第5話 赤毛
「じゃあ、仕事のこと、説明していくわね」
「よろしくお願いします」
ユーディアがそう言って頭を下げると、アガットは小さく笑って、それから庭に出て話し始めた。
「ええとね、お妃さま方が住まう宮はそれぞれ独立していて、それぞれに小川が流れているわ。源は一緒だけれど」
庭に流れている小川を指差してそう言う。上流の方を見てみると、確かに他の宮にも繋がっている川のようだ。
「だから、お洗濯は小川を使ってね。掃除に使う水も。飲み水は井戸があるわ。それぞれの宮に小さな厨房もあるから、お湯を沸かすこともできるの。でも一度火を入れると消すのにも時間がかかるから、来客でもない限り、あまり使わない。王妃さまがいらしたら、きっと朝からずっと火を入れることになるのでしょうけど」
ユーディアの表情を見ながら、理解できたのかどうかを確認し、アガットは説明していく。
「今はこの一番下にある宮を整えているわ。一番上の宮が一番大きくて広いから大変かも。私たちは裾野の方の宮から整えているけれど、一番上までいったら、また下に戻るの。いつ王妃さまが来てもいいように」
アガットは、とても分かりやすく、後宮の説明をしてくれた。日々、真面目に仕事をしているのがそれで分かる。
「宮は、全部で五つ。一番上の宮が太陽の宮、その下が月の宮、その横が星の宮、ここは風の宮で隣が緑の宮、その向こうが海の宮と呼ばれているわ。皆、そう呼んでいるから、これは早めに覚えた方がいいと思う」
「へえ、ちゃんと名前があるのね」
ユーディアが指差しながら、五つの宮の名前を確認すると、アガットはそれにうなずいた。どうやら正しく覚えられたようだ。
「太陽の宮が、ご正室さまの宮ね。だから一番広くて大きいの。それ以外はご側室さま。だから陛下が何人のお妃さまを迎えられるかで使われる宮の数は変わるわ。五人以上のお妃さまを迎えられたら、それはどうするか知らないけれど、今までは五つの宮で十分だったみたい」
「なるほど、王さまが誠実な方なら整えるのも楽になるってことね」
ユーディアがそう言うと、アガットは困ったように首を傾げた。
「誠実かどうかは関係ないかも……。御子が生まれなければ、側室を迎えるのは仕方ないもの」
「ああ、そうか。王さまも大変ってことね」
「そうね」
そう言ってアガットは小さく笑った。少しだけ、ユーディアに気を許したのかもしれない。
「ここまで、たぶん、わかったわ。でも、しばらく細かいことは指示してもらえると助かるのだけど。勝手のわからないこともたくさんあるだろうし」
「ええ、ではそうさせてもらうわ。じゃあ当分は、私と一緒に動きましょう」
説明が一段落すると、アガットはもじもじと手を組んだり離したりし始めた。
「でも、あの……あまり、私と仲良くはしない方がいいかも」
「えっ、どうして?」
いい人そうだから、できれば仲良くしていたいものだが。
「もしかして、私、無神経かしら? さっきも侍女頭の方に言われたの、この国では慎ましやかであるようにって」
「あっ、ううん、そういうことではなくて」
アガットは慌てて手を振った。
「あの……あのね」
「うん?」
「えと……綺麗な銀の髪ね」
アガットがそう言った。いきなり話が飛躍した。だが何か意図があるのかと、それは指摘しないことにする。
「ありがとう。母さま譲りなの。それだけが自慢よ」
そう笑うと、アガットもつられたように笑ったが、すぐに目を伏せた。
「羨ましいわ」
「銀髪が? でもあなたの赤い髪も素敵じゃないの」
「……赤毛は……駄目なの」
小さな声で、そう言う。
「どうして?」
なにがいったい駄目だというのか。
「『呼ばれた』ユーディアは知らないと思うけれど」
「なんのこと?」
「初代セクヌアウスさまが、赤毛の一族と戦ってこの国を守ったという話があるのよ。だから神様は、その褒美として、この地を統べるようにとセクヌアウスさまに仰せになられたの。そしてセクヌアウスさまは、神の力を手に入れられたの」
「ははあ」
それで、赤毛は忌み嫌われているということだろう。
この国は、どこまで神話が浸透しているのか。
「実はね、私は、それなりに名のある貴族の出なの。でも、赤毛だから……」
髪の色が赤いというだけで。
「家の者にも、嫌われちゃって。どうして赤毛が生まれたのかって嘆いてもいたわ。王城に勤めると、もう外には出られないようなものだから、だからここにやられたのよ。体のいい厄介払いだったの」
だから、侍女たちにも嫌われている。
ユーディアが何も言えずにいると、アガットは自嘲的な笑みを浮かべて言った。
「……ごめんなさい、他所の国から来た人だから、つい愚痴っちゃって」
今まで、この国の人には、誰にも理解されなかったのだろう。
しかしユーディアには、この国のその考えの方が理解できない。
「でも、私は今までいろんな国を点々としてきたけれど、赤毛なんて珍しくないわよ」
「そうなの?」
「むしろ、情熱的な赤い髪を有難がってるところもあったわよ。アガットはその国に行ったら、いろんな人に求婚されて大変でしょうね」
笑いながらそう言うが、アガットの方は、いたって真剣な表情で返してきた。
「そんな国が……あるの? 本当なの、それは?」
身を乗り出してくる。
「本当よ。こんなことで嘘なんかつかない」
その言葉を聞いて、アガットは微笑んだ。とても可愛らしい笑みだった。
「夢みたいな話ね」
「夢じゃない証拠に、いつか連れて行ってあげたいけれど……でも、私ももうこの国に骨を埋めることになりそうだし」
「ううん、いいの、ありがとう。世界にそういうところがあるというだけで、私は嬉しいわ」
そう言って弱々しく微笑む。
「だから、ね。私とあまり一緒にいると、他の人にも良く思われないかも。だから、仕事のときは仕方ないけれど……」
「私、気にしないわ」
ユーディアがきっぱりと言うと、アガットは何度か目を瞬かせた。
「え、でも……」
「気にしない。そんなのいちいち気にするの、面倒だし」
これは、本音だ。誰と誰が仲が良くて、誰に従えばいいのか、とか、考えるだけで鬱陶しい。
それに、どうせ仲良くするのなら、アガットのような良い人のほうがいいに決まっている。
少なくとも、陰口を聞こえるように言う人たちよりは。
「あ、ありがとう……」
「お礼を言われることではないわ。私は私のやりたいようにやるだけだから、気にしないで。私はアガットと仲良くしたいの」
ユーディアがそう言うと、アガットは、はにかんだように頬を染めた。
「羨ましいわ」
「何が? 銀髪?」
「ううん、その、強さが」
これは強いということなのかな、と首を傾げたが、父が『強い子』と言ってくれたことを思い出して、胸が少し温かくなった。
◇
それからしばらく、アガットと一緒に仕事をした。ほとんどが宮の掃除や草むしりだった。もし妃がいれば、仕事内容はまた変わるだろうし、こんな人数で足りるはずはないだろう。
けれど現状では、宮を整えておくことだけを考えればいいので、四人という人数はちょうど良いように思われた。
全員が、きちんと自分の仕事をこなしていれば。
「ちょっと、あなたたちも少しは仕事をしたらどうなの?」
井戸から運んできた水を、厨房の水瓶に入れたあと。
テーブルにお茶を出して、椅子に腰掛けて喋るエーリカとベイジュに向かって、腰に手を当ててそう言った。
「しているわよ?」
茶器を口につけながら、しれっと言ってのける。
そもそも、どうして宮の厨房の火を入れたのだ。そんなことだけは、はりきってやるくせに。
水でなくお茶が飲みたければ、ユーディアもアガットも、休憩時間に居住区にある食堂で喉を潤すようにしているのに。
「もう何日も見ているけれど、あなたたち、ずっとお茶を飲んでお喋りしているだけじゃないの」
「人間にはね、得手不得手というものがあるのよ」
「そうそう」
そんなことを言って、くすくすと二人で笑う。癇に障る笑い方だ。
「あなた方には、水を運ぶだとか掃除するだとか雑草を抜くとか、そういう力仕事がお似合いでしょ?」
「私たち、いつか陛下が妃を迎えられたときに、お茶など出して差し上げないといけないから、練習しておかないと」
「あなたたちみたいな人は、表に出る仕事はできないでしょうから、その分、裏方の仕事をすればいいのよ」
「言葉遣いのなってない人や、赤毛の人は、国王陛下や王妃殿下の前には出られないものね」
「いやだ、そんなはっきりと」
そう言って、二人で口元を押さえて、でも声を出して笑ってみせる。
「ほんっと、いやらしい人たちね」
ユーディアがそう言うと、二人はぴたりと笑うのを止めた。
「……なんですって?」
「頑張っている人を嘲ることしか能がない、いやらしい人たちだって言ったのよ」
ユーディアが言い放った言葉に、二人はがたんと椅子から立ち上がった。
「前々から言いたかったのだけど」
「どうぞ。嫌味な言い方されるより、正面から言ってもらったほうがいいわ」
受けて立つ、とユーディアは胸を張った。それに少し臆したようではあったが、二人はなんとか一歩を踏み出したようだ。
「あなた、『呼ばれた』とか言われていい気になっているのではなくて?」
「でもおあいにく。あんなのただの伝説だって思ってる人間だって、たくさんいるのよ」
なんだ。皆が皆、『呼ばれた』人をありがたがっているわけではないのか。
ユーディアはほっと安堵の息を吐いて苦笑した。肩の荷が下りた気分だった。
「なにを笑っているのよ!」
だがそれが二人の逆鱗に触れたらしい。
「別に。安心したのよ、あんまりありがたがられても、居心地悪いだけだし」
「嘘! いい気になっているくせに!」
「生意気なのよ、よそ者のくせに!」
ぎゃんぎゃん喚く声が耳につく。思わずため息が漏れた。
「どうやら私のことが気に入らないようだけど、いい気になっているとか関係なく、元々こういう性格なのよ。悪いわね」
そう言って肩をすくめる。この国では慎ましやかであれ、とマロウには言われたが、その代表がこの二人だと言うのなら、願い下げだ。
「あなたは知らないでしょうけどねぇ、本来なら、あなたなんて王城に勤められるような身分ではないのよ」
「ここに入るのを許されるのは、高貴な身分でなければいけないの。私たちのような、王族に縁のある貴族だけなのよ。あなたは所詮、得体の知れない人間で、私たちに口をきくのも憚られる身分なのよ、わかる?」
そう言って鼻で笑う。
王城に勤めることを体のいい厄介払いだと言ったアガットとは、ずいぶんな価値観の違いだ。後でアガットに訊いてみよう、などとのんびりしたことを思った。アガットもこれくらい開き直れればもう少し堂々とできるのではないだろうか。
「身分ねえ。でもそれって、あなたたちではなくて、先祖が偉いってだけじゃない? 血筋しか自慢するものがないの?」
「うるさいわね、私たちが言いたいのは、いざとなれば私たちの口添えで、あなたの処遇にも影響が出るわよってことよ」
なるほど、彼女たちに逆らい続ければ、この仕事だってどうなるか分からないと脅されているというわけだ。
「どうぞ、好きに口添えすれば? 私は別に王城の仕事にこだわっているわけではないもの。どこだって、食事と寝るところさえあれば生きていけるわ」
「まあ」
ユーディアの言葉に、二人はくすくすと笑いだした。
「なによ」
「あら失礼。気に障った? でもあなたが本当に下賎な身分の人だって思ったから」
「食事と寝るところですって。いったいどんな育ちなんだか。あなたの親は、どんな生まれの人なの? まあ聞かなくても知れてるけど」
そう言って、さらに笑う。これにはどうにも我慢ならなかった。一瞬で頭が沸騰する。
「知らないくせに、父さまと母さまを悪く言わないで!」
「父さま母さまですって、どうせどこかの奴隷の生まれなんでしょうに」
「あなたがそこまで下品な人なら、親は商売女か何かなんじゃないの? 本当の父親はあなたの言う父さまじゃなかったりして」
そう言って嘲笑を止めない。むしろ、ユーディアの弱点を知ってやった、という表情をして笑い続ける。
「変なこと言わないで! あなたたちの発想のほうが下品だわ!」
「ふん、本当のことを言われて腹が立つんでしょう?」
「なんですって!」
「静かになさい!」
そこで、部屋に一喝が響いた。三人は罵り合いを止めて、振り返る。いつの間にかマロウが扉を開けて、そこに立っていた。
「あなたたち、今は仕事をする時間だとわかっているの?」
「すみません……」
ユーディアは頭を下げて、謝った。確かに、こんな言い争いは仕事中にすることではない。
「誰が仕掛けたの」
「この人です!」
エーリカとベイジュが同時に言って、同時にユーディアを指差した。
「急にこの人が絡んできたんです」
マロウはユーディアの方を向いて、訊ねてくる。
「本当なの?」
「……確かに、私から言いました。でもそれは、二人が仕事を……」
「言い訳は聞きません。それに、あなたは入ったばかりでまだ勝手がわかっていないはずです。他人に指示を出す立場にはありませんよ」
そう言われてしまえば、返す言葉はない。ユーディアは再度、すみません、と頭を下げた。
二人はしてやったり、という感じで小さく笑う。
「あなた方も先輩ならば、精進なさい。気を抜いているから、新人に口ごたえされてしまうのでしょう」
「はい、気をつけます」
だが反省しているような声ではない。ただ、ユーディアが怒られているのが楽しくて仕方ない、といった風だった。
そのとき、鐘が鳴った。
「休憩時間ですね。三人とも、頭を冷やしていらっしゃい」
そう言うと、マロウは部屋を出て行く。それと入れ替わりにアガットが部屋に入ってきた。そしてなにか違う空気を感じたのだろう、ユーディアに近寄ってきて、小声で言った。
「ええと……なにか、あったの?」
愚痴ることは簡単だが、それは彼女に負担をかけることになるかもしれない。ユーディアは笑って言った。
「ううん、ちょっと怒られちゃっただけ。真面目にやりなさいって」
「……そう? でもユーディアは真面目に……」
アガットは首を傾げている。
後ろにいた二人が声を張った。
「あーあ、誰かのおかげで私たちまで怒られてしまったわ」
「ほんと、余計なことを言い出すから。これだから下賎な生まれの人は」
「えっ、なに」
訳がわからないのか、アガットは双方を見比べている。
なんだかその場にいづらくなって、ユーディアは歩き出した。
「ユーディア?」
「少し、頭を冷やしてくる」
それだけ言って、部屋を出る。二人の嘲笑が、その背に降ってきた。
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