第3話 麦祭り

日が暮れると祭りが始まり、村の広場で大きな松明が燃やされる。住民達は思い思いに持ち寄った食料や食べ物を用意された台座に振る舞い、誰彼構わず騒ぐのだ。酒の入った男達はどちらが多く飲めるのか競い合い、女達は料理を楽しみながらそんな男達をああでもないこうでもないと品評する。特に娯楽の無いこんな村では、この麦祭りは年に一度の楽しみなのだ。




時間が進むにつれ、次第に人々の狂騒も激しくなってくる。松明の火の粉に照らされた人々の顔を眺めながら、俺はすみの方で一人やる事も無く佇んでいた。祭りで盛り上がっている時でさえ、俺に振る舞われる料理や酒は存在しない。俺の出来る事と言えば、腹を空かせながら祭りの終わりを待つ事だけだった。そろそろ祭りの目玉である踊りの時間だ。見覚えのある顔同士が花束を渡したり受け取ったりして、住民達の祝福を受けていた。だが気になる事に、ヴォルガー達やアンジュの姿が見えない。




「……まさかな」




昼間の事もあって急に心配になった。いくらあの馬鹿のヴォルガーとは言え、力ずくでアンジュに危害を加えればこの村には居られなくなる。男衆から袋叩きにされ、無一文で追い出されるだろう。いくらスキル持ちとは言え奴のスキルはそれほど強力でも無い。多対一で勝てる能力じゃないはずだ。だが虫の知らせと言うべきか、何か嫌な予感がした俺はアンジュの姿を探す事にした。ゆっくりとした足取りが次第に早くなっていき、気がつけば全力で駆けていた。目指すのは麦神を祀る洞窟だ。この集落で人目のつかない所など、あそこ以外に思いつかない。何度も通った道なので夜の闇の中でもつまづかずに走ることが出来る。これだけはこき使ってくれた魔族達に感謝しよう。




「……ゃ……はな……!」


「……となしくしろ!」




洞窟の中から聞き覚えのある声が聞こえる。焦りがピークに達した俺は急いで中に飛び込むと、そこにはアンジュに馬乗りになったヴォルガーと、アンジュの両手を押さえるディウスの姿があった。




「てめえらあぁぁ!」




頭に血が上り、普段出す事の無い大声を張り上げてヴォルガー達に突進する。不意を突かれたディウスに体当たりを喰らわせた俺は、そのまま奴ともつれる様に壁に激突した。ディウスは壁にぶつかった拍子に頭でも打ったのか、ピクリとも動かない。痛みをこらえて急いで立ち上がった俺に対して、邪魔されたヴォルガーが怒りに顔を真っ赤に染めながら襲い掛かってきた。




「てめえケイオス! どうなるか解ってんだろうなぁっ!」


「ケイオス! 逃げて!」




逃げるつもりなら最初から来たりしない。振り下ろされる拳を、体を反らせることでなんとか回避する。普段散々殴られているのが功を奏したのか、ギリギリ身を躱す事が出来た。お返しとばかりに渾身の力を籠めてヴォルガーの体を殴りつけた俺の拳は、まるで丸太でも殴ったかのように血を噴いた。握りしめた拳が酷く痛む。手の骨ぐらい折れたかも知れない。クソッタレが! これがスキルの影響かよ! 俺に殴られた事自体は何のダメージも受けなかったヴォルガーだったが、奴隷の様に扱って来た弟に反抗された事に逆上したのだろう。拳を振り回しながら立て続けに攻撃してきた。




何とか数発は躱してみせたが、もともと俺とヴォルガーの身体能力には大きな差がある。そんな幸運は何度も続かなかった。大振りして来た拳を躱そうとしたが、避けきれずに頭に一撃強力なのを貰ってしまった。吹き飛ばされた俺は麦神をかたどった石像に頭からぶつかると、それを倒しながら地面の上を激しく転がる。なんとか起き上がろうともがく体に力が入らない。頭を強くぶつけたせいか、足が言う事を聞かないのだ。どこか裂傷でも負ったのか、視界が真っ赤に染まり吐き気まで催す。




「俺に逆らうからそうなるんだ! てめえはそこでアンジュが俺の物になるのを眺めてろ!」


「ケイオス! ケイオス!!」




再びアンジュに馬乗りになったヴォルガーは、その汚らしい手をアンジュの衣服に伸ばす。彼女の抵抗を嘲笑うかのように軽々と胸元の衣服を引き裂き、ヴォルガーはいやらしい笑みを浮かべて舌なめずりをした。




「いやああっ!!」




あの可愛くない女が助けを求めている。普段から憎まれ口ばかり叩く可愛げのない女が。頼まれもしないのに俺の世話を焼き、モテるはずなのに俺の周りを離れようとしない女が。あいつが何かされる事は、自分が殺されるよりも耐えられない。俺は自分の体の事など忘れて、その場に立ちあがった。足がふらつき今にも倒れそうになるのを根性で耐える。ふと気がつくと、その手にはいつの間にか奇妙な形の短剣が握られていた。理由は解らないが麦神の石像の下に隠す様に置いてあったのだ。俺はその短剣を手に、ゆっくりとした足取りでヴォルガーに近づく。短剣は俺の血を吸い不気味な光を放っていた。




俺がまだ抵抗を諦めていないと悟ったヴォルガーは、舌打ちするとアンジュから離れ再び俺と対峙する。一瞬俺の手に握られた短剣に怯んだ様子だったが、いつも通り尊大な態度を取り戻すと威嚇するように怒鳴り声を上げた。




「そんな物持って、使えるのか!? お前に俺を刺す度胸があるのか! ええ? 刺せるものなら刺してみろよ!」




俺が絶対に刺さないと高を括ったヴォルガーは、いつでも来いとばかりに両手を広げて自信満々に笑みを浮かべている。普段散々殴る蹴るの暴行を加えても反撃しない俺を甘く見ているのだ。だが今の俺に躊躇など無い。右手に持った短剣は、そんなヴォルガーの威嚇を無視して奴の腹に吸い込まれるように突き立った。




「えっ……?」




自分の体に起こった出来事が信じられないのか、ヴォルガーは間の抜けた声を上げていた。だがそんな声など無視して更に体重をかけ、確実に致命傷を与える為より深く短剣をヴォルガーの体に押し込んだ次の瞬間、突如俺とヴォルガーの体に異変が起きた。俺の体が少しづつ盛り上がり、身長が伸び出したのだ。枯れ木のようだった腕は引き締まった筋肉に覆われ、蹴れば折れそうな足は穿はいているボロボロのズボンを引き裂きそうな程筋肉でパンパンになっていく。骨の浮き出ていた胸板は鍛え上げられた男のソレに変化し、ちょっとやそっとの攻撃など跳ね返しそうだ。それに怪我をしていたはずなのに痛みも無くなっている。




「あああああっ! な、なんで本当に刺し……! どうなってんだこりゃ!?」




対照的にヴォルガーの体は少しずつ縮んでいく。いつも見上げるだけだった憎たらしい顔は俺の肩ぐらいまでしかなく、腕や足は老人の様に痩せ細っている。その様はまるでさっきまでの俺だ。まるで俺がヴォルガーから何かを吸い取った・・・・・ようだ。




短剣を引き抜くと、不思議な事にヴォルガーの体には傷一つ付いていなかった。着ている服にも穴の開いている部分など無い。たった今短剣が突き刺さったとは思えない、不思議な現象だった。




「あぁ……なんで……お前一体……何をしたんだ!」




生命力が抜け落ちた様な姿のヴォルガーが掴みかかって来るが、さっきまでの威圧感など欠片も感じられない。煩わしいハエでも追い払うように軽く突き飛ばすと、それだけでヴォルガーの体は洞窟の壁まで吹き飛んだ。激しい勢いで叩きつけられたヴォルガーはそのまま地面に転がり、怪我でもしたのか呻き声を上げている。




「……ケイオス……なの? その姿は一体……」




助かった安堵より俺の変化に驚いたアンジュは、引き裂かれた胸元を隠すのも忘れて呆然としていた。着ていた服を脱ぎ、そんなアンジュに着せてやる。改めて自分の体を観察してみたが、まるで他人の体を見ている様な感覚だった。




「俺にも解らない……。あの変な短剣でヴォルガーを刺したと思ったら急にこうなって……。あれ、そう言えばあの短剣は?」




辺りを見回しても見当たらない。貴重な短剣ぽかったので売れば金になるかと思ったんだが残念だ。俺が短剣の事を頭に思い浮かべた途端、何もない空間から滲にじみ出る様に今無くしたばかりの短剣が姿を現した。一体何なんだこの短剣は? 呆気に取られる俺を観察していたアンジュが、何かに気がついた様に驚きの声を上げる。




「ケ、ケイオス! あなた、スキル持ちになってる!」


「……は?」




アンジュの言っている言葉を理解するのに少し時間がかかった。スキルは生まれつき備わっている物で、後天的に獲得出来るなど聞いた事が無い。まして俺は村の中でも落ちこぼれと言っていいハーフの小僧だ。そんな俺がスキルなど……。だが現に俺の体には異常が起きている。急に発達した筋肉や何かが抜け落ちた様なヴォルガー。普通じゃない事が起こっている証拠だった。




心を落ち着けて目をつむると、暗い瞼まぶたの裏側に文字が浮き出てきた。『吸収』と『身体強化:弱』の二つだ。これを見る限り、確かに俺にはスキルが備わっていた。それも二つも。一つはヴォルガーの持っていたスキルで間違いないとして、もう一つは一体どこで――と考えた時に、ふと例の短剣の事が思い浮かんだ。あの奇妙な短剣、人を刺しても傷もつかないが、他人からスキルを奪う事の出来る短剣だとすれば辻褄が合わないか? それに俺が考えただけで何もない所から出て来る特異さ。どう考えても短剣の力でこうなったと考えるのが自然に思われた。そしてアンジュが俺のスキルに気がついた理由も説明できる。意識を集中して他人の事を凝視すると、スキル持ちの場合は体がほんのり光って見えるのだ。これは動物や魔物にも共通している事で、観察するだけなら誰でも出来る。だがどんなスキルを持っているのかは本人以外解らないが。




「スキルが二つある……一つはヴォルガーのだ。けどあと一つは……?」


「それって……ひょっとしたらユニークスキル? だとしたら凄い! ユニークスキルを持っている人なんて滅多に居ないわ!」




いつもきつい視線を向けてくるだけのアンジュが尊敬の目で俺の事を見上げていた。凄いな。スキルのある無しでこうまで態度が変わるものか。その変化に多少鼻白む思いもあったが、この場で突き放すほど俺も野暮ではない。襲われかけたのだから、優しくしてやっても罰ばちは当たるまい。




「……ってえ……一体何が……! えっ!? お、お前……ケイオス……なのか?」




気絶していたディウスが目を覚ますなり俺の姿を見て愕然とした。目をつけていた女を襲おうとしていると突然横合いから突き飛ばされて頭を打ち、目が覚めれば普段虐待していた弟の姿が変わっているのだ。さぞや頭が混乱している事だろう。




「俺は――」


「ケイオスはスキル持ちになったのよ。もうあんた達の歯が立つ相手じゃない。今までの行いを後悔するといいわ!」




……なぜ変化した本人である俺を差し置いてお前が得意げにしているのだアンジュ。それはさておき、とりあえずこいつとヴォルガーには償いをさせなければいけない。この場で行おうとしたアンジュに対する強姦未遂と、長年に渡る俺への虐待の清算だ。俺は未だに固まったままのディウスに大股で近づき、そのまま拳を振りかぶった。現実が受け入れられないのか、振り上げられた拳が自分の顔面にめり込むまで呆然としていたディウスは、叩きつけられた勢いのまま地面でバウンドするとピクリとも動かなくなった。殴られた顔面は酷い有り様だ。鼻や口からはもちろん、目からも出血している。ひょっとすると眼球ぐらい潰れているかも知れない。




「ひっ!」




ディウスの次はヴォルガーだ。未だに痛みにうめいている奴の胸ぐらを掴み上げ、ディウスの時と同じように拳を振りかぶった。弟が殴り倒された場面を見ていたヴォルガーは短い悲鳴を上げ、恐怖に顔を引きつらせる。そのまま一気に殴り抜こうと思ったが少し気が変わった。殴れば一瞬で終わりだ。気絶すれば痛みを感じなくなるし、もっと痛めつけてやらなければ気がすまない。俺は振りかぶった拳を解いてヴォルガーの股間に持っていくと、おもむろに奴の急所を握りしめる。




「ひっ! 何を……何をする気だ! やめろー!」




お前は俺の制止で一度でも止まった事があったかな? ヴォルガーの頼みを聞く理由が何一つ思い浮かばなかった俺は、そのまま奴の睾丸を力一杯握りつぶした。ズボンの中で卵が潰れるような感覚がした瞬間、ヴォルガーはまるで小魚の様に口をパクパクとさせ口から泡を吹いて気絶した。ズボンの隙間からは血と共に小便が大量に流れ出す。あまり長く触れていたくなかったので、ディウスの上に折り重なるように投げ捨てた。




「おおーい! ヴォルガー! ディウス! アンジュ! 居ないのかー!?」




洞窟の外から三人を探す複数の声が聞こえてきた。当然の事ながらその中に俺の名前は入っていない。祭りの目玉である踊りの輪の中に、普段から目立つヴォルガーとアンジュの姿が無かった事を不審に思った住民が探しに来たのだろう。アンジュと頷き合い、俺達は洞窟から外に出る。今起こった出来事を話せば祭りどころではなくなるが、俺にとってはどうでも良い事だった。

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