花守 梔芳子(禱れや謡え花守よ)

亜雪

コスモスの君

※百合表現あり

※近親相姦的描写あり注意


穢れとは人の穢れ。

剥がされるのは人の理性か。


花守に性別は関係ない。

歳もさほど問題ではなく、十二歳の幼子から七十歳までの年長者も剣を振るう。

では何故梔芳子くちなしよしこは男装をするのか。


それを説明するには時代を十年ほど遡らなくてはならない。当時女学院を卒業したばかりの芳子は髪も長く、「コスモスの姉上様」と後輩達に慕われるほどの美貌であった。『コスモスの』とは優美、敬愛などをあらわすもので、当時女学生から愛されたこの花で形容して相手を敬って言っていたのである。


沢山の後輩に慕われていた芳子であったが、中でも取り分け仲の良かったのが、一学年下の夕霧という女生徒で、所謂二人が懇ろな関係にあったと学園でまことしやかに囁かれていた。


そしてそれは芳子十六歳、夕霧十五歳の時に明るみに出てしまう。当時梔家当主であった花守、梔 晃一くちなしこういちが二人の口吸いを見てしまったのだ。


梔晃一は怒り心頭に発した。しかしその怒りの矛先は、まず娘である芳子ではなく、娘を誑かした夕霧に向かったのである。


ある夜、当主の梔晃一は芳子を呼び出しこう切り出した。


「この不透明な情勢の中、格下の家の娘と不届きな真似をしているとは誠にけしからん限りである」


数多の戦いで疵つき、その疵が癒えぬまま戦ってきた歴戦の花守の声は低く響いたが、そこは娘である芳子、父上の怒声には引きませんと言った顔でこう返した。


「情勢を顧みず、修行の身で色恋にうつつを抜かした、という点では反省すべきとは思いますが、格下の娘とはお言葉が過ぎます。撤回してください」


親に口答えしおって…!ぴくり、と眉を顰めて頭に血が上った梔晃一は娘を睨むと、しかし静かに伝えた。


「奈倉夕霧は本日昼に川に身を投げて自決した」


あまりに唐突な言葉に芳子は虚をつかれた。


「馬鹿な…何故夕霧が命を捨てねばならんのです」


「かの娘は"責任"をとったのだ」


「責任…?あの子になんの責がありましょう!?父上…まさか夕霧を責めましたね!?」


「我が梔家の外聞に関わる」


そう言って懐から一通の文を差し出した。


それは芳子宛の遺書だった。

そしてその遺書には辞世の句がこう書いてあるだけだった。

『コスモスの君想ふまま 渡る川 小石の満ちる青き川辺よ』


「姉様、"小石"と"恋し"は音が同じでしょう?わたくし達だけの秘密の恋文にしましょう」

そう言っては河原で拾った綺麗な色の小石を互いの靴箱へ忍ばせたあの日々。柔らかな丸みを帯びた夕霧の字を見つめ、在りし日を思い出しながら、ああ、これは確かに夕霧の字…これは確かに夕霧の句…とその死をようやく理解した。ただ、ただ、可愛い夕霧が不憫で嘆かわしく、慟哭のまま芳子は忍ばせた懐刀を抜き払った。


「いけませんお嬢様!」


「お気は確か!?」


すぐさま配下の者に取り押さえられたが、梔晃一の怒りは更に増した。


「親に刃を向けるとは、何事か!?この親不孝者め!そなたは謹慎じゃ!一週間頭を冷やしておれ!」


「ただ、優しいだけの娘でありましたのに…ただ…っ」

罪のない夕霧…なんと憐れな…なんと…。そう思うまま、力の抜けた芳子は屋敷の地下牢に連れられ、謹慎処分となった。


しかしその翌日、梔晃一は娘である芳子の牢に連れも持たずに顔を出した。


「少しは落ち着いたか…?」


「…」


最愛の人を亡くして落ち着いたか?とは何事か。父上は母上が亡くなった際もそんなに早く立ち直ったとでもいうのか。そう思い顔を背けたが、顎を掴まれ無理矢理振り向かされる。


などと道から逸れたコトをそなたがするとは思わなんだ」


すっ、とその手が着物の襟に触れていることに気づくとスッと背筋が凍りついた。

まさか、そんな…。


顎を取る手を捻り、顔を背けると長い髪が揺れ白い頸があらわになった。そこに父の舌が這う。襟に伸ばした手は着物の中を弄り、おぞましいことに「私がそなたを一番愛しておる」「ずっとこうしたかった」「可愛い私の芳子や…」と囁いてくるので芳子は堪らず、父の鳩尾を強かに蹴った。


「正気か…?どちらが道を外れているか…」


あまりのことに声が震え、恐怖で手足がそっと冷たくなった。触れられたところ全てが気味が悪く、なによりも父と慕った人物の二度目の裏切りに、霊魔よりも恐ろしいモノを見るような目でしか見れなくなった。


馬鹿な…夕霧を入水自殺にまで追い込んだのは、私を取られた腹いせだとでも言うのか。


蹴られたところをさすり、蹲りながら立ち上がると梔晃一はこう言い放った。

「芳子は気が違えたようじゃ!謹慎の期間をもう二週間延ばす!」

幸いそれから手を出すことはなく、よろよろと地下牢を去っていったが、芳子の中で拭いきれない不快感と不信感、そして嫌悪感が渦巻いて止まなかった。


さて、三週間に延びた謹慎であったが、謹慎が解けるより三日前に芳子は外に出ることとなる。梔晃一の訃報が入ったからである。

元々受けた霊障により穢れが溜まっていることは一家の者は気づいていた。

しかし、当主として、花守として、剥離を犯すまでとは読めなかった。


残念ながら芳子は夕霧の時のように涙を流すことはできなかった。

ただ、あの夜の父の醜態を思い出し、穢れとは人の内にあるものかもしれぬ、と思った。霊障で疵を受けるのはその人の魂というより理性なのかもしれない、と。

我々は戦い疵つきながら、内々にある穢れを必死に留めているのだと。


梔晃一の喪が明け、刀を受け継いだ芳子は先々代である婆様への跡目の挨拶をする前に髪を落とした。そして隠して手に入れた男物の袴と羽織に身を包み、外套を羽織るとあっけに取られる家の衆を横目に、婆様の前に男座りで正座をする。


「梔家当主芳子、これにて跡目を継ぎ、花守として精進致します。婆様におかれましてご機嫌麗しゅうようでなによりにございます」


「ご機嫌麗しくないわ!なんじゃその風体は!?」


孫娘の変わり果てた姿に齢八十の老婆は心臓が止まるほど驚いた。


「男の姿で生きてみようと思い立ったのです」


何故かは言ってもこの婆様は信じないだろう。そしてあの事は元より話さないつもりであった。それが父であり、実の娘を愛してしまった哀れな男へのささやかな餞であると信じて。


「…芳子、どうするつもりじゃ?」


「夕京へ向かおうと思います…南条の家で"駒"を求めていると耳に挟みました」


「南条家は政事の家ではないか、花守が何故そのような家の手先になるのじゃ」


怒りに震える婆様の口元から泡がたったが、それもなんとも思わずに芳子は続けた。


「我が梔家は代々花守の家系…しかし、歴代当主も私自身も霊力自体は他家に比べて弱いものです」


「口を慎みなさい!我が梔家は技を持って戦ってきた家系。下手な物言いはやめなさい!」


「慎みませぬ!婆様、内憂外患のこの時代、花守である私が外を知ることが大きな力となるやもしれない…そう考えたのです」


よもや孫娘がそのような考えをもっていたとは思わなかった婆様は呆気に取られて無言になった。


「彼方へ向かうにあたり名を改め、おわり無きよう、芳一と名乗ろうと思います」


「…」


もはや婆様はただ呆けながら孫娘の、孫娘であったはずの若者の瞳を見つめていた。


「今生の別れとなりましょうや…御免」


そうきっぱりと頭を下げると、芳子は立ち上がり屋敷を出た。


その足で夕霧の墓前に立ち寄ると、父の無礼と己の無力さを詫び、墓前にこんな歌を供えた。

『妹思ふ心浮世に長らへば 散らしてなるかコスモスの花』そうして故郷を後に南条家へと旅立ったのである。








「まさか軍部に潜入させられるとはねえ」



いつもの軍服ではなく、一張羅である燕尾服で訪れたのは南条家、第22代内閣総理大臣南条志信の家である。


「こちらがいつものやつです。全く、軍部も改ざんするならもっと上手くやれば良いものを」


軍部に身を置きながらその情報や動きを報告書にまとめて提出するのが今の芳子の、もとい芳一の仕事である。


無論、花守として戦うことは怠らないし、この情報は朝霞家にも報告する手筈を整えている。一種の保険である。


「陛下の御身に何かあっては大変です。ですが貴公も危うい身であることは忘れないでくださいよ。軍部にとって目の上のたんこぶはまず貴公なのですから…貴公が身罷みまかられば我々花守も動きづらくなる」


そう軽口を叩きながら立ち去る。

片手にシルクハットと梔色の外套を持って。


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