大N市幕間:或る冬休みの午後/はじめてのぷらいべーとしょー
黄色の月
『ロウちゃんが魅せる!ストリートマジックショー』
夏の気配が迫って来た大N市——を管理するUGN支部群の1つである第九支部——の近郊にあるT公園に設営されているというイベント用ステージ。
そこを目指して地味な柄の長袖シャツに長ズボン、更にパーカーの重ね着……という季節にそぐわぬ厚着をした青年がのんびり歩みを進めていた。
青年の名は鏡屋冬至。同じく第九支部近郊にあるS大学に通う一年生でもあり、第九支部にてイリーガル登録を済ませているありふれたオーヴァードでもある。
……『自分は楽しい冬休みを毎日過ごしている』という思い込みをオーヴァードになった日から続けている事以外は。
(さーて、この辺りになるかな?)
ポケットにしまったチラシを引っ張り出し、ずれた黒縁眼鏡を直して幾度目かになる目的地の確認を行う。
手書きらしいちょっとふにゃふにゃな線で書かれた案内図の上方には、同じく手書きの可愛らしい文字で公園で行われるマジックショーの演目が書かれていた。
(カレンちゃんの時はエライ目にあったけど、こういう公演を観に行くのもたまにはいいよね。……とでも思わないと正直やってらんないよなぁ)
——このチラシは、鏡屋冬至の下宿先に届けられた物である。
深夜に投函された手書きのマジックショーの案内チラシは、翌朝通りすがった隣人に確認した所鏡屋の部屋にしか届いていなかったらしい。
正直な所メチャクチャ怪しかったので捨てようかとも思ったが、直近に似たような流れで封鎖されたショッピングモールに閉じ込められた上に命懸けの変態断ちとマスター狩りをするハメになった経験もあり。
念には念を入れて翌日の登校日を済ませた後、(支部長は忙しそうだったので)支部でなにかとお世話になっているイイ先輩——香具矢大吾にそこら辺の相談をしたのだが。
『オーヴァードは度胸!なんでもやってみるもんさ(要約)』
……という事で。
不安すぎる内心を抱えつつもマジックショーを調査する為、鏡屋は開催日である土曜日に1人重い足を運んでいる。
(香具矢さんなら、何らかのトラブルがあったと分かれば動いてくれると思うけどね……)
そうこうしているうちにT公園の入り口に差し掛かり、まばらな拍手が耳に届いた。どうもショー自体はこれから始まる様だ。
(のんびりしすぎたかな、急ぐとしよう)
本音はどうあれ、少しばかり足を早める事にした。
-------
会場として指定されたステージには既に幾人かの観客が座ってショーを楽しんでいた。
そちらに人が移っているのもあるだろうが、舞台から少し距離を置いた所にある自動販売機が置かれた休憩所は閑散としているようだ。
ただ今舞台にて手品を披露するらしい奇術師は舞台用と思しきお洒落とカジュアルを両立させたノースリーブの衣装に身を包み、緑がかった髪をふわふわしたツインテールで纏めた少女である。
(——あの子が『ロウちゃん』と判断して……いいのか?)
寄りかかっている自販機で買ったペット入りサイダーを空けながら、鏡屋は舞台の様子を眺めていた。
「ふふー、それでは最初のいりゅーじょんに移るとしましょうかー」
明るい表情で舞台の少女はトランプケースを取り出し、観客席を眺める。
(お、観客参加型のマジックかな?)
折角だし見物して行こうか、とぼんやり鏡屋が舞台の方向を眺めていると。
——少女と目が合った。
「!……」
「……んー、誰にお願いしましょうかねぇ」
しれっと少女は鏡屋から目を逸らし、観客席にいる子らを見定めている。
(……俺を補足した、か?)
念の為、『ピント』を視界に映す。眼鏡を掛けている時は精度が下がるが、1から合わせだすよりは確実に早い。
今の所少女が動く気配は無いが、なるべく自然に、しかし一刻も早くここを離れる必要があるだろう。
——誘い込まれるなら、それなりの備えをして殴り返すべし。
(自意識過剰かもしれないけど)ここで万が一オーヴァード同士の戦闘になれば自分1人で観客全員を守りきる事は不可能だ。
(彼女と2人きりになれる環境に……なるべく穏便にオーヴァードかも確認したい。いざとなったら出来るだけ狭い範囲に〈ワーディング〉。俺が怒られるだけで済めばいいけど、第九支部で〈ワーディング〉感知をしてたから危険人物だった場合でも異常は伝わる筈。……良し)
思案を纏めた鏡屋は飲みかけのペットボトルを引っさげ、お手洗いに行きたそうな演技をしつつそっと舞台から中座する。
(……むむー)
その姿を心なしか不満げに彼女は見つめていた。
——指定された一枚のトランプを当てる為に、シャッフルを続ける手をブレさせながら。
---------------
T公園の外れには小さな野球場の設備があり、たまに地元の野球チームが草野球に勤しんでいたりする。
今日は使われていないそこの球場の柵をこっそりと乗り越えた鏡屋冬至は、なるべく球場の外からは死角となる観客席に座って少しだけ時間を潰すことにした。
彼女の目的が本当に自分ならば——
「ふふー、お隣よろしいでしょうかぁ?」
——2人きりになれる瞬間を見逃すはずが無い。
「……ええ、どうかお気になさらず」
(でも思ったより大分早いな!)
頑張って冷静な顔を保ちながら促し、少女が席に座った。しばしの沈黙が続く。
「……先程マジックショーの方で見かけましたが、ここに居て大丈夫なんですか?チラシで見た限り演目はまだありそうでしたけど」
「ご心配いただきありがとうございまぁす。でも大丈夫ですよー、『代理』にお願いしてるので」
「そうですか……『ロウちゃん』さん、で良かったですかね?」
頑張り始める時には引きつっていてもとりあえず意識して笑みを浮かべる事にしている。
そうすれば、香具矢さんの様な余裕ができる気がするから。
「浪ちゃん、で構いませんよー。『鏡屋冬至』君」
「……やっぱり、貴女が捜していたのは僕ですか」
——眼鏡を外す。ぼやけた繋がりをはっきりさせる為に。
「少しホッとした。外れてたらかなり凹んでたよ」
「……ええ。こんな回りくどい方法になっちゃいましたけどー、冬至君に危害を加えるつもりはないのでご安心くださいねぇ」
「そうだね、今はその言葉を信じる。単刀直入に聞きたい」
視界に重ねていた『ピント』を戻す。
「ロウちゃん。君の目的は?わざわざ僕を探し出した理由がまだわかってなくてさ」
戻った視界の中で、彼女は少し寂しげに微笑んでいた。
「ふふー、一つだけ質問をしたかったんですよぉ」
——少女の雰囲気が変わる。
「……2人きりでもないと出来ない位の、つまらない内容です」
「差し支えなければ、聞いてもいいかい?」
「……冬至君。貴方は——」
「『カメタロウ』を覚えていますか?」
「勿論。——会えて嬉しいよ、カメタロウ」
-------
——そもそも俺がこの事を香具矢さんに相談しようとした決め手は、怪し過ぎるチラシを燃えるゴミに捨てようとした時に届いたEメールだった。
いくら消しても再送される『G G』とだけ書かれた表題のメールをブラックドッグシンドローム持ちである香具矢さんに泣き付いて立ち合ってもらい、ノートPCを潰す覚悟で開くと。
ロウちゃん——珠手浪というRBが5年前に僕の実家を脱走してから人間の姿を得て、俺を探す為にどれだけ苦労したかという旨の説明が懇切丁寧に記されていた。
……冠婚葬傷病以外の理由で当日のショーをすっぽかしたらあらゆる手段を使って社会的に抹殺してやる、という微妙に優しい脅迫内容もセットで。
(……香具矢さん。どうしましょうこれ?)
(おいおい、ここまで食べ甲斐のある添え膳を用意されちまったんだ。行くべき場所なんざ決まっているだろう?)
『オーヴァードは度胸!なんでもやってみるもんさ』
イイ先輩はいつもの様にニッと笑い、俺の背中を押してくれたのだった。
---------------
俺の実家で飼われていたミシシッピアカミミガメ——カメタロウは、流石に度肝を抜かれたらしい。
「な、何で私の事を……?」
「勝手に知っちゃって悪いとは思ったけど、お節介焼きな人が居たみたいでさ。お互い頼りになる先達に出会えたみたいじゃないか」
パチリ、とカッコ付けてウィンクをする。(とはいえ真相はメチャクチャ情けないけど)
「——フランチェスカさぁん……!」
彼女がしかめっ面を浮かべる。お節介な知り合いに思い当たったようだ。
「……まぁ正直なところ、君が本当に僕が伝えられた人で合ってたのか、君の口からちゃんと聞くまでは安心できなかったんだよね」
「あれー、そうなんですかぁ?」
「うん、だってさ」
目線を下げて自分の頬をかく。熱は上がってない……と思う。
「今日舞台に着いて初めて知ったんだよ、カメタロウが女の子だったって」
「!……むむー」
カメタロウの頬が膨れた。やっべ何か失言したか……!
「いや、これは本当に分からなかったんだよ!事前に送りつけられた情報にもカメタロウの外見について全然書かれてなくて普通にどんな人物かなーって思ってたら」
「そっちじゃないです」
「アレ?」
ふい、とそっぽを向いて彼女は答えを教えてくれた。
「今の私は『珠手浪』と名乗ってるんです。『カメタロウ』じゃなくて浪ちゃん、って呼んでください。……私、女の子なんですから」
その頬は雪化粧の様に透き通っていて。
「……そうだったね。ごめん、浪ちゃん」
「……謝らなくても大丈夫ですよ。先に警戒させてしまったのはこちらですしー」
「僕の方こそ全然大丈夫だよ。だから浪ちゃんも気にしないで欲しいな」
ニコリ、と頑張って笑みを浮かべる。彼女も向き直ってくれた。
「ふふー、ありがとうございます。……でもこれからどうしましょうかねぇ」
「ん、この辺りに住んでるとかじゃないの?」
「違いますねぇ。冬至君の元気な顔を見たら、此処を離れて流れのストリートマジックを続けようかなーとぼんやり思ってましたけど、何処かのお節介な方のせいで予定が狂っちゃいました」
「そうなんだ……」
——そう呟く浪ちゃんの横顔は、少しだけ寂しそうな顔で。
俺は……。
……俺よ。
鏡屋冬至よ。
「——浪ちゃん」
「冬至君。どうしましたー?」
「……えーっと。君が、問題なかったらー……なんだけどね?」
「むむー?」
……ええい!ここまで来て躊躇っても逆にどうしようもないだろ!
——間違いなく今日1番の頑張り所だぞ!
『覚悟』を決めろ、鏡屋冬至!
「……僕が所属してる第九支部に来ない?」
(ヨシ言えた!ウワ言っちゃったよ俺のバカ!絶対ドン引かれるよこんな……)
「——ふふふふー、構いませんよぉ」
「エッ」
「5年前よりも成長したけどー、そういう所はやっぱり変わりませんよねぇ。冬至君」
彼が逡巡してる姿から言いたい事の予測を付けつつ、珠手浪は久し振りに自分が鏡屋家で飼われていた日々を思い出していた。
『私の名付け主』との懐かしく、優しき触れ合いも。
「……いいの浪ちゃん?自分から言っといてなんだけど本当に大丈夫?」
「大丈夫ですよー。飼い主を心配させるのは元ペットの身としても偲びないですしねぇ」
「……そっかあ、ありがとう浪ちゃん。すごく嬉しいよ」
そう言って『私の名付け主』は自然と頬を緩める。
(やっと、貴方の笑顔が見られましたねぇ)
私もほっと胸を撫で下ろした。
〈鏡屋冬至のロイス『カメタロウ』が『珠手浪』に変更されました〉
〈珠手浪のロイス『飼い主の子』が『鏡屋冬至』に変更されました〉
大N市幕間:或る冬休みの午後/はじめてのぷらいべーとしょー 黄色の月 @rutoru
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