7 穴
エセルグウェンはシスティーナを縛る縄をほどこうとしますが、かたく結ばれた縄はなかなか解くことはできません。
エセルグウェンは腰の剣を抜き、システィーナの身体を傷つけないようにしながら、縄をきりました。
「エセル」
「いいんだ。ティーは魔女かもしれない。だけど魔女がティーなら、それはちっとも怖いことじゃない」
エセルグウェンはそういってシスティーナの手をとりました。大きくて固い手に、システィーナは顔を赤らめます。
そうして手を握ったまま、エセルグウェンは柵の向こう側にいる人々にいいました。
「このむすめはわるい魔女などではない。森に住んでいるだけで、ただのむすめとおんなじだ」
「王子、いばらの森に住むのは、わるい魔女です」
「彼女がどんなわるい行いをしたというのか」
「なにもしなくとも、わるい魔女はわるい魔女だ。これからなにかをするやもしれぬ」
「そうだ、姿を現せ、いばらの魔女め」
飛んできた土くれを、エセルグウェンはシスティーナをかばって受け止めます。システィーナが
王子の背中のうしろで、システィーナはいいました。
「エセル、これ以上はだめ。王子は正しいおこないをするべきなのよ」
「ぼくにとっての正しいことは、君を守ることだけだ」
「――エセルはおおばかだわ」
「ちがいない」
「やっとみんな王子を受け入れてくれるのに」
「みんながほしいのは、王子という存在だけだ。ぼく自身は必要ない。ぼくの身体はただの
エセルグウェンはなんだかすっきりとした気持ちでした。
生まれた時から忌避されて、それをなんとか
「最初からぼくは終わりゆく者だ。
二人の頭上で枝葉がざわざわと音を立てました。
システィーナ、いばらの森の魔女。
そして、エセルグウェン、森を訪れし王子よ。
大木が語りかけました。
エセルグウェンは上を仰ぎましたが、誰の姿も見えません。
ざわりと葉を揺すり、声はなおも語りました。
王子よ、魔女を殺しなさるか。
エセルグウェンはかぶりをふります。
「彼女はぼくの唯一だ。彼女が死ぬというのであれば、ぼくもまたそれにつづくだろう。魔女が殺されるのであれば、王子もまた殺されよう」
大木は囁きました。
ならば、ともに死するがよい。
ごう、と強く風が吹きました。
枝はしなり、大きく揺れます。魔女と王子を囲んだ柵は、メキメキと音を立てて倒れ、草も花も地面からはなれて浮き上がります。風はおおきな
広場にいる人々は、目をあけていることもできなくて、寄りあつまったり這いつくばったりしながら、風がおさまるのを待つしかありません。
王子と魔女は、大木にしがみつきながら風がおさまるのを待っていましたところ、渦の下にぽっかりと穴が開いていることに気がつきました。
風が
大木の声がひびきました。
その声は、広場中みんなの耳にとどくほどに大きなものでした。
呪われし王子よ。
その大きな
魔女は囚われ、その力は永遠に失われるであろう。
広場の誰かがいいました。
「あれは誰の声だろう。神様であろうか」
「魔女を封じるため、神が王子に味方したのだ」
「魔女を落とせ」
「魔女を落とせ」
地面には大きく開いた穴があり、どこへ続いているかも見えないほどに深いものでした。
システィーナはごくりと息をのみます。
魔女を落とせと周囲が叫ぶなか、エセルグウェンの手が背中にあたります。
「いこう、ティー。ぼくも一緒にいくよ」
「どこまでいくかも、どこへいくかもわからないのに?」
「穴をみつけたなら、入ってみなくちゃ」
震える声で問うシスティーナに、エセルグウェンは笑ってそう答えました。
それはかつて、うんと小さなころに出会った王子がいった言葉です。
だから彼女も、おなじ言葉をかえします。
「そうね。なら仕方ないわ」
エセルグウェンは微笑んで、そうして広場にいる人々に告げました。
「魔女がかけた呪いと、我が身にかけられた千年の呪い。そのふたつをここに封じよう。これより先、いばらの魔女は消え、そして王子も消える。千年の呪いはもうおしまいだ」
そうして人々が見つめるなか、王子と魔女は、その身を穴の中へと投げ出しました。
するとふたたび
あとはもう、壊れてしまった柵と今にも倒れそうな大木、草や花がちぎれてなくなって、まるはだかになってしまった地面があるだけです。
空はいつのまにか晴れ、なにごともなかったように太陽が降り注ぎます。
誰もなにもいいません。
兵士たちはしばらくぼうっとしておりましたが、やがてお城へともどっていき、そうして王さまと王妃さまに報告しました。
「それでいったい王子はどうなったのだ」
「わかりません。ですが王子は魔女とともに身を投げて、呪いを封じこめました」
「ああ、王子はとうとう正しいこころで国を救ったのですね」
王妃さまがいいました。
王さまもうなずきました。
こうして魔女と王子は消えました。
人々は安心しました。
これで、なにもかもうまくいくことでしょう。平和に暮らせるのです。
ところが、何日たってもはやり病はおさまることがありません。
腕のたつお医者のところへ薬をもらいにいきましたが、ちっともよくならないのです。
「どうして助けてくれないんだ」
「どうして薬をくれないんだ」
あの人は助かったのに、どうしてうちは駄目なんだ。
よく効くという薬をどうして出さないんだ。
隠さずによこせ。
助ける人を選ぶのか。
偽善者め。
傲慢なお医者だ。
人々はお医者の家につめかけて、扉をたたきます。そうして口汚くののしるのです。
荒れてしまった広場は、あれから草が生えなくなりました。
積もった土を減らすため、数人の男が畑に運んで使いましたところ、育っていた作物がカラカラに乾いて枯れてしまいました。水をいくら
風が土を運び、その土が積もった木もまた枯れてしまいます。
次から次へと水を運ぶので、泉もすっかり減ってしまいます。水源は、我さきにと人々がかけつけて、争いがたえません。
ひもじいおもいを抱えた子どもが盗みをはたらき、それに怒った男が棒を持って子どもを打ちました。子を庇う母親もおかまいなしに打ちつけて、とうとう殺してしまいます。
けれど誰も親子をたすけようとはしませんでした。
いつしか人々は不満をつのらせ、ののしるようになりました。
魔女が死んだのに、呪いはちっとも解けていない。
国を滅ぼす王子は死んだのに、国はちっともよくならないじゃないか。
千年の王子はまだ生きているのではないだろうか。
そうして国を滅ぼそうとしているのだ。
人々はお城にあつまります。
「王子を出せ」
「国を滅ぼす王子を出せ」
王さまは答えました。
「王子は死んだ。魔女を殺して、自分も死んだ。皆が見たとおりだ」
しかし人々は、聞く耳をもっていないかのように、言いつのるのです。
「王子を出せ!」
「滅びの王子を連れてこい!」
「王子はいない。ここにはいない」
「ならば、何故まだ呪いは解けていない」
王さまは答えられません。
魔女は死に、王子も死んだのです。
それ以上、なにがあるというのでしょう。
誰かがいいました。
「ならば、死んだ王子は千年の王子ではなかったのではないか」
「だが、魔女は死んだ。呪いは消えた」
「それでも国が滅びるのは、王子がいるからだ」
「滅びの王子が生きているからだ」
「王子はどこだ」
「王子は誰だ」
「そうだ。王子はここにいる。王となってここにいるじゃないか!」
「そうだ。かつて王は王子であった。王こそが、千年後の王子だったのだ」
「ならば王を殺せばよい」
「王が死ねば、我らは助かるのだ」
「殺せ!」
「殺せ!」
人々が声をはりあげます。
殺せ殺せと叫びます。
兵士たちも同様でした。
彼らもまた、国の民なのです。
ひもじいおもいを抱えた家族や、病におかされる家族がいるのです。
王さまは逃げだしました。
部屋にこもった王妃さまは、お城の外へ引きずっていかれます。綺麗な服についた宝石は剥ぎ取られ、髪飾りも抜き取られます。
そうして見る間にぼろぼろになった王妃さまは、縄でしばられ兵士に連れていかれました。
「お助けください、わたくしがなにをしたというのです」
「貴女様はなにもされておりません。なにもしなかったのですよ」
「わたくしは関係ありませぬ。わたくしは呪いとは関係がありませぬ」
「ですが、呪いの王子の奥方だ」
王さまは庭へ入り、木々の隙間に隠れようとしましたが、庭師と兵士によってすぐさま捕まってしまいます。
そうして人々の前へと連れていかれ、土のうえに転がされました。
「わたしは呪いの王子などではない!」
「ならば、なにゆえ国が滅びようとしているのか」
「そんなものは知らぬ。呪いのせいなどであるものか! 病も飢饉も、呪いなどであるはずがない!」
「この国が魔女に呪われているのは、王とてご存じであろう」
「魔女の呪いなど、迷信に決まっている。おまえたちは呪いのせいにして、目を背けているだけではないか!」
「我が子に呪いを押しつけておいて、自分は呪いから逃れようというのか!」
「知らぬ。わたしは呪われてなどいない。国が滅びるのはわたしのせいではない!」
殺せ!
誰かが叫びました。
一人が鍬を持ちました。
もう一人は太い棒を振り上げます。
道ばたの石を両手に持つ者がいれば、家に斧を取りに戻る者もおりました。
兵士は剣を構えます。
王を取り囲みます。
やめろ!
王は叫びましたが、誰も聞き入れる者はおりません。
そうして一人ひとりが王を打ちすえ、いつしか王は動かなくなりました。
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