淡雪とともに

@araki

第1話

 ――質の悪い冗談みたい。

 窓の外を眺めながら、私は思う。

 外には緑に生い茂った桜の木。旬の季節は過ぎたというのに、木の葉が陽射しを受けて輝いている。相変わらず憎らしい。翻って私は、神経質なまでに殺菌された白の部屋で、命が尽きるのをただ待っている。主役を引き立たせる脇役の気分だった。

『あと1ヶ月の命です』

 医者の宣告を私はすんなりと受け入れてしまえた。その場で泣き崩れた母には大変申し訳ないことだけれど、私は今に対する執着がなかった。

 どんなことにも笑顔でいられる。そんな私を皆は聖人のようにもてはやした。けれど、私はあらゆることを受け流していただけだ。周囲を単なる状況という以上の認識を持てなかった人間は評価するに値しない。私は私自身を、早々に見限っていた。

 だから今回の一件はある種の救いのように感じていた。だというのに、

「………」

 窓に映る夏樹は今も私に微笑みを向けている。一体何が嬉しいというのだろう。こんなどうしようもない状況で、毎度よくも同じ表情を浮かべられると感心する。

「今回はこれにしようかな」

 夏樹はバスケットの中からリンゴを一つ掴み、そのまま皮を剥き始めた。以前は床に欠片をあれほどまき散らしていたというのに、今は一本の長い皮が糸のように紡がれている。時の流れを感じさせる光景だった。

 ――ほんと、どうしようもない。

 私は夏樹とろくに言葉を交わさない。以前は波風の立たない程度に他人と会話していたけれど、今は取り繕う必要がない。表情も言葉も私には無用のものだった。

 にもかかわらず、夏樹は飽きもせず私に会いに来る。端から結末の見え透いている劇なんて面白くもないはずなのに。彼はとんだ酔狂者に違いない。

「剝けたよ」

 声に振り向けば、夏樹はリンゴの一切れを私に差し出していた。

「さあ、口を開けて」

 どうやら食べさせてくれるらしい。

 ――子供じゃないんだけどな。

 内心苦笑するけれど、従わなければ終わりそうもない。だから囓った。

 爽快な歯ごたえ。後に、程よい甘さと酸味が口の中に広がった。

「おいしい?」

 私は素直に頷いた。直後、

「っ!」

 突然全身に激痛が走った。堪えようのない痛みに思わず胸を押さえる。顔に脂汗が浮かぶのが自分でも分かった。

 ――これで終わり?

 何か予兆があると思っていたのに。あまりに唐突で、心の準備などまるでない。身一つで荒波に放り出された感覚だった。

 歯を食いしばって耐えるも痛みが引く気配はない。今の私は大層ひどい姿を晒していることだろう。そんな私の姿に夏樹はどんな顔をしているだろうか。きっと慌てふためいているに違いない。

 ――それだけは見たい。

 不思議な嗜虐心に駆られた私は、全身が軋みを上げる中、頑張って目を横へ動かす。

そうして視界の端に彼の姿を捉えた時、私は言葉を失った。

 ――え?

 夏樹は無表情だった。先ほどの笑みが嘘のように引いている。一切の興味を失ったような彼の目は恐れさえ感じさせた。

 予想外の光景に呆然とする中、夏樹はすっと席を立ち、そのまま病室を出て行った。

「……うそ」

 思わず声を漏らす。私はショックを受けていた。夏樹があっさりと立ち去ったこと、それ以上に、その光景に喪失感を覚えている私自身に。

 ――……滑稽ね。

 一体いつだろう。いつからそれは生まれていたのだろう。もう少し早く気づけていれば、もう少しましな結末を迎えられたかもしれないのに。

 いや、多分それはない。鈍感な私だ。何度やり直したとしても、この時でしか悟ることはできなかったに違いない。

 それでも、

「気づけただけましかな」

 視界が暗転した。

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