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「相変わらず、可愛いね。白瀬の彼氏になるやつが羨ましいよ」麦は言う。
そんな麦の言葉を聞いて、芹はようやく彼女の名前を思い出した。
……白瀬薺。
そう。白瀬薺だ。
確かに彼女は、そんな名前をしていたはずだ。
芹はなにも言わずに荷物を持って席から立ち上がった。
「? ……どうかしたん?」きょとんとした顔で麦が言う。
「悪い。麦。ちょっと急用を思い出した。これ、お金。払っといてくれないかな?」
そう言って芹は財布から千円札を取り出して、テーブルの上においた。
「いや、別にいいけどさ、急用ってなに?」
「ちょっとな」
芹はそう言うと、去り際に親友の肩をぽんと手で叩いてから、そのまま「ありがとうございました」と言う店員さんの声に頭を下げて、喫茶店『木枯らし』のおしゃれな店内をあとにした。
店の外に出ると、芹はすぐに彼女の姿を探した。
彼女が、……白瀬薺が、友達と一緒に歩いて行った道のほうを見てみる。でも、そこに薺の、二人の他校の女子高生の姿はなかった。
時刻は夕方で、駅前ということもあり、田舎の街とはいえ、人の数が結構多かった。彼女は商店会のほうに向かって歩いて行ったようだった。
芹はとりあえず、そちらに向かって移動をしてみることにした。
薺。
……白瀬薺。
どうしてその名前を忘れてしまっていたのだろう?
どうして彼女のことを、僕はきちんと記憶しておかなかったのだろうか?
僕は、彼女のことを、……白瀬薺のことが好きだったんじゃないのか?
芹は思う。
僕は小学生のころに確かに彼女に恋をしていたはずだと。
でも、彼女はあまりにも高嶺の花だったから、臆病者だった小学生の芹はいつも遠くから彼女の姿を眺めることしかできなかった。
そんな思い出が、確かにあった。
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