第3話 ウィスタリア
城内に入ると馬車を降りる。
シアンに促されたので、そのまま後をついて歩いた。
石畳で出来た長い回廊を黙々と歩き、ついでにきょろきょろと辺りを見回す。
回廊の脇には広い花壇があって、その向こうにはまたここと同じような回廊がある。ぐるりと三方を回廊が花壇を囲っている形だ。
この回廊の先には扉がいくつもある建物が見える。その辺りには衛兵と思しき男たちが何人か行き交っていた。そこが王宮なのだろう。
斜め上を見上げれば、港で見たあのとんがり屋根がそびえ立っていた。
「広い王城ですねえ」
いくら小さな国といえど、やはり王城だ。
「ここはまだ、王宮に到る前の庭園よ」
そう言ってシアンはくすりと笑った。
「この山自体が、王城と言っても構わないわ。だから王宮だけが管理下にあるわけではないの。ほら」
シアンは遠くを指差した。そちらに顔を向けると、ここより少し上がった山の中腹に、いくつかの建物があるのが見える。
そして頂上付近には、真っ白な箱型の建物があった。
「一番上にあるのは礼拝堂。陛下が祈りを捧げられている場所よ」
「ああ! 聞きました、王さまが毎日祈りを捧げているって。それでこの国が守られているって」
「その通りよ」
ユーディアの話に、シアンは大きくうなずいた。
そして、礼拝堂である白い建物の方を指差していた手をそのまま少し下にずらす。
「その下に後宮。王族の方々、それからお妃さま方がお住まいになられるところよ」
「へえ」
緑の木々の合間に、小さな屋敷のようなものが点々と見えた。
大きく二つに分かれているように見える。どちらかが妃が住む場所で、どちらかが王族が住む場所ということだろう。
それは、小さな村が二つあるかのように見えた。
そこまで入れると、もっともっと王城は広いということになる。
「今から行くのは王宮。こちらは執務を行うところと思ってもらっていいわね」
「そこで、お仕事を紹介してもらえるんですか?」
「そうね、いい仕事があれば。まずはあなたがこの国に入国したこと、怪しい人間でないことを申し出なければいけないわ」
「怪しいって思われたら、追い返されちゃうんですか?」
それはまずい。ユーディアは身一つだし、誰もユーディアを怪しくないと証明してはくれない。
「でも国外から来られる方は非常に珍しいの。ほぼ間違いなく『呼ばれた』のだから、簡単に名前などを訊かれるくらいよ」
「ならいいんですけど」
その程度で本当に大丈夫なのか、と心配になってしまうほどだが、ユーディアにとってはありがたいことだ。
しばらく歩くと、どうやら王宮に辿り着いたらしい。建物の中に入ると、衛兵らしき人間が一礼した。
「シアンさま、お帰りなさいませ」
「ご苦労さま」
「あの、そちらの女性は?」
不審気に、ユーディアの方にちらちらと視線を移してくる。
「ケープから来られたそうなの」
「へえ! じゃあ『呼ばれた』方ですか」
衛兵はまじまじとユーディアを見つめてきた。不審がっている、というよりは、好奇心旺盛、といった感じだ。
「ぼく、初めて見ましたよ」
やたら弾んだ声でそう言われた。そんなに珍しいのか。そんなに『呼ばれた』という言葉が浸透しているのか。
衛兵の前を通り、さらに中に入っていく。
「あのー、えーと、シアンさま?」
さきほど衛兵が呼んでいた通りにシアンを呼んだ。
「なにかしら?」
「もしかして、シアンさまって、王族なんですか?」
「私? いいえ」
「でも、なんか衛兵の人もかしこまっていたし、さっきから……」
王宮に入ってから、何人か遠目ですれ違ってはいるのだが、こちらを見て深々と礼をしてくるのだ。
「ああ、私の一族は、代々陛下のお傍で仕えているの。だからでしょう」
「すごい! 由緒正しいんですね」
「産婆よ。この国の歴代の王を、必ず私の一族がとりあげているというだけ。大したことではないわ」
「産婆さん……なんですか。なんか、そんな感じしないです。もう少し、年をとった女の人がやるって気がしてたから」
「母が早くに亡くなったものだから、ね。やりたくてなったわけではないのよ」
きつい口調ではなかったが、言葉の端に苦々しさが滲んでいた。では彼女は、産婆などにはなりたくなかったのか。他にやりたいことがあったのかもしれない。
「ごめんなさい」
「え?」
「なんだか調子に乗ってしまって、つい踏み込んだことを訊いてしまいました」
ユーディアがそう謝罪すると、シアンは小さく笑った。
「いやだ、謝ることではないわよ。この国はね、ほとんどが代々、親の職業を継いでいるの。特に王城は厳しいわ。それ以外の者は認めない、ってくらい。排他的よね」
「はあ……」
「でも、そうでなければならない理由があるのだわ」
ユーディアにはそれ以上、何も言えなかった。やってきたばかりの国の事情に、口を出せる立場にはない。
それから少し歩くと、一人の年配の女性がちょうど何かの部屋から出てきたところに、行き当たった。
「シアンさま、お帰りなさいませ」
「ああ、ちょうど良かった。あなたのところに行くつもりだったのよ」
「何でしょう」
「ユーディア、この方は、この城の侍女頭をしてくださっている方なの」
脇に立つユーディアに向かって、シアンはそう言う。
侍女頭は、不躾にもユーディアをまじまじと見ている。値踏みされているような感じだ。
「この方は?」
「ケープの港町から来られた方よ。名はユーディア」
「まあ、では『呼ばれた』方ですね。それは失礼いたしました。私は陛下より侍女頭を仰せつかっております、マロウと申します」
マロウは、深々とユーディアに頭を下げる。
「い、いえ、そんな」
慌てて両の手を、胸の前で振る。
ユーディアが『呼ばれた』人間と聞いてからのこの態度の違い。どうにもこの『呼ばれた』という言葉は落ち着かない。
「着の身着のままで来られたようなの。仕事を探していらっしゃるわ。それで、確か、後宮の侍女を一人探しているという話があったような気がして、あなたを探していたの」
「さようでございましたか。ええ、その通りです」
「お願いできるかしら?」
「かしこまりました」
「では私はこれで。それではユーディア、またいずれ会うこともあるでしょう」
シアンはそのままその場を辞していく。ユーディアは慌てて、頭を下げた。彼女は本当にユーディアに仕事を紹介してくれた。
本当に幸運だ。ここまで何もかもがとんとん拍子に進んでいる。
「それで、ユーディアさま?」
マロウに言われて振り返る。彼女は柔らかな笑みを浮かべてこちらを眺めていた。
「は、はい。というか……その、さま、とかは止めて欲しいんですけど……。私、大した人間じゃないし……」
何もしていないのに受ける賞賛は、居心地が悪いものだと知った。
「わかりました。では、ユーディア」
「はい」
「さきほどシアンさまも仰っていたように、後宮の人手が足りなくて、一人、侍女を探しておりました。あなたがよければそちらで働いていただこうかとは思います。ただし」
「ただし?」
何か難しい条件でも出されるのだろうか、と身を硬くする。そもそも話が上手くいきすぎている気がするし、裏があってもおかしくはない。
「後宮に入るということは、もう外に出られないと思ってもらって構いません。王族の方々がおられる場所ですし、陛下も出入りされる場所です。民や他国に知られたくないことも多々ございます。わかりますね?」
「それは……そうですよね」
もうここから出られない。ここで骨を埋める覚悟はあるのか、ということだ。
だがここを出て、ユーディアに行くところがあるだろうか。
晴れた日には、きっと両親の墓が見える。それだけで充分ではないか。
それを頭の中で確認したあと、ユーディアは大きくうなずいた。
「大丈夫です。私、頑張ります」
端から見れば、ずいぶん簡単に決めたように見えたのだろう、マロウは少し驚いたように目を見開いた。
「わかりました。ではお願いしましょう。それと、何か持ち込まれたものはありますか。見たところ、何も持っていないようではありますが」
「あ、これ」
ユーディアは首から提げた布袋を取り出す。
「それは?」
「両親の形見です。小さな鏡と、あと指輪」
鏡が母の形見で、指輪は父の形見だ。
「その袋の中を見せてもらっても?」
「あ、はい」
袋を首から外し、マロウに手渡す。不審なものがあるかどうか、確認するのだろう。
マロウは、布の中に手を入れ、一つずつ取り出した。まずは鏡を確認して、それから指輪を出す。
しかしそこで、マロウの動きがしばし止まった。
「……この指輪は、お母さまのもの?」
「いえ、父です。鏡が母の」
「あなたのお父さまは、この国に縁のある方ですか?」
「えっ? 聞いたことありませんけど」
「そう……」
そう言ってしげしげと指輪を眺めている。
「あの……?」
「いえ、単純に、こちらの国の紋章に似ているから。初代セクヌアウスの横顔が意匠されたものなの。似ているけれど、これはずいぶん削れていてよくは見えないから、縁がないというのなら勘違いだわ。よくある構図ですしね」
父はその指輪をいつも付けていた。
だが死の直前には、ぶかぶかになってしまって、よく外れてはいたが。けれど父はその指輪をなるべく身に付けるようにしていた。
「そうですね、そんなはずはないわね。指輪を持っている者は、誰一人としてこの国から出てはいないのだし」
「あの?」
誰一人として出ていない。
もう外に出られない。それは本当なのだとその言葉で分かった。
「確認はさせていただきました。不審な点はないようです。形見ということですから、大事になさってください」
そう言って、布袋をユーディアに返してくる。ユーディアはそれを元の通り、首から提げる。
マロウはそれを待ってから、ユーディアをしげしげと眺めて言う。
「勤めていただくのはいいとして、まずはその服を何とかしないとね」
「あ、はい」
寝衣のままでうろうろするわけにはいかない。
「侍女の衣装は、基本的なものは王城から支給いたします。部屋も食事も与えられます」
「衣食住には困らないってことですね! それは助かります!」
喜々としてユーディアは言ったが、マロウは困ったように眉根を下げた。
「……ではとりあえず、部屋に案内いたしましょう。空いている部屋はありますが、掃除などしておりませんし、狭いですが」
「充分です! もしかして個室なんですか」
「ええ」
「すっごい!」
マロウは小さくため息をついた。
何かいけないことを言っただろうか、と思ったが、何も言われないので黙っておくことにした。
「部屋は後宮内にあります。どうぞこちらへ」
促されて、後ろを付いて歩く。
背筋が伸びたその背中に、この国でのユーディアの未来が約束されているような気がして、心が弾んだ。
王宮を抜け、後宮に繋がるという道を歩いていく。途中、マロウが立ち止まった。
「ここが、分かれ道です。決して間違えないように。右がお妃さま方や私たちが住まう宮、左が王族の方々が住まわれる宮です。あちらには絶対に入らないように」
「はあ」
石畳で作られた道が、足元で分岐している。
見た感じ、左側も右側も、あまり変わらない。坂道を少し歩いたところから、小さな屋敷のような建物が並んでいる。二つの小さな村のようだ、とシアンに説明されたときに思ったが、それは間違っていないようだ。
するとふと、王族が住まうという方の道から、一人の女性が歩いてくるのが見えた。
マロウが一歩下がり、道の脇に控える。ユーディアも慌ててそれに倣った。
紫色のドレスを着た、すらりとした女性だった。つややかで長い黒髪が踊っている。口元を扇で隠し、両脇に侍女らしき女性を二人侍らせ、しずしずとこちらに歩いてくる。
マロウが頭を下げたので、ユーディアも下げる。
ふと、女性が目の前で止まった。
「見かけない顔だわ」
涼やかな声だった。
「面を上げなさいな」
どうやら自分に向かって言っているらしい。おずおずと顔を上げると、女性は扇を畳み、腰のあたりで両手で持ちながら、こちらを見て微笑んだ。紅い唇が、動く。
「まあ、可愛らしいお嬢さんだこと。どなたかしら」
「ウィスタリアさま、こちらは本日こちらに入国して、ここで雇うことになりました、ユーディアという者にございます」
女性の質問には、マロウが答えた。
「まあ、じゃあ『呼ばれた』方ね」
「よ、よろしくお願いします」
王族にまで『呼ばれた』と言われるとは。
その口調から、本当に珍しくて、本当に有難がられているらしいのがわかった。
「『呼ばれた』方ならば、いずれ国のためにもなりましょう。精進なさって」
「は、はい!」
ユーディアがそう返事をすると、女性は小さくうなずき、そしてまた扇を広げて口元を隠すと、ゆったりとした足取りで、王宮の方へ向かっていく。
その姿が見えなくなるまで見送ったあと、ふと息が漏れた。
「お綺麗な方ですねぇ! びっくりしちゃった。妖艶って、ああいうのを言うんでしょうね!」
あの女性が残した色香のようなものが、まだその辺りに漂っている気がした。
「ユーディア」
マロウの咎めるような声に、はっとして振り向いた。
「あ、すみません。なんでしょう」
「……私は、あなたのその開けっぴろげなところは、嫌いではありません」
「はあ」
「けれどこの国では、女性は慎ましやかなことが美徳とされています。後宮に入っていただくのですから、その辺りも気を付けてもらうことになります」
「あ、はい、すみません……」
少々はしゃぎ過ぎたか。確かに浮き立ってしまっていたような気がする。ユーディアは素直に謝罪した。
「この国では、高貴であればあるほど、慎ましやかであることが望まれます。王族の方々に至っては、男性も女性も関係なく、ほとんど姿を現すことがないほどです。あなたの振る舞いは、仕える方の品位を落としますよ」
「はい……」
この国に限らず、女性は控えめな方が好まれるということは多い。どこも身分の高い女性は、おしとやかにしていたように思う。確かに下町のようなところを点々として育ったユーディアは規格外かもしれない。
しょんぼりして肩を落としていると、マロウは小さく息を吐いてから笑った。
「まあ、他国から来られたばかりの方にいきなりこんなことを言ってもね。おいおい覚えていってもらいましょう。今はお妃さまもおられませんし」
その言葉に顔を上げる。
「いないんですか?」
「ええ、現国王陛下は未だ妃を娶られてはおられません。しかしいつ迎えられてもおかしくはない。ですから、今、後宮を整えているのです。あなたはそのための人手ですね」
「なるほど、わかりました」
それからまた歩き出す。すると少しして、マロウは口を開いた。
「しかし、珍しいこともあるものですね」
「え?」
「さきほど、ウィスタリアさまにお会いしたでしょう」
「ああ、あの」
綺麗な王族の人。紅い唇が印象的な人だった。
「さきほども申しましたように、王族の方は表に出てくることはほとんどありません。このような道端ですれ違うことなど滅多にないのですよ」
「ああ、そうか。そうですね」
「やはりあなたが『呼ばれた』方だからなのかもしれません。王族は、セクヌアウスの血を引き、その名を持つ方々ですから、何かを感じられておいでになられたのかも」
自分で言ったことに自分で納得したようで、マロウは何度もうなずいている。
しかし何度聞いても、どんな場面で言われても、やはり『呼ばれた』という言葉は、落ち着かないものだった。
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