◾️◾️◾️◾️5
「……っ!」
私が目覚めた場所は東京の自宅の自室。服装はパジャマ。
急いで着替えてリビングに飛び出すと、そこではルピネさんと妹が朝食を作っているところでした。
「おはよう、紫織」
「お姉ちゃん、ねぼすけさんだね」
「……おはよう、ございます」
ここは誰かの夢の中だそうなのです。私の《私》と同化した部分もそうだと感じています。
ならばすぐさま夢見るどなたかを起こしに行くべきなのですが、夢の中とはいえ、ルピネさんと妹を無下にして家を飛び出すなんてできません。
「卵焼き綺麗にできた!」
嬉しそうな妹と、慈しむルピネさんが好きです。
「上手になったな」
「見て見て、お姉ちゃん! お寿司屋さんで出てきそうな焼き色です!」
「ほんとだ。すごい!」
美織は中学校に通いながらも家事を手伝ってくれています。ルピネさんは忙しい合間を縫って私たちを助けてくれるのです。
美味しい朝ごはんを食べて、大好きな二人と戯れ……私の体力は満タンなのです!
今日が何日何曜日なのか調べようとしましたら、カレンダーもテレビもスマホも時計も、日付と時刻が塗りつぶされておりましたので、頼りは季節感とお日様の高さです!
「おっでっかけー♪」
パソコンと教科書の入ったリュックを背負って、のんびり歩いていきます。
「よっりっみちー♪」
「ぷるなぅ」
「こんにちはです、ネアさん」
近所の公園に住むネアさんは、炎の毛皮の猫ちゃんです。燃え上がるオレンジが鮮やかなのでリーネアさんから名前をいただきました。本人公認です。
「撫で撫でー」
家から持ってきた猫ちゃん用の蒲鉾をあげてスキンシップ。ブレイクダンスが可愛いです。
「ぷなん」
「行ってきます」
ネアさんと別れて進もうとしましたが、ネアさんは私の後ろをついてきます。
「一緒にきてくれますか?」
「なん」
「! 行きましょう」
不思議な猫さんを視認できる人は神秘持ちさんか異種族さんしかいません。大学に連れて行……あ、うちの大学、生徒から先生たちまで皆さんそういう人ばかり……
「…………」
むむん。
「なぅ?」
「……まあたぶん大丈夫なので大丈夫です! 行きましょー♪」
「ぷなーぅ!」
なぜ大学に行くかといいますと、不思議な事態に対処できる人がたくさんいる場所だからなのです。シェル先生や翰川先生を筆頭に、対処したりアドバイスしてくれたりな人が教授陣に揃っております。
魔術学部なんかは定期的に異界化しますが、教員さんたちですぐに解決しちゃうのです。すごい!
そんなわけなので、助けを願うまでいかなくとも、相談してヒントをいただけるのではないかと思うのです。
「…………。授業ある日だったらどうしましょう……」
なんせ日付曜日が分からないので、とても困ります。
「なん」
「わ」
肩に乗ったネアさんに頬を叩かれ、顔をあげます。バスが来たことをお知らせしてくれたようです。
「ありがとう、ネアさん」
「ぷるん」
ネアさんを撫でると暖かくもっふぁとします。
猫マフラーという至福を味わいながら、バスの振動と移り変わる風景を味わいました。
……《私》が離れている分、感覚は明瞭なのですが、ちょっと寂しいです。
「ぷなーぅ!」
「そうですよね。しっかりしなくちゃです」
ユーフォちゃんのお願いを果たすためにも、私はこの夢を。
…………。
夢を、どうしたらいいんでしょう?
悩みながらもバスは大学前に到着し、私はネアさんと構内に入ります。
「……ぷなん」
肩から降りたネアさんがキョロキョロして可愛いです。
異種族の留学生さんグループがネアさんを見ましたが、普通に通り過ぎました。うん、やっぱり皆さん、こういう不思議な存在は見慣れてます! 大丈夫!
「メール通じました……良かった」
バスの中でシェル先生にメールをしておいたのですが、たった今、『在室』と返信が来ました。
ネアさんを抱っこして、数学科へ向かいます。
「ぷるるん」
「お散歩ですね」
魅惑のモフモフを独り占めなのです。
構内にはちらほらと生徒さんがいて、でも教室内に授業で集まる光景もなく……寛光のいつもの休日といった感じでしょうか。
数理学部の標識は計算機と渾天儀がデザインされております。そこを過ぎて角を曲がれば、数学科スペースです。
「せんせーい、おはようご……」
元気よく挨拶しようとしましたが、飲み込みました。体を曲がり角に引っ込めて首だけ出します。
フリースペースにいるのはシアさんとシェル先生。そして、先生に抱きつかれるスペードさん。
「シェル」
「……」
「機嫌を直しておくれ」
「…………」
ぐずぐずに泣いている先生はスペードさんから離れません。
「小さき鬼よ。姉君を困らせるものではない」
「んぅ……」
涙声な先生は半分以上泣き疲れているようで、たまにがくんと体勢が崩れます。
そして、シアさんは先生を撫でたりさすったりと落ち着かせようとしているのです。
これを見て、私は『この世界は本当に夢なのだ』と理解しました。ディテールが細かかったから気にしていなかっただけでした。
だってシェル先生は、以前シアさんに背を触れられた瞬間に激昂していたのですから。
「……」
呆然とする私の肩を叩く指。
振り向くと、先生のものと思しきスマホを持ったハーツさんがいました。返信してくれたのは彼なのでしょう。
「お久しぶりです、ハーツさん。あの、あれって……」
「今ちょっとまずい状況でな……離れるなよ」
「は、はい」
確かに、場を双子さんの魔力が支配し始めています。魔術現象として爆裂しないのはスペードさんが調整して抑え込んでいるからだと思われます。
無意識な双子さんだけ無自覚……
「シェル、どうしたんだ。……何かしてしまったのなら、謝る。分からないから教えてほしい」
首を横に振る先生に、シアさんは少し寂しそうです。
私の知るお二人なら、そもそも愛称で呼ぶ呼ばれるを許容するなんてあり得ないのです。
しょぼんする仕草がそっくりなシアさんに、スペードさんが苦笑します。
「すまぬなあ、シア」
「いえ。……シェル、また今度」
「……」
「これ。返事はきちんとせよ」
ぺちっと額を叩かれた先生がようやく顔を上げて言いました。
「姉様、さようなら」
「! ……さようなら」
私の横を通り過ぎていくシアさんに声はかけられず、私はハーツさんと共にスペードさんの元に向かいます。
「……来たか」
「は、はい。その、えっと……来ることを知っていらっしゃったのですか?」
今日私が来ることをというよりも、私がこの夢の世界に飛び込んでくることをご存知であったような言い方です。
「この子が100年前から予測しておったよ」
「ひゃっ……100年前!?」
「しかしまあ、そうじゃのう……妾としても、ほんの少し寂しい気持ちも」
「んぅ……」
先生は眠たそうにしながら起き上がり、私に封筒を押し付け寝落ちしました。スペードさんの背中からずり落ちそうなところをハーツさんが受け止めます。
「ありがとう」
「どういたしまして」
先生はそのままソファに寝かされてしまいました。
「さて、話そうかのう」
衝撃展開で気付くのが送れましたが、スペードさんは低身長華麗美少女の姿でなく、威風堂々絢爛たる美女の姿。
見つめられると照れてしまいます……
「我が乙女よ。熱烈な視線は嬉しいが、用があって来たのじゃろう?」
くすくすとからかう彼女があまりにも綺麗で困ります。
「はわっ。……お言葉に甘えまして、経緯を説明させていただきます!」
「うむ」
ラーナさんから、ポータブル神棚を作れるようになったと言われ、妖精さんたちによって巫女として覚醒させてもらったこと。
その流れで、ユーフォちゃんから『ひいひいおばあちゃんをよろしくね』と言われてこの状況であること……
「……ふむ。そうか。ユーフォ……」
「ユーフォっていうのは……リーネアとステラの娘か?」
「あ、はい!」
お二人ともまだ出会っておられないのですね。知っている前提で話してしまいました。
「リーネアさんそっくりでかわゆいんですよー!」
「ほう。見せてくれるかえ?」
「もちろんです」
スマホにあるユーフォちゃん用写真フォルダを惜しげなく!
「……愛くるしい。オウキはさぞかし可愛がっておるじゃろうな」
「もうメロメロのデレデレです!」
「ふふ。……微笑ましいのう」
スペードさんは私が手に持つ封筒を示して言います。
「解法はアリアがそこに書いた。妾はこの世界の説明をしておく」
「?」
「悩んでおったが、先に話す。以降、この世界のことを夢世界と呼称する」
「は、はい」
「夢世界を維持している夢の持ち主はユヅリ……ひぞれの母たる女神である」
「……」
翰川先生のお母様。
「主たる観測点はここ、寛光大学。女神は夢世界の内部から見て、また、お前が元来た世界である《表》では休息に眠るたび《表》で起こったことを夢世界に投影しておる。……ふざけた力よな」
少し苛立つスペードさんを宥めつつ、ハーツさんは眠るシェル先生を彼女の膝に乗せます。
ぷりぷりしながらも抱きしめて撫で始めました。
ハーツさんが補足してくれます。
「夢世界は百年前の《表》を基準にしてる。だが、同期しなければズレてくだけだ」
「です。でも、同期する必要があるんですか?」
夢だから夢なりに、理想の世界を紡いでいけばいいような気もするのです。その方が女神様も疲れないと思います。
「普通ならそうだ。が、女神はひぞれと同スペック。その完全記憶で《表》のディテールを記憶し、演算で夢世界内部の幸福を見渡し見積もる。……要は夢世界を理想の現実に近づけようとしてるということ」
「…………」
完全に暴走している気がします。
「暴走女神がなぜ暴走しているのかはお主が考えよ」
「はい」
決意を込めて頷くと、お二人も頷き返してくれます。
「お主がなぜここに来たのか教えておく。夢世界を終わらせるため。この一点である」
「……はい」
「神棚を作るには自由自在かつ強力に魔力の糸が張り巡らされねばならない。そのためには、うっすらと質量さえ持ち始めている夢世界が邪魔なのじゃな」
「お前さんならなんとなく感じてたんじゃないか」
「……かも、しれません」
例えば、ネアさんは普通の猫さんではありません。違う世界の合間を渡る神様あるいは妖怪さんです。
この猫さんも、夢世界を終わらせるために私に協力してくれるみたいです。
「ふむ。……そこの猫はなんぞ?」
「あ」
先程まで姿を消していたネアさんは、いつの間にやらハーツさんの膝の上でゴロゴロ喉を鳴らしていました。ハーツさんは意外と慣れた手つきでわしゃわしゃしてます。
「ネアさんです。可愛い猫ちゃんなんですよ」
「…………」
「?」
喉をくりくり撫でながら、ハーツさんは目を細めます。
「ネアさんってのは、表の世界でも同じ名か?」
「はい。リーネアさんに似てませんか? 毛色がオレンジなところとか、目がキリッとして気の強そうなところだとか。可愛いですよね」
「「……」」
お二人は顔を見合わせてから、静かに頷きました。
「うん。……そうだな」
「じゃのう。これがついておるなら、動くことには支障なかろう」
「頑張りますね」
「うむ。励むが良い我が乙女」
「頑張れ。……まずはこの大学をゆっくり見て回れ。猶予はそれなりにある」
「はい。ありがとうございました!」
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