番外編 夢
久しぶりに帰ってきた正人は懐かしさに浸っている余裕はなかった。
昼間に店を出たのに太陽はすでに沈みかけている。
「先輩!」
改札を出た彼のもとに走り寄って来たのは良樹の妹、合田美穂。
「良樹は?」
「だめです、スマホの電源切ってます」
「…あのボケ」
「一体何があったんですかっ?」
その問いに答えることができない正人。
嫌な予感は間違いなく的中しているだろう。
渡辺に連絡しても繋がらない、彼女の周りの友人に連絡しても同じ答えが返ってきた。
渡辺に何かがあって、良樹が動いたんだ。
良樹は師範代になることを断念し家、道場を出て彼女を助けようとしているんだ。
「…先輩?」
「家に帰ってろ」
「でも…」
「俺にまかせろ」
柏木正人の悪評を美穂は当然耳にしたことがある、だが知っているのだ。
「帰ってろ」
困った人がいると放っておけない人だということを。
とりあえず彼は渡辺の家に向かった。
もちろん知っていたわけではなく場所は彼女の友人から聞いた。
インターホンを押すとやつれた表情の中年男子が出てくる。
「アンタ渡辺の親父さんだな」
「…君は?」
「娘はどこだ」
「あの子は…」
正人は俯く彼女の父親の胸倉を掴んだ。
「答えろ、何があった」
「…っ」
優しく問いかけている時間はない彼は攻撃的な態度を取る。
「…連れていかれたよ」
「はぁ…やっぱりか」
手を放して大きくため息をつく。
思っていた通り渡辺は例の暴力団に連れていかれた。
裁判で負けたことにより多額の金を失った連中はその額を弁護士である彼に請求してきたのだ。
金を払えば娘には何もせずに解放、だが応じなければ最悪な状況が待っている。
「こんな事許されるわけがないんだ…」
「あ?」
「…絶対に法で裁かれる」
「…」
「私は暴力に屈しない…っ」
それでしか解決できない生き物もいる。
「昨日の夜に来たガラの悪そうな少年も君の友達か?」
きっと良樹だ。
「君と同じ質問されたよ」
「…」
「暴力では何も解決されないのに…」
「…」
「すぐに裁判を起こして…ぐっ」
最後まで言葉を待つ余裕がなかった正人は男の顔面を殴っていた。
「何をす…」
「娘の身や心は法律が何とかしてくれんのかよ」
「…」
「弁護士?んなこと知らねえよ」
何かあってからでは遅いんだ。
自分は頭がいいから、自分は弁護士だから、そんな地位が今何の役に立つというのか。
「教えといてやる」
「…何を?」
「昨日来たガラの悪そうな少年はな」
暴力沙汰や数々の問題を起こしてきた良樹、そんな少年がずっと逃げていた将来にやっと向き合う気になったんだ。
「全部捨ててお前の娘を助けようとしてんだよ」
「え…」
「家も未来も全部だ」
友達というほど親しくもない女のために。
「確かにアイツは馬鹿だ」
「…」
「でも今、良樹よりも馬鹿なやつは誰だ!」
「あ…あ」
崩れた父親は自分の無力さを受け入れた。
「三丁目の…廃工場が事務所だ」
「あそこか」
この街に住んでいた彼は当然その場所を知っていた。
「娘と…彼を頼む」
「ああ」
その後の言葉を待たず彼はその場を走り去った。
良樹が動いているのに未だに渡辺は帰ってこない理由はすぐにわかることになる。
当然正人が取った行動は正面突破、入り口付近で男三人に止められたが一瞬で沈めた。
錆びた扉を開けるとたくさんの視線が一気に正人の方へ向いた。
「んだコラ!」
「何しに来やがった!」
などいろいろ問われるがとりあえず彼は周りを見渡した。
真ん中に一人、見覚えのある女がソファに座らされている。
うっすらと渡辺の口元から血が出ているがそれ以外は何ともなさそうだ。
「ま…さ…」
そして奥でうずくまって倒れている男。
生きているのか不思議なほどのケガを負っている良樹は彼の姿を見て驚いていた。
「ずいぶんイケメンの面になったな」
「…ふ…」
安心した良樹は全てを彼にまかせ静かに目を閉じた。
「誰だって聞いてんだコラァ!」
シビレを切らせた一人が正人に怒声を浴びせた。
「そいつの…相棒だよボケがっ!!」
仕返しが怖いなら仕返しができないほど暴れてやる、正人はそう決めて地獄の輪の中に駆け出した。
良樹の頑丈さとズバ抜けた回復力は正人が一番よく知っている。
あれだけのケガでもきっと彼なら一ヵ月もかからないだろう、と正人は先週起きた出来事を思い出していた。
渡辺家を悩ませていた暴力団はたった一人の少年に潰されたという恥ずかしい汚名を背負い完全に破滅。
彼女は顔を一度ぶたれただけでそれ以外は無事。
良樹はやはり道場のこともあり手を出せずにただひたすら渡辺のために頭を下げていたそうだ。
「世話になったな正人」
「ああ、というか何しれっと店にいるんだお前は」
訂正、医者の言う全治何ヵ月など合田良樹には関係なかった。
「さすがにな、まだ痛いよ」
「特に頭か…」
「…頭の痛い子みたいに言うな」
確かに身体中包帯だらけである。
「この店に行く、って言ったら聞かなかったのよ~」
店の洗面所から出てきた渡辺は呆れながら良樹の隣に座った。
自然に彼の外れかかった頭の包帯を結び直す渡辺。
――――つまりそういうことである。
渡辺からすれば良樹はヒーローであり、彼女の父親からすれば娘の危機を救った恩人。
「渡辺」
「なぁに~?」
「男はちゃんと選んだ方がいいぞ」
「本人が目の前にいるのによく言えましたね!」
あれ以来この二人は付き合うようになった。
最初は看病も断り続けた良樹だが意外なことに渡辺が結構頑固だったことだ。
彼女の猛アタックにやられたわけである。
「そういえば」
「ん?」
何かを思い出した渡辺は真剣な眼差しで正人の方を見た。
「柏木君の恋人見てみたい!」
「…ぐっ」
口に含んだコーヒーを吹き出しそうになってしまう。
――――良樹、言ってなかったのかよ。
といった視線を良樹に向けると本人は手を合わせて謝罪のジェスチャーを正人に向ける。
「会うまでは帰らな…」
「ただいまぁ」
優しい言葉と共にゆっくり扉が開かれる。
「…んが」
現れた人物を見て言葉を失う渡辺、当然の反応である。
「あら渡辺さん、久しぶりね」
「ね、ねねねね猫宮先生!?」
猫宮真夏とは正人と渡辺の元担任であり、今は彼の恋人。
「正人君から話は聞いていたわ、大変だったみたいね」
「…柏木君」
「…なんだ」
「私の知っている先生とは別人なんだけど…」
渡辺の知っている彼女は冷血の猫と呼ばれ、笑うこともなければ怒ることすらしないロボットのような女性。
それが今では…。
「待っててね、何か作るから」
「…ひぇ~!」
物腰の柔らかい、眩しい笑顔を放つ綺麗な女性。
「やっぱり先生と柏木君はくっついたんですね!」
「ふふ、そうね」
カウンターに立つ真夏に嬉しそうに話しかけている渡辺。
久しぶりに会う担任の前ではしゃぐ彼女のその姿はまるで子供のようだった。
「なぁ正人」
「あ?」
その光景を眺めていると小さな声で良樹が彼に話しかける。
「俺、夢が一つできたよ」
「夢?」
「俺達の子とお前達の子を友達にしたい」
「…」
気が早すぎる夢。
だけど想像してみれば悪くない光景が広がった。
「珍獣の子はちょっと…」
「人の子が産まれるのでご心配なく!」
いずれ叶う『彼らの夢』。
それはまた別の話。
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