一.プロローグ

青々とした芝生に心地よい風が吹いている。

スラウは真新しい白いローブを肩に掛けると大きく息を吸い込んだ。

昇格試験も無事に合格し、今日から正式な隊員として任務を遂行することになる。


スラウは胸ポケットから1枚の紙を取り出した。

自分を育ててくれた家族の肖像画だった。

スラウの横で微笑んでいる少女は後ろに立つ女性と同じ黒髪で灰色の瞳が輝いていた。

優しげな眼でこちらを見つめる女性の肩に腕を回して男性が微笑んでいる。

ロナルドだ。

スラウは彼の顔をそっと指でなぞった。


「スラウ、おはよう」


おっとりとした声に振り返ると、アイリスが眩しい朝日に目を細めていた。


「緊張している?」


「うーん、少し。でも楽しみだよ」


彼女はゆっくりと頷いて微笑むとスラウの手に握られている紙に目を留めた。


「それは?」


「家族だよ。私のことを育ててくれた人たち」


「……そう」


アイリスが目を伏せ、三つ編みに編み込んだ髪が垂れて端正な顔を隠した。


「よっ! 早いな」


グロリオが日焼けした小麦色の手を振ってやって来た。

もう片方の腕はきっちりとアキレアの腕に巻かれている。

アイリスがさりげなくスラウに目配せした。


グロリオとアキレアは付き合い始めてからかなり経つそうだが、今でも付き合い始めたばかりのカップルのように、いやもしかしたらそれ以上に、アツアツである。

それは2人の情熱的な性格のせいかもしれないが。

口元が不自然に曲がって微笑むスラウを見て、2人もようやく気がついたようだ。

慌てて手を離し、ばつが悪そうにしている。


「相変わらずね」


いつの間にかアイリスの横に並んでいたランジアが呆れて言った。


「仕方ない。いつものことだ」


ライオネルが言いながら近づいてきた。

その後ろにハイドやラナンも居る。

ラナンは跳躍すると動物の姿になって、こちらへやってきた。


「おはよう」


スラウの言葉にラナンは長い尾を振った。


「おはようさん。ちゃんと寝たのか? 目元にクマが……」


「だ、大丈夫だよ!」


言い返すスラウを横目にグロリオは懐中時計を取り出して唸った。


「あとは……フォセとチニだけか」


「これもいつものことだな」


ライオネルが苦笑した。


「え?」


首を傾げるスラウにアイリスが小さく笑った。


「見ていれば分かるわ」


懐中時計を睨むグロリオの目が険しくなった。


「1分前……そろそろ来るぞ!」


突然、強い風が吹き荒れ始めた。

スラウは思わず顔を腕で庇った。

ラナンが風に煽られて吹き飛ばされかけたが、近くにいたランジアが尻尾を掴んで引き寄せた。


「みんなぁ! 避けてぇっ!」


上からあどけない少女の声がしたかと思うと、風の渦が地面に直撃し、スラウはあっという間に砂嵐に巻き込まれた。


「うーん……」


ぶつけた頭に手をやる。

起き上がったスラウは言葉を失った。

皆がさっきまで居たところの芝生が大きく抉られている。


「無様ね」


草を払い落としながら戻るスラウにランジアが冷たく言い放った。


他の隊員たちはそこそこ良くしてくれるのに、彼女だけは入隊した日から突っかかってくる。

スラウは片眉を吊り上げた。

悔しいが今回は言い返せない。

ぼろぼろになっているのは自分だけだ。


「仕方ないわよ。慣れていないんだもの」


アイリスが代わりに弁明してくれた。


「それに、元はと言えばフォセが悪いのよ」


アキレアが腰に手を当てて金髪をいじっている少女に厳しい表情を向けた。


「ん? なぁに?」


大きな茶色い瞳がアキレアを見上げた。


「フ、フォセ……アキレア、怒っているみたいだし……あ、謝った方が……」


チニがフォセの袖を引っ張った。


「えぇ?! 何で怒られなきゃいけないのぉ?! 間に合ったんだし、別に良いじゃぁん!」


フォセが桃色の頬を小さく膨らませた。


「確かに間に合ったけど……いつも5分前には来いって言っているだろ? あと、毎度毎度着地する時に俺らを巻き込むな」


グロリオがフォセの頭を軽く掻いた。

彼女はくしゃくしゃになった髪に手をやってむくれた。


「よし、全員揃ったことだし、今日の任務の確認といこうか」


グロリオは隊員たちに向き直った。


「契約内容は護衛だ。契約主が王の書いた極秘の手紙を持って隣国に届けに行くそうだ。内容は国の将来を大きく左右することになるであろうものだ。それが届けられなかった場合、多くの民は飢えと病に侵される可能性があるとさえ言われている。まあ、要するに、俺らが契約主を阻もうとする勢力を遠ざけりゃ良いってことだな」


スラウは人一倍緊張した面持ちで頷いた。


「緊張しなくて良いって」


グロリオは白い歯を見せて笑うと、スラウの肩を軽く叩いた。


「今回は俺らの隊がどうやって動くかを見てもらいたいんだ。軽い気持ちで臨んでくれよ。それじゃ、行くぞ!」


そう言って走り出したグロリオに続いてハイド、ランジア、ライオネルが丘を駆け上った。

跳躍した4人に合わせて4匹のドラゴンが現れ、空中で彼らを背に乗せた。


「スラウはまだ慣れていないから待っててね。私は何かあったら助けられるように1番後ろにいるから。ラナンは動物の格好のままで良いわ。私のドラゴンに乗せてあげる。フォセ、アイリス、チニ、行って!」


アキレアの言葉で3人が新たに空へ飛び立った。


「凄い!」


一糸乱れぬ動きに、スラウは感嘆の声を上げずにはいられなかった。


「スラウの番よ」


アキレアの声にスラウは緊張した面持ちで頷いた。

昇格試験の後も毎日ラダルと練習しているが、成功率はまだ100%ではない。

未だに衝突したり乗りそびれたりすることもある。

息を大きく吸って地面を大きく踏み込む。

次の瞬間、ラダルが真下をくぐり抜けていった。


「わっ! ちょっと待ってよ!」


慌てて腕を伸ばして首にしがみつき、振り回されるようにして空を飛んだ。

ようやく体勢が整い、隊員たちと合流するとアキレアのドラゴンが隣に並んできた。


「大丈夫か?」


ラナンが琥珀色の瞳を向けた。

アキレアの片腕にしっかりと抱えられている。

スラウは荒い息を押さえて途切れ途切れに口を開いた。


「……うん……平気……ラナンは良いよね……運んでもらえて」


「む!」


ラナンは不機嫌そうに長い尾を振った。


「これはこれで恥ずかしいんだぞ!」


長い尾がピシピシとアキレアの腹を叩く。


「ちょっと、ラナン! あまり暴れると落っことしちゃうわよ!」


「あ、わりぃ……」


アキレアの言葉にラナンは大人しく尾を垂れた。


「行くぞ!」


先頭のグロリオが大きく手を振った。

先を行くドラゴンたちが雲の下に潜るのに合わせて、ラダルも下へと向かった。


雲が途切れると、目下に広がる芝生には大きなアーチ状の建物が立ち並んでいた。

白い石で作られたアーチの中央には数字が、横には草木や炎、風の渦等のそれぞれの能力のシンボルが彫られている。

芝生には他にも幾つかの隊が集まっていた。

スラウはドラゴンから身を乗り出して目を凝らした。

アーチの上に何やら文字が浮かんでは消えている。

恐らく契約主のいる時空を指しているのだろう。

弧を描いて芝生に並ぶアーチを見下ろすように塔が立っていた。

連絡塔と呼ばれる建物だ。


『契約番号3604。3番アーチ出発準備完了。気をつけて』


『契約番号9021。5番アーチ到着準備完了。負傷者2名。救護隊、向かってください』


塔から声が響いてくる。

グロリオのドラゴンが1と書かれたアーチの前で止まった。


『契約番号7428。1番アーチ出発準備完了。気をつけて』


「行くぞ!」


グロリオが大きく腕を振って合図した時、下で誰かの声がした。


「サギリ!」


スラウの声に他の隊員たちも振り向いた。


「何してんだよ、こんなとこで?」


グロリオが尋ねると、彼はにっこりと笑った。


「たまたま寄ったんだ! 気をつけて!」


ラダルが翼を動かす度、彼の姿がどんどん小さくなっていく。

目の前に迫るアーチの向こうはぼんやりと靄がかかったようになっていて風景が歪んでいた。

この歪みは互いに異なる時空を繋ぐために生じるものらしい。

グロリオはそう説明してくれた。


既にアーチをくぐり抜けた隊員たちの姿は靄の中に消えていた。

しばらくラダルの翼の音だけが静かな芝生に響いていた。

そのうちにアーチがゆっくりと迫ってきて、ひんやりとした空気にスラウは思わず身を縮めた。


次第にラダルの羽ばたく音が聞こえなくなり、別の音が聞こえてきた。

高かったり低かったり、まるで海のさざ波を聞いているようだ。

全ての音が曇って聞こえる。


思わず目を瞑った途端、身体が浮いて前に引っ張られるような感じがした。

胃がひっくり返るような胸のムカつきに堪えてラダルにしがみついていると、不意に音が止んで何も聞こえなくなった。


恐る恐る目を開けて驚いた。

いつのまにか地上界に着いたようだ。

空気の匂いが何となく違う。

金色の翼が周りの雲を散らしていた。

突然ラダルが翼を畳んで雲に突っ込んだので、スラウは思わず声を上げた。

冷たく湿った空気に浸るとラダルは再び雲から抜けた。

目の前に悠々と飛ぶ隊員たちのドラゴンが現れた。

雲の切れ目から注ぐ光を受けて鱗が輝いている。


「そろそろ下りるぞ! ここからは徒歩だ」


グロリオの言葉で9匹のドラゴンが地面へと向かった。

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