第14話 王姉の訪問
吟遊詩人は詠う。
女神の名を持つ少女は、姫を産む。待望の姫。愛しい姫。可愛らしい姫。
だが姫の出生は隠された。母に良く似た愛らしい姫は、決して表に出ることはない。
しかし姫は愛された。母の腕の中、全身にその愛情を受けながら、姫は笑う。
◇
ある日のことだ。珍しく、海の宮に来客があった。
「あの、妃殿下。女性のお客さまがいらしていて……ウィスタリアさまと仰る方ですが」
応対したらしいアガットが、ユーディアに耳打ちした。
ウィスタリア。いつか出会った、あの美しい女性だ。
「王族の方だわ。いいわ、出るわ」
ユーディアはアガットに連れられて、入り口まで歩いていく。
彼女はいつかと同じように紫色のドレスを着て、扇で口元を隠してそこに立っていた。
脇には二人、侍女を侍らせている。侍女たちは表情を崩さずに控えていて、まるで人形のようだった。
初めて会ったときと変わらず、その美貌は扇などでは隠れない。王族とはかくあれ、という見本なのではないかとも思った。
「いらせられませ、ウィスタリアさま」
ユーディアがそう出迎えると、彼女はふふ、と小さく笑った。
「あなたが、ユーディア? そういえば以前お会いしたわね。『呼ばれた』という人だったかしら?」
「え、ええ」
「まあそう、あなたがねぇ」
「あの……?」
レイヴァン以外に名前で呼ばれたのは久しぶりだ。最近は皆、ユーディアを妃殿下としか呼ばない。
王族だという話だから、それは当然なのだろうが、どうも言葉に悪意が篭っている気がして、胸がざわざわする。
「ふうん」
頭のてっぺんから爪の先まで、無遠慮にこちらを眺め回してくる。
そして、扇の向こうで小さく笑った。
控えていたアガットが、一歩前に出た。
そちらに振り向くと、顔を真っ赤にしている。一目で怒っている、と分かった。
左手を下の方に出して、制する。アガットはそれを見て、また一歩下がった。
ウィスタリアはその一連の動きを見ていたが、特に動揺したような素振りも見せず、ただそこに立っている。
ユーディアをじっと見つめるだけで、一言も発しない。
これは部屋に入れてもてなすべきなのかどうなのか、判断しかねた。
だが相手は王族だ。いつまでも立たせておくわけにもいかないだろう。
「ウィスタリアさま、よければお茶など」
「いいえ、長居するつもりはなくてよ」
では、いったい何をしに来たのだ。ユーディアを嘲るために来たのか。
「なにか用件があったのでは?」
そう言いつつ、軽く睨みつける。
「あらいやだ、怖い顔」
そう言って、くすくすと笑う。何か気に入らないのかもしれないが、失礼ではないか。
「あのっ」
何か反論してやろうとしたときだ。
「……姉上」
ちょうどそこで、レイヴァンが宮に入ってきた。
ウィスタリアは扇を畳み、にっこりと彼に向かって微笑んだ。
「あら、レイヴァン。お久しぶりね。最近は会いに来てくれないから」
「用がないので」
「まあ、冷たいことを言うのね。わたくしを新しい妃に紹介すらしてくれないの?」
姉上。レイヴァンの姉なのか。王族としか知らなかった。
レイヴァンは小さくため息をついて、こちらに歩いてきて横に並んだ。そして掌を差し出してウィスタリアを指し示す。
「こちらは、私の姉のウィスタリア」
ひどくぶっきらぼうに言う。こんな風な彼は見たことがない。
レイヴァンは特に誰にもユーディアを会わせようとはしなかったし、自分のことだけで精一杯だったから何も思わなかった。だが確かに、王姉である彼女に挨拶していないのは、こちらの失態かもしれない。
それであちらも怒っているのかも、と思い直した。それなら悪いのはユーディアの方だ。
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません、ウィスタリアさま。私は」
「王妃、ユーディア。知っていてよ」
「はあ……」
これはいったいどうしたらいいのか。やはり部屋の中に入れるべきなのか。
ちらりと隣に立つレイヴァンを見上げる。だが彼は睨むようにウィスタリアを見ているだけだ。
どうにも歓迎していない様子だから、部屋の中に入れるのにも躊躇せざるをえない。
「今日はどういった用事でこちらへ?」
こわばった声音で、レイヴァンが訊ねる。
それにウィスタリアは軽い調子で答えた。
「別に。ただ、王妃になった女がどんな人間か見に来ただけ」
「姉上」
「あら、怖い怖い。ではわたくしはこれで退散するわ。失礼」
言うだけ言って、しずしずと立ち去っていく。人形の侍女たちも、何も言わずについていった。
アガットはその様子を見て、部屋の中に戻っていく。宮にやってきた王をもてなすためだろう。
ウィスタリアの姿が見えなくなってから、レイヴァンは肩に手を置いてきて、顔を覗き込む。
「……何か、言われなかった?」
「え? 別に何も」
あれは、何か言われたと訴えるほどのことではないだろう。
「そう。それは良かった」
本当に安堵したようで、ユーディアの答えにほっと息を吐き出す。
「私、ウィスタリアさまに歓迎されてないみたい」
「あ、ああ……それは」
言いにくそうに、言葉を濁す。
「ご挨拶もしていなかったもの。だからかも。他にもご挨拶をするべき方はいるのよね?」
そう尋ねると、レイヴァンはなぜか慌てたように言った。
「いや、挨拶はいい」
「え? でも」
「……後宮の妃は、外に出ることはほとんどない。我が国ではそれが普通なんだ」
「そう……?」
そう言われてしまえば、固辞する理由もない。
「でもやっぱり、可愛い弟に、得体の知れない女が嫁いだのは面白くないのかも」
そういう風な親族の嫉妬は、よく聞く話だ。ただでさえそういう感情があるだろうに、ユーディアは他国の、しかも高貴な血筋でもなんでもない人間だ。
「君は、得体の知れない女じゃない」
ユーディアの方をまっすぐに見て、きっぱりと言い切る。
それだけで、嫌な気持ちが晴れていく。
「ありがとう。私、大丈夫よ」
ユーディアがそう言って微笑むと、レイヴァンはぎゅっと彼女を抱きしめてきた。
「君は何も心配しなくていい」
「……もしかして、ウィスタリアさま以外の方も、私が気に入らないの?」
ユーディアがそう言うと、彼は少しの間、黙り込んでしまう。
「いいの。それは仕方ないわ。私は貴族でも何でもないし。でも、蚊帳の外に置かれるのは嫌だわ。あなた一人に心配させたくない」
ユーディアの言葉に、レイヴァンはしばらく逡巡した様子で、それから小さく息を吐いて言った。
「王族は……まあ……そんなことはないと思うけれど……」
彼が王ならば、それに従うということなのか。
「王族、は?」
つまり他には何やかや言う人間はいるということだろう。
「こういうことで君の耳を汚すのもいけないかと思っていたけれど、きちんと言っておいた方がいいのかもしれない」
「なあに?」
「もしかしたら、他にも嫌なことを言ったり、したりする輩が現れるかもしれない」
それはそうかもしれない。ユーディアは後ろ盾も何も持たぬ、ただの女だ。面白くないと思う者は、きっと他にもいる。
「でも君のことは私が守る。必ず」
抱きしめてくる腕の力が痛いくらいだ。この温もりを手放したくなくて、ユーディアもその背中に手を回した。
「大丈夫。私、強いもの。自分の身は自分で守れるわ。あなたのことも、守ってあげられるくらいよ。本当よ、父さまに鍛えられたんだもの」
「それは頼もしいね」
小さく笑うと、身体を離す。それからユーディアの頭を両手で包むように持つと、唇を寄せてきた。
ユーディアは目を閉じる。
でも、あなたはどうして。
どうしてそんなに不安そうなの?
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