いつまでも、ありがとう

野口マッハ剛(ごう)

「あなたなら、大丈夫よ」

 最近イヤなことがあった。

 高校からの下校中。

 そんなイヤなことは誰に話せばいいのかわからない。

 きっと毎日を過ごせば忘れられるだろうと俺は自分に言い聞かせる。

 下校中の景色にワクワクしなくなっていた。

 高校生になりたての春は、いつの間にか色を失っていた。

 きっと人生ってこんなものだ。

 俺は自分の感情にウソをつく。

 つまらない毎日、俺の高校生活。

 家に着いた。

 玄関の扉を開ける。

 お父さんはまだ帰ってこないはずだ。

 一人で勉強でもしよう。

 台所に向かう。お茶を飲みたいから。

 俺は目を疑う。

 そこに立っている人は笑顔だ。

 でも、ありえない。

 どうしてここに?

 俺が小さい時に死んだ人が立っている。

 その人はこう言った。

「おかえりなさい、高校はどうだった?」

 その人とは、お母さんだ。

 いったいなんなのだろう?

 夢でも見ているのだろうか。

 俺が小さい時にお母さんは死んだ。

「お母さんがどうしてここにいるの?」

 俺はそう言った。

 笑顔でお母さんは「何を言っているの?」と返した。

 わけがわからない。でも、ちょっと不思議な感じだった。目の前に笑顔のお母さんが立っている。

「私は家から外には出られないの。料理を一緒に作ろうよ!」

 そう言ってお母さんは見覚えのある手作りレシピ本を取り出した。確か昔にお母さんが書いた料理のレシピ本。

 俺はそれを手にとって読んでみる。

「料理を作る時には、必ず手を洗おうね。

 材料を全て揃えておこうね。

 火を使う時は、家に大人の人が居る時にしようね。

 火を使うのが、慣れた時が、一番気が緩むので、気をつけてね」

 懐かしい感じがする。そう言えば俺が小さい時にこのレシピ本を読んだ気がする。

「さあ、作ろうよ」笑顔のお母さん。

「うん!」俺も笑顔になった。

 手作りレシピ本をもとに、まずは簡単おにぎりを作ることになった。サランラップを切って広げる。その上に温かいご飯をのせる。

「具は何にする?」

 お母さんがそう言った。

「鮭がいい」

 俺はそう答えた。

 ご飯の上に鮭をのせて、サランラップでボール玉にする。上手くボールになったので、ラップを広げて海苔をまいた。

「ボールおにぎり完成ね」笑顔のお母さん。

 俺も笑顔になる。そのおにぎりを食べてみる。

 すごく美味しい。

 お母さんと楽しくボールおにぎりを作っている内にイヤなことは忘れていた。

 するとお父さんが帰ってきた。

 あ、ヤバい。死んだお母さんを見てなんて言うだろうか? けれども、普通にお父さんはお母さんにただいまと言った。あれ? どうして?

「さあ、晩ごはんにしようね」

 笑顔のお母さん。

 俺は不思議な感じだった。

 また家族三人で暮らせるなんて。

 三人でテーブルを囲む。

 ボールおにぎりをいっぱい作りすぎたみたい。

 あとはお母さんの作ったサラダや焼き魚。

 今までお父さんと二人で晩ごはんを食べていたけど、これからは死んだお母さんも一緒だ。

 すごく嬉しくなった。

 次の日も学校がある。俺はお母さんにおやすみと言って眠りについた。

 朝になった。お母さんにおはようと言って朝食をとる。お母さんはお弁当を作ってくれた。なんだか高校に登校するのが楽しくなっている。

 高校でイヤなことがあっても、お母さんのことを考えるとなんてことはない。昼ごはんにお母さんが作ってくれたお弁当を食べる。不思議な感じだ。

 そして、家に帰る。お母さんは台所で笑顔で立っている。不思議な、それでいて嬉しい感じだ。

 ホイル焼きを一緒に作ることになった。

 今日は白身魚とえのきを使って料理をする。

 まずは魚の切り身を洗う。そしてクッキングペーパーで水気を拭く。えのきは石づきを包丁で切る。アルミホイルに魚の切り身とえのきをのせる。マヨネーズとしょうゆで味付け。ふんわり包んでオーブントースターで十分ほど焼く。その間にお母さんとこんな話をする。

「お母さんは生き返ったの?」

「ううん、違うよ?」

 それなら、どうしてこの家にいるのだろう?

「高校は楽しいの?」

「イヤなことがあるけど、お母さんが戻ってきて辛くないよ!」

 それは本当のことだ。

「そう、それならよかった!」

 俺とお母さんは笑顔になった。

 そうこうしている内にホイル焼きが出来上がった。いい匂いだ。

 お父さんが帰ってきた。

 今日も家族三人で晩ごはんを食べる。

 すごく俺は幸せだ。

 死んだお母さんが戻ってきてお父さんもいて、俺はずっとこういう普通の家族を望んでいた。

 今日も俺はお母さんにおやすみと言って眠りについた。

 それから朝になった。

 俺はふと、こう思った。

 きっとお母さんは俺と料理がしたくて戻ってきたのだと。死んだお母さんは手作りのレシピ本を書いていた。だから、お母さんは生き返ったのだと。

 でも、やっぱり不思議な感じだった。

 今日もお母さんの作ったお弁当を持って高校に行く。高校生活はちょっとずつ楽しくなっていた。友だちがちょっと出来て、片思いの女の子もいる。

 お母さんが戻ってきてから、学校生活に色が戻ってきた。

 そう思うのは違うのだろうか。

 いや、そんなことはない。

 きっとお母さんのおかげだ。

 高校から下校して玄関の扉を開ける。不思議な家の中だ。家は何も変わっていないのに、笑顔のお母さんがそこにいる。

「お母さん、トンカツを買ってきたよ。頼まれたトンカツ」

「ありがとう、トンカツ丼を作るよ?」

 お母さんと一緒に料理をすることになった。

 まずは玉ねぎを切るために茶色の皮をむく。玉ねぎの頭と底の根の部分を切る。たてに半分に切り、スライスにする。トンカツも切る。そして卵をボウルに割ってかき混ぜる。フライパンに水100cc、だしの素を小さいスプーンで二杯、砂糖を二杯、しょうゆを三杯。切った玉ねぎをフライパンに入れて三分煮る。切ったトンカツを入れて二分煮る。そしてかき混ぜた卵をかける。少し強火にして一分。

 トンカツ丼が出来上がった。

 それを三人分作る。

 お父さんが帰ってきた。

 三人でトンカツ丼を食べる。家族で楽しく会話をする。

 ふと、こう思った。

 いったいいつまでこの幸せが続くのだろう?

 それを思うと急に不安になった。

 死んだお母さんは笑顔でトンカツ丼を食べる。

 なぜか不安は消えていった。

 次の日。

 今日は高校が休みだ。

 家の中でお母さんと二人で話をする。

 いつまでもこうしていたい。

 けれども、目の前にいる死んだお母さんは作り笑いをしているように見える。

 気のせいかな?

「それで、片思いの女の子はどんな人なの?」

「うーん、とっても可愛い人だよ」

「へぇ、話したことはあるの?」

「いや、まだだよ?」

 お母さんはちょっと考える。

 それからこう言った。

「話さないと何も始まらないよ?」

「うーん、そうだけど……」

「きっと恥ずかしいのよね?」

「俺はその女の子を見ると、頭が真っ白になるんだ」

「そうなの? でも勇気を出さなきゃ!」

 確かにそうだけど。

 俺はお母さんにこう聞いた。

「話は変わるけど、お母さんはいつまでいられるの?」

 すると、お母さんの表情から笑顔が消えて、俺にこう言った。

「わからないよ……。そもそも、どうしてここにいるのかもわからないの。けれども、今はこうしてあなたといられて嬉しいよ。……そうね。いつまでいられるかしら…………」

「お母さん、俺はお母さんといられて嬉しいよ? そっか、わからないんだね。お母さん、戻ってきてくれて、ありがとう!」

 お母さんの表情に笑顔が戻ってきた。

「こちらこそ、ありがとうね」

「うん!」

「さあ、晩ごはんを一緒に作ろうね?」

 それから、また学校の日。

 登校している時にこう思った。

 今日は片思いの女の子におはようと言ってみようかな。

 よし、決めた!

 高校に到着して片思いの女の子を探す。

 教室に入る。

 あ、いた。

 片思いの女の子が。

 あ、ヤバい。

 頭がくらくらする。

 俺は深呼吸をする。

 よし。

 片思いの女の子の目の前に立つ。

 女の子はきょとんとしている。

 よし、言うぞ……!

「お、…………おはよう………………」

 思ったより、俺の声は小さかった。

 すると。

「うん、おはよう!」

 片思いの女の子の可愛い表情に俺はなぜか汗が吹き出る。言えた……、俺は自分の席に着いた。

 よっしゃ!

 その日の高校にいる間はずっと嬉しい気分だった。

 そして下校中。

 俺は片思いの女の子におはようと言えたことを心の中で喜ぶ。そうだ、お母さんに報告しようかな。

 俺は楽しみにする。

 家の玄関の扉を開ける。

 台所にはいつも通りにお母さんが笑顔で立っている。

「お母さん、あのね!」

 すると、お母さんは俺を抱きしめてゆっくりと消え始める。

 お母さん?

「今まで、ありがとうね。あなたなら、大丈夫よ」

 え、そんな……、やっと高校生活も楽しくなってきたのに……、お母さん、行かないで……。

 温かかった。

 抱きしめられた感触がなくなった。

 お母さんは消えた。

 しばらく、そのまま立っている俺。

 なんだよ……。

 せっかくお母さんが戻ってきたのに……。

 お別れなのかよ?

 俺は夢を見ていたようだ。

 そうだ、きっと夢だったんだ。

 勉強でもしようかな。

 するとお父さんが帰ってきた。

 お父さんは前のように、俺と二人の生活に戻っている。まるで、お母さんのことは忘れているかのように。いや、前と同じように死んだお母さんのことをぽつりと言う程度だ。悲しくなる俺。お父さんはここ数日間のことを覚えていないようだ。あれだけ楽しかった家族三人の時間。でも、それは、もう、ない。

 高校生活は楽しい。友だちがいて、片思いの女の子がいて、けれども高校生活の色が色あせそうで。お母さんはもういない。

 家の中にて。

 一人でお母さんの手作りのレシピ本を読む。

 どうしてお母さんは戻ってきたの?

 どうしてお母さんは消えていったの?

 ねぇ、どうして?

 読んでいる内に涙があふれてくる。

 どうして?

 ねぇ、どうして……?

 お母さんの手作りのレシピ本の最後のページには、こう書いてあった。

「料理は楽しいよ! 超簡単で、いいんだよ!」

 そうだ……。

 俺はお母さんのことを忘れないよ。

 もう、泣かないよ。

 短い間だったけど、楽しかったよ。


 いつまでも、俺はお母さんの子どもだよ。

 だから、ありがとう。

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いつまでも、ありがとう 野口マッハ剛(ごう) @nogutigo

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