【4/25書籍発売】夫君殺しの女狐は今度こそ平穏無事に添い遂げたい ~再婚処女と取り憑かれ青年のあやかし婚姻譚~【WEB版】
綾束 乙@8/16呪龍コミック2巻発売!
1 この一行を見た者は、花嫁行列ではなく葬列と思うでしょう
四方を布の
髪飾りから顔の前に垂らされ、花嫁の顔を隠すための薄い
事情を知らぬ者が豪奢な花嫁衣装を纏う香淑を見たら、花嫁が感嘆の吐息をこぼしたと思うだろう。
香淑が纏うあざやかな赤地の衣装は、この国の伝統的な花嫁衣装だ。
「こちらが、
宿で榮晋の老侍女・
名家と呼ばれる
これほど立派な花嫁衣装を贈ってくれたという
今度こそ。今度こそ幸せな結婚ができるのではないかと。
富も地位も、特別なものは何もいらない。
ただ、ごく普通の夫婦として互いを思いやりながら苦楽を分かち合い、共白髪になるまで添い遂げたい。
それが、心の奥底に仕舞い込んだたった一つの願いだ。
榮晋からの花嫁衣装を見た時、ずっと心の奥底に閉じ込めてきた願いがようやく叶うかと、思わず涙ぐみそうになるほど嬉しかったというのに――。
香淑は再び洩れそうになった溜息を押し殺すように唇を噛みしめる。
帳の向こうでは、潮が満ちるように、宵闇が細い路地を満たそうとしていた。
日も暮れつつある今、寂れた路地を行く者は、香淑の輿以外に誰もいない。
大通りならば酒楼の
輿を先導する呂萩の軽い足音と、輿を担ぐ人足達の重なる足音以外に、物音一つさえない。
溜息すら思いがけなく響いてしまいそうで、息を吐くのさえ、はばかられる。
無意識に洩れそうになる溜息を押し殺そうと身じろぎすると、しゅす、と
この衣装を榮晋の心づくしと思うなど、なんと自分は愚かだったのだろうと、香淑は自嘲する。
立派だったのは、花嫁衣装だけ。
(この一行を見た者はきっと、花嫁行列ではなく、葬列だと思うでしょうね……)
まるで葬礼のように人目を避けて進む、花一つ飾られていない質素な
行く道に花を撒いて歩く乙女もいなければ、祝い歌を口ずさみ、
むろん、輿を導く花婿の姿も、なく。
婚礼の日、花婿が花で飾られた輿で花嫁の家まで迎えにゆくのは、婚礼のしきたりの一つだ。
花嫁は花で飾られた輿に乗り、親戚や侍女、集落の人々など、婚礼を祝う人々とともに、にぎやかに街中を練り歩いて花婿の家まで向かうのが、一定以上の身分を持つ者の慣例だ。
五日前、他州にある香淑の実家に、花嫁の迎えとして呂萩が遣わされてきた時、香淑は自分を慕ってくれる侍女達が
香淑にはもったいないほどの豪奢な花嫁衣装を目にした時、花婿の迎えを期待していなかったと言えば、嘘になる。
丹家とさほど離れていない街中の宿までなら、ひょっとして迎えに来てくれるのではないかと。
だが、実際は。
(まるで、嫁入り自体を隠すかのように……)
隠すのも仕方があるまいと思う。
――香淑は四度目の嫁入りとなる、買われた花嫁なのだから。
そう考えた途端、
買われた花嫁であると、言外に告げられているようで。
もし、榮晋が香淑の心を縛るためにこの豪奢な花嫁衣装を用意したというのなら、すでに目的は十二分に果たされている。
ひたひたと押し寄せる宵闇の中で見る赤は、どこか毒々しい。
血だまりを連想させる赤に、香淑は思わず両腕で我が身をかき抱いた。
まなうらに浮かびかけた酸鼻な光景を、目を固く閉じて心の奥底へ封じ込める。
揺れる輿から伝わったものではない震えが全身を満たし、香淑は奥歯を噛みしめた。
どうか、この震えが外には伝わりませんようにと願う。
今、呂萩に声をかけられたら、平静な声で答えることなど不可能だ。
衣にしわが寄るのも
固く目を閉じ、震える唇で紡ぐのは、すがるような祈り言葉だ。
どうか、どうか、今度こそ幸せな結婚となりますように、と――。
祈る香淑の耳に、不意に重く大きい音が届く。
はっとして目を開けた香淑の視界に飛び込んできたのは、輿の目の前でゆっくりと開かれる丹家の大きな門だ。
重く軋む音を立てながら開いていく門の向こうに見えるのは、花嫁の到来を待っているとは思えぬ、わずかに
ほのかな明かりが、逆に闇を深めているようで、身がすくむ。
まるで、怪物の
先ほどまでの恐怖が記憶と身体に刻みつけられた傷からだとすれば、これは本能の奥に宿る原初の恐怖だ。
逃げ出してしまいたい、という欲望が、一瞬、香淑の意識を遠のかせる。
と、薄い膜に覆われたように、ほんのわずかに恐怖がやわらぐ。
同時に、逃げてどこへ行くのか、と理性が冷ややかに囁いた。
そうだ。嫁入りの見返りとして援助を受ける実家はどうなる。
両親はともかく、官職を得ようと奔走している年の離れた弟は?
富裕と有名な丹家に嫁げるなんてと、四度目の嫁入りを
開いた扉をくぐり、
帳の向こうは深い闇で、敷地内の様子は欠片もうかがえない。
香淑は凝る闇を遮るかのように目を閉じ、深くふかく、息を吐く。
ここまできて、帰ることなどできない。
たとえ、婿となる
香淑が覚悟を決めたのと呼応するように、輿が止まる。
輿が止まったのは、立派な堂の前だった。さすがにここだけはいくつもの灯籠が配されていて明るい。
おそらく、ここが丹家の祖先が祀られている堂なのだろう。花婿の家の祖先の霊前で婚儀の報告をし、誓いの盃を交わすのが、婚礼の中で最も重要な儀式だ。
その後、家族や親類縁者、招待客と花嫁のお目見えも兼ねて祝宴を催すのが一般的な婚礼の流れだが。
きっと宴はないのだろうと、香淑は直感的に悟る。
しんと静まり返った丹家の邸内には、にぎやかな宴の気配は欠片たりとも感じられない。まるで、墓場のような静けさと重苦しさだ。
輿が地面に下ろされ、担いでいた男達が無言で闇の向こうへと消えていく。
が、香淑は気にしている余裕などなかった。
帳の向こうに、堂の入口へと続く
その上に立ち、輿を見下ろしている赤と金の衣装を纏った青年の姿も。
帳を透かして香淑が様子を窺うより早く、呂萩がするすると帳を上げる。
同時に、上がった帳の間から吹き込んだ夜風が、髪飾りから顔の前に垂らされた紗をめくりあげた。
突然、明瞭になった香淑の視界に飛び込んできたのは。
まるで、月から神仙が降り立ったかのような、
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