7章 崩壊の足音
第39話 存在証拠
目が覚めたのは昼2時で、僕は体の節々の痛みを感じながら起き上がった。
すると、七瀬は僕よりもずっと早くに起きていたようで、いつものように床に積まれた文庫本を読んでいた。
「お、おはよう……飯食ったか?」
反応はなかった。まあいい、これはあいさつのようなものだから返されないこと前提なのだ。
机の上を見ると、カップ麺の空が箸と共に置かれていた。
どうやら朝飯か昼飯は食べたらしい。
僕はひとまず安心してトイレに向かった。
便座に座り、ふと昨日のことを思い返す。
本当に濃密な一日だったな……
昨日からまるで世界が別物のように感じる。ずっと夢から覚めていないようなそんな感じだ。
「七瀬麻里は僕のことが好き、だった……」
自分に酔っているように呟いている自分が痛々しく思えた。
はぁ、僕は浮かれているんだな。
七瀬はこれまでと何も変わらず、僕だけが一人暴走している状態だ。見返りもなく、ただ意味のない時間が過ぎていくだけだということを胸に刻む必要がある。
さて、早速七瀬の手がかりを見つけるべく、秋良に聞いてみなければいけない。七瀬麻里が演劇部でどんな台本を覚えていたのか確認する必要がある。
昼飯を軽く済ました後、僕は秋良に連絡を取ってみた。
電話をかけると運良く秋良はすぐに出てくれた。
「もしもし、何だよ急に」
少々苛立っているようにも聞こえたが、秋良はいつもぶっきらぼうな態度なので、いつも通りかもしれない。
「ごめん、ちょっと聞きたいことがあって」
「あ、もしかしてこの前の同窓会の話か?」
「まぁ、うん。それに近い話」
「なんだ、実は参加したかったとか?」
「違う!それはありえない!」
思わず声が大きくなってしまった。
「わ、わかったよ……そんなキレんなよ」
「いや怒った訳じゃないんだ……ちょっと気に障っただけで……で、聞きたいことっていうのが、その、七瀬麻里についてなんだ」
「え?あの発見されたボールペンに書かれてた子?そいつについては俺は何も知らないって言っただろ?」
「違う、秋良は彼女のことを知っているはずだ」
「……お前ってさぁ、無駄に頑固なところあるよな」
「七瀬麻里は君と同じ演劇部だったんだよ!」
「……演劇部って、高校の?」
「そうだよ、少なくとも3年の途中まで彼女は演劇部にいたはずなんだ」
「後輩か?」
「同級生だよ。しかも同じクラスメイトだったじゃないか」
「いやぁ、お前がここまで認知しているクラスメイトがよくいたもんだ。感心感心」
「……たまたまだよ……覚えていたのは……」
僕は話を誤魔化す。
「でもよお、そこまで接点があるのなら覚えてないはずがないだろ?」
秋良の声が急に鋭いものに変わり、僕は一瞬ぞくりとした。
秋良は演劇をやっていたせいか、急に声のトーンが変わることがある。もちろん演技をしている訳ではないが、日常的に演技の練習をしといる影響で、感情表現がやや大げさになっているのかもしれない。
「だいたい、他のクラスメイト全員覚えてなかったんだぜ?卒業アルバムにも名前がない。むしろ、『七瀬麻里ってやつがいた』というお前の記憶が間違ってるんじゃないか?ほらお前妄想癖と思い込み激しいだろ?」
「違う!彼女は存在してたんだ!!」
僕は感情的に半ば叫んでいた。
空気が痛いほど静まり、冷え切ったのを感じた。
暫しの沈黙。
「……ごめん。でもこの記憶は間違い無いんだ。七瀬麻里本人も証言してるんだ」
「わかったからそう癇癪おこすなよ。でも証拠がないと信じたいものも信じられないだろ?その証言ってのを聞いてみたいもんだが」
「……証言はちょっと今は無理だけど、彼女がいた記録は絶対に残ってるはずなんだ。彼女は卒業前に突然行方不明になったんだ。だから、市役所かどこかの行方不明者の名簿にも名前があるはずだ」
「なるほど、行方不明になったから卒業アルバムにも載ってないのか……って、そんな衝撃的な出来事あったら俺もみんなも絶対覚えているはずだろ!」
「……たぶんみんな一時的に忘れているだけなんだよ。僕も昨日やっと思い出したんだ。秋良も思い出せないか?演劇部で一緒に活動してただろ?」
「言われてみれば、確かに演劇部の思い出で不鮮明な部分があったんだよな……」
「それって、この前言ってた3年の時の文化祭での公演?」
たしか本来の演者が突然いなくなって、秋良が代役して散々の結果だったっていう……
……突然いなくなった演劇部員?それって……
「まさか、当日ドタキャンしやがったヤツが七瀬麻里ってことなのか?」
秋良が狼狽えた声で確認するように彼女の名前を出した。
「たぶんそうだと思う。七瀬麻里のこと思い出した?」
「うーん全く」
やはり覚えていない。僕は落胆し、次の言葉がなかなか出なかった。
「いや、すまん」
秋良が雑に謝ってきた。
「そうか……でも七瀬が演劇部にいた可能性はあるんだよな?」
「もし仮に七瀬麻里ってやつがその消えた演劇部に当てはめると確かに辻褄が合う。引退最後の公演だからって台本全部自分で書いてきて自分で演じるっていうやる気満々の部員、お前が七瀬麻里ってやつがいたって言うなら、その部員がそうだろう」
秋良が前言っていた話だ。七瀬麻里は最後の文化祭での公演に全てをかけていたようだ。
だが、彼女はその公演を見ることも演じることもできないまま終わるのだけど。
ただ、はっきりと七瀬麻里が、消えた演劇部員とはわかった訳ではない。秋良から七瀬麻里だと確証は得られていない。
抜け落ちた記憶の断片を一つずつ集めて照らし合わせて行くしかない。
「何で同じ部員の名前忘れてるんだろうな、七瀬麻里って名前聞いてもまだ何も思い出せないだよなぁ……」
「消えた部員のことは何か覚えてないか?」
「えーっと、チラシも配ってたな。色んな人に所構わず。ほら、文化祭の演劇のチラシ」
そうだ、文化祭前に七瀬は僕にもチラシを直接渡しに来たんだ。この劇は台本から演技まで自分でやるって、熱弁してたっけ。
「たしか演目は……秋良覚えてるか?」
「『異邦人』だったかな」
「……うん……そうだった」
結局文化祭当日、僕は彼女の記憶がないまま演劇部の公演も見に行かなかった。
でも、なぜか彼女から貰ったチラシは大事な気がしてずっと取っておいていたんだよな。……最近捨ててしまったけど……
「あー、あと思い出したことあったわ」
秋良が急に声張り上げて言った。
「2年の頃同じ演劇部の村沢が付き合ってた彼女が七瀬麻里ってヤツかも。ま、村沢から告白したらしいが」
「七瀬が付き合っていた!?」
「たぶん。彼女がどんな子かはっきり覚えてないけど、演劇部員だったのは覚えてるんだよ。これも変だろ?だからお前の言う、七瀬麻里なんじゃないかってな。で、村沢は彼女と1ヶ月くらいで別れたんだよ。2年の終わり頃だったっけな、確か修学旅行に行く前だな。振られたんだよ、彼女の方から言われたらしい。一緒に修学旅行周るつもりだったらしいから村沢のやつかなり凹んでたよ」
「へ、へー……村沢は知らないけど……」
そんな、七瀬が誰かと付き合っていたなんて全然知らなかった。だが、そもそも僕と七瀬は2年、3年と同じクラスだったが、互いに話すような関係になったのは修学旅行の後あたりからだ。それまでは互いの存在は知っていても、ほとんど言葉を交わすことはなかった。それに、僕はあまりにも他人に無関心だったから、クラスメイトの噂話なんかも一切耳に入って来なかったのだ。
「だとすると村沢の方が七瀬のこと覚えてそうだけど、今度俺が聞いてみようか?」
「できるなら、聞いてほしい」
「明日にでも電話してみるか」
「あっ!でも!」
「な、なんだよ急に」
「あまり深い話までは聞きたくはないかな……こう、生々しい話というか……」
「いや〜もう村沢も立ち直ってるし、昔の話だって割り切って話してくれるだろ〜大丈夫だって。お前も気遣いできるんだな」
……単純に不快だから聞きたくないだけなんだけど。
「しかし、何でこんな重要なこと俺もみんな忘れてたんだろうな」
「それは……宇宙人のせいだよ」
「……なんかお前高校の時と同じようなこと言ってるな」
「事実だからさ」
「お前がそう思うんならそうだろうな」
明らかに信じていないような言い方。でも昔から秋良はこういう調子だ。心底馬鹿にしている訳ではないが、信用せずに流す。だが、そのようにぶっきらぼうな言い方が僕にとっては無干渉で居心地が良かった。
「七瀬麻里は文化祭の前の夜、宇宙人に拐われた。僕は現場で見たんだ。宇宙人はその事実を隠蔽するためにみんなの七瀬麻里に関する記憶を消したんだ」
「そういえば前日に、公園で宇宙人呼ぶとか教室で誰かが言ってたな。お前本当に行ったんだ」
「当たり前だ」
「で、本当に宇宙人が現れて七瀬麻里を拐ったってか」
「僕は目撃したんだ」
「ふーん、面白い話もあるもんだな。それで七瀬麻里ってヤツは見つかったのか?なんか前話した時は知り合いにいるみたいな事言ってたが」
「それは……」
今の七瀬麻里の様子を正直に話していいのだろうか。
もし秋良に話して七瀬の家族まで情報が伝われば、家族に保護してもらえるかもしれない。そうなれば万事解決、僕は解放されるし、彼女も幸せだ。……きっと。
だが、七瀬を手放すことを躊躇する自分がいた。
「またいなくなってしまったんだよ」
知らぬ顔で嘘っぱちなことを話していた。
独占欲。そう思うとぞっとする。違う、僕はそうじゃないと否定するも、他の真っ当な理由が浮かばなかった。
嫌な汗が額から流れる。
「この前まで見かけたんだけど、昨日から行方が分からなくてさ、その人本物の七瀬麻里だったかもしれないのに、僕その時は思い出せてなくて、きっと彼女の親も探してるだろうに、本当に申し訳ないや」
つらつらと真っ赤な嘘と言い訳が口から流れていた。
「僕、彼女が拐われた時、何もできなくて責任感じてるんだ。なんとか探し出さないといけないと思って……」
僕は一気に話し終えると、やっと一息つくことができた。汗が頬をつたっていた。
無駄な正義感を友人にひけらかして、本当にやっていることは全部僕のエゴだ。
本当は僕が一方的に彼女を軟禁していると秋良が知ったら軽蔑するに決まっている。
彼女を匿ってひたすら研究対象として調べ尽くす。倫理観などまるでない研究者ごっこをしている惨めな男、それが僕だ。
自分で愚かな行為であることはわかっていたが、もはやどこが止どまる境界線であるかもわからなくなっていた。
「そうか、じゃあ何か手がかりになるものとか探した方がいいか?演劇部の台本とかあったけど。あ、タイムカプセルに入っていたボールペンは送ればいいんだっけ?」
「ボールペンは……もう送らなくていいよ。あれは僕が彼女から借りてたやつなんだ」
「なんだ、じゃあ入れたのはお前だったんだな。でもこんなもの俺が持ってても邪魔だし、今度そって行くとき持ってくるわ」
「わかったよ、秋良が織奥に遊びに来た時受け取るよ。あっ、それと演劇部の台本っていうのはまさか『異邦人』の?」
「ああ、意味あるかわからないけど、七瀬麻里本人が書いたものだから、手がかりがあるかもしれないだろ?」
「その台本送ってくれないか?」
「データじゃなくて紙の台本だけどいいか?」
「全然構わない、なるべく早く送ってくれ」
「わかった送っとくよ」
七瀬がたまに話す台本のセリフ。もしそれが「異邦人」の台本のセリフなら、納得が行く。何度も練習して口に出したセリフなら彼女の記憶にも強く残っているはずだ。
「ちなみに、その『異邦人』の劇ってどんな話だったんだ?」
「あーたしか、宇宙人が地球に侵略しに来たところ地球人の男に惚れて、最後には侵略する使命を裏切って、宇宙人と男は2人だけで逃亡するんだよ」
「……逃避行ってやつ?それで逃げて2人はどうなるんだよ」
「……え?逃げて終わりだ」
「なんだよそれ、締まりがないなぁ」
「高校生が考える演劇なんてそんなもんだよ。逆にお前だったらどういう終わり方にすんの?」
「僕だったら、2人は宇宙に無事脱出してどこかの星で幸せに過ごしました。めでたしめでたし。ってハッピーエンドにするよ」
「なんかそっちの方が夢みがちな終わり方で嫌だな」
「創作物なんだから夢みがちでもいいだろ」
「逃げたところで幸せになるはずかないじゃん。逃げたやつに未来なんか無いんだよ」
何気なくそう言い捨てた秋良の言葉は、不意に僕の心に深くのしかかった。
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