第2話 めでたしめでたし
それは妹の舞が出した高熱がやっと下がってきた、三日目の水曜日のことだった。
外階段を誰かが控えめにのぼってくる足音が聞こえた後、すこしの間を置いて、安っぽいインターフォンが鳴った。
「……だれか、きたね」
「いいから寝てろ。俺が出てくるから」
「……うん。早く帰ってきてね」
「少ししか離れてないだろ」
「……うん、でもね」
「わかったから、静かに寝てろよ」
どこかまだ茹だったような顔をしてる舞に頷くと、俺は玄関へ向かった。
新聞の勧誘か、なにかの訪問販売だろうか。
どうにせよ、こんなオンボロアパートに商機を感じているのであれば、そいつには商売の才能なんてないだろうと思う。
のぞき穴を見る――が、誰も居ない。
いたずらか?、と思ってドアを開いて外を見ると、今まさに階段を降りようとしている人間を見つけた。
「……あ」
目が合う。
女だ。
俺と同じ高校の制服を着ており、手には何かしらのプリントを持っているようだ。
すぐに事態を理解した。
こういう経験は初めてじゃない。
一年の時もたまに学校を休むと、近くに住む男子生徒が教師からの依頼を受けてはプリントを届けてくれた。
だが、今は六月。
二年にあがって、クラス再編が行われてから二か月ほど。
舞が熱を出して、俺が高校を休んで看病をするのは初めてのことだった。
一年次にお世話になった男子生徒とは、今年は別のクラスになった。
だから新しいご近所さんの生徒がプリントを持ってくるのも初めてというわけで、その相手が目の前の女子生徒なのだろう。
訳知り顔で、いきなり『ありがとう』というのも、なんだかおかしい気がする。
言葉を選んでいると、少女はおろしかけていた足を上げて、こちらに近づいてきた。
「荒木くん?」
「ああ、そうだけど……授業かなんかのプリント、持ってきてくれたんだよな」
「ええ、そう。私の家が近いから、教師から依頼されたの」
淡々と話をする女子だった。
冷たい感じはしないが、かといって温かいわけでもない。
学校で話したことは一度もない、と思う。
だが彼女の名前や存在は一方的に知っていた。友達は一人だけで、部活もせず、授業が終わればさっさと帰宅する俺の耳にだって届いてくる噂。
『真堂 礼(しんどう れい)』
曰く、お嬢様。
曰く、美少女。
曰く、無駄な付き合いをしない御令嬢。
まあなんでもいい。
とにかく学校に数名存在する、俺とは次元の違うアイドル生徒ってやつだ。
まさか彼女と家が近いとは思わなかったが、教師から依頼されたとはいえ、こういった依頼をうけるとも思わなかった。
お嬢様に給仕させているようなものだろう。
色素の薄いクルミ色の髪をなびかせて歩くさまは、たしかにどこかの社長令嬢にしか見えない。
「これ、プリント」
梅雨も間近で湿気がちだというのに、玄関口で立ち止まれば、絹のような髪は肩甲骨あたりまでストンと流れ落ちた。
色白の肌は、舞が絵をかく前の画用紙みたいに真っ白で、折り目をつけることすらためらいそうだ。
「ああ……、悪いな。助かった」
「別に気にしないで。帰り道ではあるから」
「あ、ああ」
なんていうか、距離感の難しい奴だった。
俺だって愛想のいいタイプではないが、それでも目の前の少女と話していると、自分がどれだけ社会に適応しようと努力しているのかが分かる。
「……なに? 顔になにかついてる?」
じろじろと見てしまっていたらしい。
無表情を維持したまま、それでも不機嫌が分かるように、女子生徒――真堂は言った。
「あ、いや、すまん。こっちの問題だ」
「そう……、おせっかいかもしれなけど、元気だったら学校には行くことをお勧めするわ」
「え?」
「わたしの仕事が減るし、あなたの未来の為にもなると思うの」
なんの話だ?、と思った後すぐに、『なるほど、ずる休みしてると思われてるのか』と気が付く。
「あ……ああ、違うんだ。俺は確かに元気だけど――」
言い訳を始めた時だった。
「……お兄ちゃん、誰とお話してるの……?」
部屋の奥から舞が出てきてしまった。
どこか気だるそうなのは、この三日間まともに歩いていないからだろう。
すりガラスの引き戸にもたれかかるようにして、こちらを見ていた。
「こら、寝てなきゃだめだろ」
「ねえ……だれ?」
「俺の高校の……クラスメイトだよ」
端的に、友達、と言いそうになって言いよどむ。
決して友達ではなく、知ってるのは俺側だけだ。
真堂は、俺の名前と顔も一致していなかったにちがいない。
「ってなわけだ」
俺はトリックをばらしたマジシャンのような面持ちで、『こういうことだ』と話を進めた。
この図を見れば、誰でも『看病のため』という理由に思い至るだろう。
だが真堂は、首をかしげた。
「……? 荒木くんが休む理由がどこにあるの?」
「え? いや、だから、妹の看病があるから休んでるんだよ。うちは親父が仕事で忙しいからさ。かといって一人で妹を寝かしてもおけないだろ?」
「……ああ、そうか。そうよね」
真堂は俺と妹を見比べると、何かに納得したらしい。
まったく申し訳なさそうな感じで、
「ごめんなさい。わたし、こういう経験なかったから……悪気はなかったの」
そう言うと、プリントを置いて、階段を降りていってしまった。
俺の返答を待つ気もないらしい。
残された俺と舞は、なんだか夢でも見ていたような気持ちになる。
学園のアイドルとも評される美少女がいきなり我が家の玄関口に立ち、それから勝手に納得されて、いきなり消えてしまった。
そこに真堂がいた証拠はプリント一枚だけである。
「なんだったんだ……?」
俺の疑問に答えはないが、舞の呟きは背後から聞こえた。
「あのお姉さん、お姫様みたいだったね……」
お姫様か。
たしかに境遇的にも外見的にも間違ってはいないだろう。
だったら、話は簡単か。
お姫様はお城に帰って、王子様と幸せに暮らしましたとさ――めでたしめでたし。
そういうことだろう。
だが不思議なことに、物語は終わっていなかった。
翌日も、真堂は我が家の玄関口に立っていたのだ。
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