立花司の話
立花司(たちばな つかさ)は雪が降るその日、息を切らしながら雪が積もったコンクリートの道を走っていた。
というのも、彼のガールフレンドである川瀬恵(かわせめぐみ)に大事な要件を伝えようと待ち合わせをしていたのだが生まれた時から歩けば棒に当たる犬のように、道路を歩くと重い荷物を持った老人に出会い、道に迷う子供に出会い、カツアゲをされる中学生に出会う。
それらの出来事を普通の人間ならば横目に流すだけなのに性根の良い立花司は放っておくはずもなく、降りかかる物事に自ら飛び込んでいった。
そんな、彼はその日も、待ち合わせ場所へと向かう道中に様々な苦難を乗り越えていると待ち合わせの時間ギリギリになってしまった。
「やばい、やばい…」
白い息を吐き出しながら立花司は彼女からもらった腕時計の針を覗き、コートのポケットに入れていた四角い箱の感触を確かめた。
立花司が川瀬恵と付き始めたのは雪が降るその日から、ちょうど十年前の事だった。高校生の同級生という仲から一歩進展したその日から彼らは持ちつ持たれずの関係を育んでいた。大学生の頃から同棲をし始め卒業と共に就職をしてそれなりの社会的地位を確立している二人は言葉には出さずともそれとなくカップルでの次のステップである結婚を意識し始めた。
だから、とりあえず形だけでもプロポーズしようと彼は付き始めて10年目のその日にポケットに入れた指輪を手渡そうとしていたのだ。
そんな折、近道である住宅街を駆けていると三叉路の中心に人の姿があった。
セーラー服の上からコートを着て、防寒対策のマフラーを顔に深く沈めているせいで表情を読み取ることは出来なかったが辺りを見渡しながら手に持った携帯電話をぐるぐると回している姿はまさに路頭に迷う一人の女子高生の背中だった。
立花司はその女子高生の姿に声をかけようかと咄嗟に一歩踏み出したが、しかし冷静になって考えてみると成人男性が女子高生に話しかけるというのは字面だけを見てみても問題に発展しかねなかった。
立花司は暫く一歩踏み出した状態で立ち止まりながら迷える女子高生の姿を見つめた。
すると、ふいに顔を上げて立花司の姿を視認した女子高生は困ったような表情を見せた。それもその筈、大の女子高生が道に迷ったなどと成人男性に相談を持ちかけるのは問題であったからだ。
だけれど、そのまま時間が過ぎれば無益である事は百も承知で、女子高生は何かを決意したのか困った表情を浮かべていた顔を一転させて、怒ったような表情になった。どうやら自分からは切り出せないからそっちから話しかけろということなのだろう。
立花司は左足を大きく前に出すと一歩一歩、不機嫌そうな表用を浮かべる女子高生のもとへと歩み寄った。
「何かお困りですか?」
「道に迷ってしまって」
彼女はそう言いながら自分の携帯をちらりと傾けて立花司にも見えるようにしてみせた。
その姿はどこか、自分の彼女の姿を思い起こしていた。
「日暮駅まで行きたいんだね?」
立花司の問い掛けに驚きながらも女子高生は呟いた。
「え、はい」
どうして分かったんですかという声を彼は答える前にすぐさま頭を巡らせ現在地からの道順を考えた。
「それじゃあ、ここを右に行って突き当たりを左に曲がるとコンビニがあるからそこを右に曲がって真っ直ぐ行けば着くよ」
「ありがとう…ございます」
一礼する女子高生の髪が肩から流れ落ちるのを見ながら立花司は腕時計の時間を確認していた。
迫りくる時間に、礼を続ける女子高生に別れを告げようとしたその時だった。頭を上げた女子高生は目の前の立花司を見つめると口を開いた。
「何かお礼します」
その言葉は、まさに危機を感じるものだった。
「いや、別にそんな見返りを求めるわけに教えたわけじゃ無いからいらないよ」
「私、人に恩を作る主義じゃなんです」
その言葉に立花司は苦笑いを浮かべるしかなかった。このまま自分が押し問答を続ければ時間という時間がなくなりかねない。
「それじゃあ参考に、プロポーズの言葉って女の子はどんなのがいいのかな?」
その質問に一瞬だけ驚きの表情を見せた女子高生だったが、直ぐに何かを考える表情を見せた。
「気取らずに、焦らずに、自分の本心を言えばいいんじゃないでしょうか」
立花司はその言葉に笑みを浮かべて小さく頷くと小さく挨拶をして女子高生とは反対に左の道へと再び走り出した。
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