彼女は言った。

「キミならここにいる彼らと話すことが出来るんじゃない?」

「それは…」

言いかけた言葉を飲み込んだのは、彼がこれまで自分の力に対して良い印象がなかったからだ。言ってしまえばまた厭味、蔑まれるのではないかと無意識に言葉を飲み込んだからだった。

しかし、そんな事は彼女からしてしまえば関係のないことだった。

「キミは自分の力をいいように思っていないのは、私も少し違うけどそうだったからよく分かるわ。けどよく考えて見て、自分にしかない力を持っているならばその力を誰かのために使うって言うのも悪くないんじゃない?」

その問い掛けに上田俊はふと何かが晴れたような気がした。自分の力について、そんな風に思ったことは一度もなかったから。

「まぁ…これは受け売りなんだけどね」

呟く彼女に、しかし、上田俊は自身の心の中の雪が溶け出していくのを感じた。

「それで、何をして欲しいんですか?」

「うん?」

含みを持った笑みを持った彼女に上田俊は再び問いかける

「僕は彼らと何を話せばいいんですか?」

「うちの猫の居場所を探して欲しいとお願いできないかな。うちの猫はそこら辺の猫とはちがくて頭がいいから人手がいるのよ」

言いながら、彼女はまるで目の前にいる彼らモノを見ているような素振りを見せた。しかし、実際に見えているわけではないだろうことは彼女自身から伝わってきた。


それが始めて、上田俊が自分からモノに近づいて行った初めての日だった。

その件はその後、彼らの協力のおかげもあって猫の居場所を探し当て無事に見つけ出すことができた。

「ありがとう」

彼女はそう言ってすでに雨が止んだ道路の上で腕に猫を抱きながらお礼を口にした。そんな彼女の姿に上田俊はどこからともなく朗らかな気持ちだった。

「別に、気にしてないですよ」

「うん、確かにそうみたいね」

彼女はうっすらとした笑みを浮かべると水たまりがチラホラとできた道路を歩き始めながら腕に抱えた猫に何やら怒りながら話しかけているようだった。

上田俊は手にしていた傘を折り畳むとその彼女の後ろ姿を見つめながら名前を聞くことを忘れていたのを思い出した。

「また会えるかな」

上田俊はその日の不思議な出来事を今日も思い出していた。

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