第2話 ヴォルガー
「ケイオス、後は片付けておけ」
兄弟達が食べ終わり、最後に残った親父が立ちあがりながら後始末を命じる。もちろん食卓には俺のために用意された食事など無い。この糞親父や兄弟達が残した残飯が俺の唯一の食事だ。汚らしく食い散らかされた食べ物の欠片を口に押し込み、水で無理矢理流し込む。もともと美味い料理ではないが、冷えた上に美味しい部分は既に食べられているので味など推して知るべしだ。
なぜハーフの俺がこんな魔族の村に住んでいるのか、それには理由がある。魔族である親父と人族である俺の母親の馴れ初めは、ロマンチックとはかけ離れたものだった。ある戦いで魔族が人族に勝利し、魔族は勢いに乗って人族の街に乗り込んで略奪を開始した。その時親父は逃げる人族の娘を犯し、そのまま自分の住むこの集落まで連れ帰った。それが俺の母親だ。まだ年端もいかぬ母は毎日の様に親父に犯される内にすぐ精神に異常をきたした。逃げる事も出来ずに周りには頼れる者も居ない。そして自分を玩具のように扱う恐ろしい魔族の存在と一つ屋根の下に住む精神的な負担は、若い人族の娘の自我を簡単に崩壊させたのだ。
俺の母を弄んだ親父は、当初は廃人同様になった母を始末しようと思ったらしい。だがすぐ気が変わったそうだ。自分の子供を人族が産めば、どんな子供が出来上がるのか興味がわいたと言う理由で。もはやただの肉人形と化した母を、親父は飽きもせずに毎日の様に犯し続けた。そしてめでたく――いや、めでたくなく、母は俺を妊娠。そして順調に育った俺を無事出産させられた母は、まるで実験動物のように殺された。そして遺体を弔う事も無く、魔物の餌として村の外に投げ捨てたそうだ。
小さい頃はなぜ自分には母親が居ないのか、常に不思議に感じていた頃があった。村に住む同年代の魔族の子供には、その身を守るかのように母の姿が側にあったからだ。だがすぐにそんな考えは消えて無くなる事になる。村に住む魔族達、血の繋がっている自分の父親や兄弟達までもが、人族とのハーフには親など居ないと言うのだ。お前は家畜から生まれたそのまた家畜なのだから、親などと言う上等な者は居ないと。物心つく前からそう言われていた俺は、そんなものかと自分の境遇に特に疑問も持たずに過ごしていた。
だが魔族の中にも変わり者は居るらしく、そんな家畜にも教育を施そうとした人が居た。それがアンジュの父親であるワイズと言う名の男だ。彼は俺に読み書きや計算を教え、世の中の事を教えてくれた。この村の外は広大で、様々な人種が様々な国家を作っていると。そこには見た事も無い食べ物や目の眩む様な財宝が溢れているのだと。話を聞いた俺は外の世界に憧れた。俺を家畜扱いする村を捨て、いつか外の世界に踏み出したいと思った。
だがそんな気持ちは次第にしぼんでいき、希望は絶望に、憧れは妬みに変わった。毎日毎日誰もやりたがらないような仕事を押し付けられ、満足に食事も与えてもらえない。特に理由も無いのにハーフと言いうだけで殴られ蹴られする毎日。こんな状況からどうやって抜け出せと言うのか。外の世界に出るには金が要る。そして力も要る。日々の食べ物にも事欠く小柄なハーフが、外に出て生きていけるはずが無い。ワイズの教育のおかげである程度知恵のついていた俺は、逆恨みだと理解しつつもワイズを恨まずにはいられなかった。なぜ俺のような半端者に、行けもしない外の世界の話をしたのだと。
それから俺はワイズと疎遠になった。彼は寂しそうに笑うだけだったが、俺にはその笑みさえ煩わしく感じられた。彼が俺と関わりを絶つと、その穴を埋める様に彼の娘のアンジュが訪ねて来るようになった。アンジュは俺の兄弟や親父達とは気が合わないらしく、話しかけるのは主に俺だけだ。たまにヴォルガー達に声をかけられると露骨に嫌そうな顔をする。あの女も何を考えているのかよく解らなかった。なにせ、やたらと文句を言いつつも俺の世話を焼きたがるのだ。
「別にいいさ。俺には関係ない」
そう、アンジュが何を考えているのかなどどうでもいい。どうせ俺はこのまま狭く貧しいく薄汚いこの村で死ぬまでこき使われるのだ。先の事など考えるだけ無駄に終わる。そんな暇があれば、少しでも楽に仕事を回す方法でも考えた方がマシだった。俺は特に味わう事も無く残飯を口に押し込むと、水をあおり無理矢理胃に流し込んだ。
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麦祭りの日が来た。集落に住む魔族達は朝から浮足立っているような気がする。特に祭りで踊りを披露する若者達は鏡を見て身だしなみを整えたり、踊りの相手を申し込むための花束作りに余念がない。俺はそんな奴等の姿など気にもしないで、朝から祭りの準備に大忙しだった。本来この役目はとっくに家庭を持っていたり現役を引退した男達の役目なのだが、俺は当然の様に手伝いに駆り出されていた。
「ケイオス! もたもたしてないで、このお供え物を麦神様の所に持って行け!」
「は、はい」
準備をしていると年老いた魔族の一人に怒鳴られる。もたもたしてると殴られるので、慌ててお供え物を手に森の奥に駆けだした。森の奥には祭りの祭神である麦神を祀った小さな洞窟があった。この麦神と言うのはおとぎ話に出て来る光の神や邪神とは一切関わらず、全ての陣営に等しく恵みを与えたと伝えられている。そのために、麦神を祀るのは人族も魔族も共通の事だった。俺が小走りに洞窟に向かっていると、人の気配があったので慌てて身を隠し、手に持ったお供え物を茂みに隠した。もしお供え物を取り上げられたら、奪った本人より俺が殴られるのが目に見えているからだ。
「なあ、いいだろ? いい加減俺と付き合えよ」
「しつっこいわね! 何度も言うけど、あんたの事は好きじゃないのよ!」
誰かと思えばヴォルガーとアンジュの二人だ。事情は解らないが、大方ヴォルガーが踊りの相手をアンジュに迫っているってところだろう。
「なんでだよ!? 俺はこの村で一番強いし、何よりスキル持ちだぜ?何が不満なんだ?」
「そうやって他人を見下してるところが気に入らないのよ。とにかくあんたと踊りなんて死んでも嫌よ。もう戻るわ。そこどいてよ!」
ヴォルガーの誘いを強く拒絶したアンジュは、ヴォルガーを押しのけると村の方に駆けて行った。それを見送ったヴォルガーは去って行くアンジュの背中を憎々し気に睨み、怒りに拳を震わせている。アンジュ……大丈夫だろうか? ヴォルガーは自分で言うだけあって、この村では一番戦闘力の高い男だ。その恵まれた体格もさることながら、奴を強気にさせている理由はスキルの存在がある。
スキル――この世界に存在する生物には、稀にスキルと言う特殊能力を持って生まれて来る者達が居た。その内容は様々で、視力が強化されていたり足が速かったり、泳ぐのが速かったり計算が速かったりと、多種多様だ。そしてスキルを持つ者も人族や魔族に限らず、動物から魔物まで様々だ。だが一つ共通しているのは、持っているスキルは基本一つと言う事。しかし世の中にはさらに稀有な存在が居るらしく、基本スキルとは別にユニークスキルと呼ばれる、世界でも数えるほどしか居ない珍しいスキル持ちが存在するらしい。現在魔族を統治している魔王や、人族の英雄たる勇者などはユニークスキル持ちだと聞いた事がある。もっとも、これらの知識もワイズから教えてもらった事なので真偽のほどは定かではないが。
話を戻そう。ヴォルガーのスキルは本人が散々自慢しているだけあって、この村に居る者なら誰でも知っている。あいつのスキルは『身体強化:弱』と言う、文字通り体の身体能力を強化するスキルだ。大きな街や都に行けばあいつ程度のスキル持ちならそれほど珍しくも無いそうだが、こんな小さな村では、そんなスキル持ちでも持ち上げられるのだ。
「ま、いくらヴォルガーが筋肉馬鹿でも、力ずくで襲うほど馬鹿じゃないだろ」
自分の仕事を思い出し、その場を後にして麦神の祀られている洞窟を目指した。だが俺は少し楽観的と言うか、ヴォルガーの事を甘く見ていた。馬鹿と言うのは、考えられないような事をするから馬鹿と呼ばれるのだと後々思い知る事になるのだが、この時の俺には知る由も無かった。
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