29 真夜中

 真夜中


 ……ばいばい。


「さゆりちゃん。トイレにいくの付き合って」

 保健室から準備室の布団の中に戻って眠っていた久美子が、暗い部屋の中でさゆりちゃんに言った。

「うん。わかった」

 さゆりちゃんは言う。

 さゆりちゃんは眠っていはいなかった。

 真っ暗な暗闇の中で、その大きな目を開けて、その闇の中にあるなにかをじっと見つめているようだった。

「ありがとう。今日は付き合ってくれるんだね」久美子は言う。

「眠たくないから」

 にっこりと笑ってさゆりちゃんは言った。

 二人は、布団から抜け出して、そっとなるべく音を立てないようにして、準備室から真っ暗な廊下に出た。(信くんは相変わらず、ぐーぐーといびきを書きながら、ぐっすりと眠っていた。そんな信くんの眠っている姿を見て、久美子は思わずちょっとだけ笑ってしまった)


 二人はざーという、真夜中の雨の降る音を聞きながら、一階の女子トイレに向かった。

 二人は無言のままだった。

 世界は沈黙していて、……真っ暗な闇の中には、あの闇闇が潜んでいて、そこからじっと久美子やさゆりちゃんのことを覗き込んでいるのではないか? というような妄想に久美子は襲われた。

 さゆりちゃんの推理(この世界の仕組み)を聞いてから、久美子は今まで以上に、闇に(あるいは闇闇に)敏感になっているようだった。

 心臓がどきどきした。


「……大丈夫。心配しないで。久美子ちゃん」

 するとぎゅっと久美子の手を握ってさゆりちゃんが優しい声でそう言った。(そのときに気がついたのだけど、どうやら私(久美子)は、ずっと小さく闇の中で震えていたようだった)

「あなたは絶対に大丈夫。だって、久美子ちゃんには私がついている。私だけじゃなくて、信くんも、それから、道草先生もいる」とさゆりちゃんは闇の中でにっこりと笑ってそう言った。

「……さゆりちゃん」久美子は言う。

 闇の中に浮かんでいるように見える、さゆりちゃんの白い人形のような顔を見ながら、久美子はさゆりちゃんに「……ありがとう。さゆりちゃん」と安心した声音でそう言った。

 それから久美子は、ぎゅっとさゆりちゃんの小さな白い手を優しく握りかえした。そのあとで、二人はずっと、お互いの手を握り合ったまま、闇の中を歩いて行った。

 

「ねえ、さゆりちゃん」

「なに? 久美子ちゃん?」さゆりは言う。

「さゆりちゃんはこうして、今みたいにずっと『私のそばにいてくれる』?」久美子は言う。

 さゆりちゃんは返事をしない。

「……ずっと一緒にいてくれないの?」久美子は言う。

「私も、ずっと久美子ちゃんのそばにいたい」

 さゆりちゃんは言う。

「……でも、それは『あまりいいことではない気がするの』」悲しそうな声でさゆりちゃんは言う。

「どうして? 私たちは友達だよ。友達同士がずっと一緒にいることは、とてもいいことじゃないかな?」久美子は言う。

「それはそうだと思う。……でも」

「でも?」さゆりちゃんを見て、久美子は言う。

「……私は、『久美子ちゃんが生み出した人間で、本当の、他者としての友達じゃないから』」

 闇の中でさゆりちゃんはそんな悲しいことを久美子に言った。

「……そっか」

 久美子は言う。

 さゆりちゃんは無言になった。


 久美子にはさゆりちゃんの言おうとしていることが、なんとなくだけどわかったような気がした。

 久美子は真っ暗な真夜中の廊下を歩きながら、もしかしたらこの世界を閉じ込めている張本人(つまり真犯人は)『私自身ではないのか?』 とそんなことを思ったりもした。

 久美子は窓の外に目を向ける

 窓の外は真っ暗でよく見えない。

 ただ、ざーという雨の降る音だけが聞こえた。

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