もしもし健ちゃん、お母さんです。

ちゃろっこ

第1話

「ただいま電話に出ることができません。ピーという発信音の後に、お名前とご用件をお話しください」


 もしもし健ちゃん?

 お母さんです。

 今日沢山胡瓜が採れたの。

 健ちゃん昔から胡瓜の浅漬けが大好きだったでしょう?

 健ちゃんの分も作ったから食べて頂戴ね。






「ただいま電話に出ることができません。ピーという発信音の後に、お名前とご用件をお話しください」


 もしもし健ちゃん?

 お母さんです。

 今日はお盆だからみんな帰って来て大忙しだったのよ。

 従兄弟の翔ちゃん、もう大学生になったのよ。

 本当に時間って早いわねえ……。

 健ちゃんも帰って来て頂戴ね。





「ただいま電話に出ることができません。ピーという発信音の後に、お名前とご用件をお話しください」


 もしもし健ちゃん。

 お母さんです。

 ついこの間まで暑かったのにすっかり朝晩冷える様になったわねえ。

 そっちはどう?

 寒くない?

 お母さん心配してます。






「ただいま電話に出ることができません。ピーという発信音の後に、お名前とご用件をお話しください」


 もしもし健ちゃん。

 お母さんです。

 もう年末ですね。

 お母さん今年も既に御節の黒豆を煮込み始めてるのよ。

 健ちゃん黒豆大好きだったでしょう?

 お友達に知られたらジジ臭いって言われるから黙っててなんて言ってたけど。

 健ちゃんの分も作ったからね。

 沢山食べて頂戴ね。





「ただいま電話に出ることができません。ピーという発信音の後に、お名前とご用件をお話しください」


 もしもし健ちゃん。

 お母さんです。

 今日ね、健ちゃんのお友達が遊びに来てくれたのよ。

 ほら、中学生の時によく遊びに来てくれてた悠君!!

 背がすっごく伸びてて格好良くなってたわー。

 悠君、健ちゃんの所にお酒を持って行くって言ってたけど飲み過ぎない様にしなさいね。

 お花見の季節だけどお酒は程々にね。





「ただいま電話に出ることができません。ピーという発信音の後に、お名前とご用件をお話しください」


 もしもし健ちゃん。

 お母さんです。

 もうすっかり夏ね。

 あのね健ちゃん。

 今日健ちゃんの一周忌があったの。

 もう1年が経つのねぇ……。

 だから健ちゃんの携帯電話もね、解約する事になったの。

 お母さんダメねえ。

 解約したくないってお父さんに我儘言っちゃったわ。

 でもお父さんの言う通りいつかはしなきゃいけない事だものね。

 今お父さんが解約の手続きをしに行ってるの。

 だからこれが最後です。

 あのね健ちゃ。




 皺の刻まれた指先で今日も老婆は電話の発信ボタンを押す。

 胡瓜が採れたと伝えたくて。

 黒豆が煮えたと伝えたくて。

 寒くないか心配で。

 帰っておいでと言いたくて。


 そして録音出来なかった最後の言葉を伝えたくて。




「おかけになった電話番号は、現在使われておりません」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

もしもし健ちゃん、お母さんです。 ちゃろっこ @pugyapugya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ