婚約回避のため、声を出さないと決めました!!

soy/ビーズログ文庫

決意

私には顔が良く頭の固い二十五歳の兄が一人と、美人で私と違って人当たりのいい姉が二人いる。

 要するに、四兄妹である。

モニキス公爵家は貴族の中でも最高位の由緒正しい家柄。兄は王子の側近候補とまで言われる優秀な人間で、公爵家に嫁いだ長女と侯爵家に嫁いだ次女は社交界の宝石と言われる貴族女性達のカリスマであった。

 そんな華やかな兄妹に対し末っ子の私はというと、常に図書館に入り浸りの本の虫で、社交界に出ることよりも知識を頭に詰め込みたい変わり者だ。

「女性は女性らしくマナーやファッションの勉強をしなさい」

 兄にはよく、そう言われた。

「貴女もちゃんと夜会に出て素敵な旦那様を見つけなくちゃ! そうね~~おすすめな殿方は……」

「アルティナに似合いそうなドレスを見つけたのよ! どう? パステルピンクにフリルたっぷりのドレス! 今、流行っているのよ!」

 姉二人は口を開けば殿方とドレスのことばかり。

 理想の女性像を押し付けてくる兄にも、興味のない話を延々喋り続ける姉二人にも、うんざりなのだ。

 そんなある日、私に婚約話が持ち上がった。

 相手はなんとこの国の第二王子。

「お兄様、私に婚約なんて無理です。まだ十四歳ですし、しかも王子様だなんて……本を読む時間がとれるわけありませんわ! 悪い冗談にしか聞こえません」

「これ以上の相手はこの国にいないのだぞ。我が儘ばかり言っていないで僕の言うことを聞きなさい」

 兄にケンカを売り、肩を掴まれた私はそれを振り払おうとして体勢を崩し転んだ。

 勢いそのままに頭を床にぶつけて気絶してしまったのは予想外だった。

 遠くで兄の焦る声が聞こえた気がした。



 目が覚めると心配そうに私の手を握る兄と、目を涙でいっぱいにした姉二人が私を覗き込んでいた。

「アルティナ。僕が解るか? 僕のせいですまなかった」

 謝る兄に首を横に振る私。

「アルティナ、痛いところはな~い?」

「アルティナ、喉は渇いてな~い?」

 心配そうな姉二人にも首を横に振ってみせた。

 若干たんこぶができている気がするが我慢できないほどではない。

 私は口を開き喉を押さえた。

 兄と姉二人が、首をかしげた。

 私は首をおさえたまま、口をパクパクと動かした。

「アルティナ、お前まさか、声が出ないのか?」

 兄は絶望を顔に張り付けて呟いた。

 耳を塞ぎたくなる姉二人の悲鳴が部屋に響き渡る。

 直ぐに医者が呼ばれ色々な検査をされたが一向に声が出ない……。

 いや、出すつもりがないのだ。

 私の話を聞く耳を持たない兄と姉。

 なら、会話する意味がない。

 むしろ会話は愛する読書を妨げるだけなのだ。

 だから私は、本を読むだけの生活のために声を出さないと、決めたのだった。


     ※


 私が声を出すことをやめてから、兄は気持ち悪いぐらいに優しくなり、姉二人は私が可哀想だと瞳をウルウルさせる日々が続いた。

 どうしても伝えたいことがある場合は筆談になるのだが、これがまた画期的で、私が紙に言葉を綴る間、兄も姉達も黙って待ってくれるのだ。

 興味のない話は笑顔で頷いていればいい。

 意見を求められないって最高!!

「アルティナ……すまないが、今回の第二王子殿下との婚約はなかったことになった」

 兄が神妙な面持ちで告げた言葉に、姉達がこの世の終わりのような顔で息を呑んだのが解ったが、私は眉尻を下げて紙に言葉を綴った。

『仕方がないことだわ。声の出ない私を妻に迎えるなんてあり得ないもの』

 姉達が私を抱き締めて咽び泣く。

 兄も苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

 いやいや、全然悔しくも悲しくもないから。

 むしろ、歓喜だから!

 私は姉達の背中を優しく撫でながら、内心ガッツポーズをしていた。


     ※


 婚約の話がなくなってから、私が図書館に入り浸ることに兄も姉達も口を出さなくなった。

 可哀想な私が唯一気を紛らわせる場所だと思っているようだ。

 可哀想ってところが失礼だが、それでいい。

 私は今、かつてないほど幸せなのだ。

 起きる、食べる、近くの図書館に馬車で移動して本を読む、日が沈むころに馬車で帰宅、食べる、入浴、就寝のサイクルで、まさに神スケジュール。

 声を出さないことが、こんなにも都合がいいものだったとは。

 それなら一生出さなくていいや。

 その時の私は、本当にそう思っていたのだ。


     ※


 声を出さなくなって三カ月。

 兄と姉達は色々な医者を呼び、僧侶を呼び、魔女まで連れてきた。

 そう、最後に連れてきた魔女のお婆様だけは私が声を出さないだけで本当は声を出せることに気がついた。

『声を出さない理由を聞いてもいいかい?』

 魔女様は私に筆談で聞いてくれた。

 だから、私も筆談で返した。

『兄と姉達が面倒なので』

 魔女様は愉快そうに笑った。

『面白い子だね』

『そうでしょうか? それより、もっと楽しい話をしましょうよ! 魔法とか、薬とか興味があります』

 魔女様の話してくれたお話は本当に面白かった。

 魔法は想像力が大事だとか、この花は薬になるが根には毒があるとか。

 分厚い本のように知識溢れる魔女様のことを私はすぐに気に入った。

『お嬢さん、図書館なら王立図書館の方が蔵書が多くて楽しいと思うよ』

 魔女様が来た次の日から、私が王立図書館の本の虫になったのは言うまでもない。


     ※


 王立図書館は城の中に入り左手に進んだ奥に一般公開スペースとして併設されている。

 城では上階に行くにつれて警備が厳しくなり入れるエリアも変わってくるのだという。

私の隣には、送ってきたものの一人で図書館に行かせることが心配になってしまった兄がいる。

 といっても、兄は王子様達の側近候補の一人として文官の仕事があるので入口までのエスコートはできない。

 ちなみに、このサラーム国の王子様は三人。

 長男で側室の子のディランダル様と、妃殿下の子である次男のライアス様に三男のファル様だ。

 噂では皆様優秀だと聞くが、王太子の異母弟であるライアス様と婚約なんてしていたら、お家争いとかに巻き込まれていたかも知れない。

 婚約の話がなくなって良かった。

「昼に迎えに来る。一緒に昼食をとろう」

 兄は私の頭を撫でてから城の中に消えていった。

 兄を見送ってから、私は王立図書館の扉をゆっくりと開いた。

 はっきり言って、ここは天国じゃないだろうか?

 沢山の蔵書が自分の身長の何倍もの高さで並べられていて、上段の本は本棚に備え付けられた可動式の梯子を上ってとるようだ。

 どの本を読もうか悩んでしまう。

 私は目の前にあった植物の図鑑を棚から引き出しパラパラと図鑑をめくった。

「お嬢さん。そんなところで読むには図鑑は重いでしょう? こちらに座りませんか?」

 爽やかな笑顔の男の人に声をかけられて私は鞄からノートを取り出し、あらかじめ書いておいた『ありがとうございます』のページを開いて見せてから頭を下げた。

 私は、驚いた顔の彼の座っている席から二人分のスペースをあけて座り、図鑑のページをめくった。



 お昼になり、そろそろ兄が来るころだと思い本を棚に戻した。

 見れば新参者の私が珍しいのか、すれ違う人にチラチラ見られている気がする。

「お嬢さん、食事を一緒にいかがですか?」

 さっき席をすすめてくれた爽やかさんが私の前に立ちはだかった。

 私はノートに『兄が迎えに来るのでごめんなさい』と書いた。

 私が文字を書く間、彼はニコニコしながら私を見つめている。

「僕の妹に何か用か?」

「へ? ユーエン様? えっ? 妹?」

 そこに現れたのは兄だった。

 兄の顔を見た爽やかさんの顔が青い。

『お兄様、この方に優しくしていただきました』

 簡単に書いて兄に見せると、兄は口元をヒクヒクさせて爽やかさんを見た。

「ひっ!」

「僕の妹に何をしたって?」

「席をすすめただけです」

「アルティナ、本当か?」

 私はコクコクと頷く。

「アルティナ、世の中には爽やかな顔をしていても頭の中はいやらしいことしか考えていない男も沢山いる。こういう男に安易に近づいてはダメだ」

 えっ? そうなの? 兄の後ろで首をプルプル振っている、その爽やかさんが危険人物なの?

「いいか? 安易に男に近づかないと約束してくれるな?」

 私がここで否定すれば後々面倒臭くなることは解っているので、素直に頷くことにした。

「いいこだ」

 最近兄はよく柔らかい笑顔を作る。

「誰、あれ」

 爽やかさんから小さな呟きが聞こえたが、私は聞こえなかったことにして兄に肩を抱かれてその場を後にしたのだった。



 兄が連れてきてくれたのは城で働く人達用の食堂で、下は平民の騎士から上は宰相様まで、同じ食堂を使うのだという。

 興味津々に中を見渡し足を踏み入れると、さっきまでガヤガヤと煩いぐらいだった食堂が、空気がはりつめたようにシーンと静まり返った。

 余所者に厳しいとはこのことか?

「ユーエン様! デートでしたらこんな小汚いところに連れてきてはダメでしょうに」

 食堂の調理場から目つきの鋭いおじ様が慌てたように頭を出してそう言うと、兄は呆れたように返した。

「いや、妹とデートなどしない」

「い、妹⁉」

「ああ、末の妹だ。アルティナ、こちらはこの食堂の料理長だ」

 私は丁寧に頭を下げた。

 料理長さんは慌ててコック帽を取ると私に頭を下げてくれた。

「妹は今、声が出ないから挨拶は会釈ですまない」

 兄の言葉に料理長さんが唖然とするなか、兄はメニューを眺めて呟いた。

「アルティナ、何を食べる? ハンバーグ定食か? ポークジンジャー定食か? 肉Aセットもあるぞ」

 兄よ……聞いているだけで胸焼けしそうです。

「ユーエン様、女性にそのメニューはヘビーですぜ」

「? ……だからここは女性が少ないのか……」

 兄は困ったように顎を撫でた。

 私はノートに『お兄様が手伝って下さるならなんでも食べられます』と書いて見せる。

「そうか? では……」

 そんな様子を見ていた料理長さんは胸を強く叩くと言った。

「ユーエン様、俺にお任せ下せい! スペシャルランチを用意いたしやす」

「だが」

「任せてくだせい」

 兄は呆れたように一つ息を吐くと肉Aセットとスペシャルランチを頼んでくれた。

 暫く待つと、兄の前に茶色い肉の山の横に大量のパンが乗り小さなスープがついたトレイと、私の前にお肉のはさまったサンドイッチにサラダ、そしてスープにデザートのプリンがついたトレイが出てきて驚いた。

 兄の何処にあの量がおさまるのだろうか?

「アルティナ、そんな量で足りるのか? 僕のを分けてやろうか?」

私はプルプルと首を横に振った。

 充分な量である。

 私は料理長さんにもう一度頭を下げてから、あいている席を探す兄を追いかけた。

 席につくと、手をくみお祈りする私を気にするそぶりもなく、兄は大きく口を開けて肉を頬張っている。

 私もサンドイッチを手にとると、思いきって口を開けて頬張った。

 今まで食べたことのないジューシーなお肉が口いっぱいに広がりワイルドな味がした。

 サラダにはゴマを使った濃厚なドレッシングがかかっている。

 スープにも野菜が沢山入っていて、プリンにたどりつくころには大分お腹が苦しい。

 まあ、デザートは別腹なので食べきったけど。

 ああ、幸せだ。

 夢中で食べていたから気がつかなかったが、ここでも何故か無茶苦茶見られていた。

 うそ、顔にソースでもついているのだろうか?

 慌てて兄を見ると、むしろ兄の口にソースがついていた。

 兄のこんな顔、見たことがない。

 なんだか微笑ましくて口元が緩んでしまう。

 私はハンカチを取り出すと兄の口元を拭ってあげた。

「ああ、すまないな」

 私は笑ってみせた。

 貴重な兄の姿を見られたのだ。

 なんだか得した気すらする。

 私はノートを取り出して『私の口元は大丈夫ですか?』と書いて見せた。

「ああ、大丈夫だ」

 兄はそう言って笑顔を向けてくる。

 私は安心して、今度はノートに料理長さんへのお礼の言葉を書き始めた。

『美味しいランチをありがとうございました。どれもとても美味しくて食べ過ぎてしまいました。幸せをありがとうございます』と書いて兄を見ると、私が書いた文字を見て一つ頷いてくれた。

 兄がトレイを返却してくれている間に料理長さんにノートをちぎって手渡したら泣かれた。

「か、家宝にしやす‼」

 大袈裟だ。

 だが、喜んでくれたのならいいや。

 兄に連れられて料理長さんに手を振ってから食堂を出ると、ドッと騒がしくなったのが解った。

 もしかして私の存在は、迷惑だったのではないだろうか?

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