4.神が神であることには

女神1

 火曜日の4限は、鬼神さんとの毎週の一対一。

「光太」

「何でしょうか、我らが学部長」

「おまえ、後期では心理学取りなさいね」

「うぐ」

 履修届を出さなかった講義だ。

「何を呻いている?」

「……理数があんまし得意じゃなくて」

「何がわからないのかわからないな」

「シェルさんみたいなこと言わないでくださいよ」

「ちっ……おまえはああ言えばこう言う。口答えが可愛いのは我が子だけだぞ」

「もう少し優しさ持ちません?」

 せめてお孫さん入れるとかさ。

「おまえの目は節穴? 私が優しくなかったらおまえの首などとうに吹っ飛ばしている」

「首を飛ばすか否かの判断基準に優しさ使うのやめましょうよ」

 そもそも、なぜに揃って首を刎ねたがるんだろうか。

 彼女はすんと鼻を鳴らして不機嫌そうに説明する。

「……鬼の主食は魂。魂は体と同じように口を通して呼吸するものだから、その通り道である首を断つことは、魂を逃がさないということになる。鬼の本能」

「はあ……合理的な習性なんですね」

「そんなわけで、寛容な私といえど抗弁をされていると首を刎ねたくなる。ほどほどにせよ」

「理不尽……」

 いつも通り、種族の違いによる価値観・倫理観の差異を学びつつ、話の流れは心理学を勧める理由に舞い戻る。

「心理学は理数であれど、最も社会系学問に近い分野。そう難しく思うこともないよ」

「そうなんですか?」

「社会は人が動かすものだ。人は利益あるいは感情……つまり、心理によって動く。ならば社会の原動力とは多種多様な心理そのものといっても過言ではない」

「ああ、そういうことなんですか」

「うむ。規模が大きくなろうと、国や政府も人の集まり。世界情勢とて、個人の心理の違いでうねっているのは同じだ。心を無視して良い分析は出来ぬ」

 確かに、諍いが起きるときって、心のぶつかり合いも起こってるときだよな。

「また、おまえが自分のアーカイブを理解するためにも、心の動きを学ぶに越したことはない」

「……わかりました。後期でとります」

「よろしい」



 大学近所の本屋に心理学の初歩を学べる書籍があるというので、寄り道の帰り道。

 いきなり空が暗くなった。不穏な雲行き。

「……!」

 近くにあったバス停の屋根の下へと飛び込む。

「これがにわか雨ってやつか」

 札幌ではこういう天気の急変を味わった経験がほとんどないので、新鮮に思える。

 さほど長くは降らなさそうだから、このまま待とう。

 そう思ってふと視線を動かした瞬間――そばの木の上から人が降ってきた。

「…………」

 心臓を凍った手で鷲掴みされたようだった。

 受け身もなく、だらりとしたまま落ちてくる人影がこれほど怖いとは。

「だ、大丈夫ですか!?」

 急いで雨の中を駆け寄る。

 石畳の上に投げ出された肢体は女性。

 その顔を覆う髪は、サファイアのような鮮やかな青色。

「……翰川先生……?」

 美女が目をぼんやりと開く。

 俺はその肩に手を伸ばそうとしたが、目が眩むような妙な感覚に立ちすくむ。

 瞳はエメラルド。オウキさんと同じ。

 彼女は鈍感な俺のアーカイブでも奇妙さを感じ取れる神秘を放っている。

 なんだろう。この感覚を言い表せる言葉が思い浮かばない。認識できそうでできない人が目の前に。

「……おい」

 強いて言えば、鬼神さんを前にした時と感覚が近いような……?

「おい、そこの」

 恐ろしく綺麗な声に耳朶を叩かれ現実に戻る。

「……すみません。えっと……じっとしててください」

 許可を得て、女性の脇に手を差し入れさせてもらう。

 軽く持ち上げて屋根の下へ。

「ありがとう」

「どういたしまして。……どうして木の上に?」

「いろいろ、考え事してた」

 この人は考え事すると木に登るのか……?

「……ちょっと、すみません」

 額に手を伸ばす。

 先程触れた時の違和感の通り、高熱が出ている。

「救急車呼びま、」

「呼ぶな」

「……じゃあタクシー?」

「呼んだら殺す」

「…………」

 なんて理不尽な。

「どうしろと?」

「屋根の下に入れてくれただけで、ありがたい」

 彼女に表情はなく、熱に苦しむ様子を見せず立ち上がる。

「もう平気。助かった。雨が降ると思ってなかったから」

「…………。オウキさんに、似てる……?」

 彼女は少し目を細めて俺を指差す。

「お前、寛光生?」

「え? は、はあ。まあ。新入りですが……」

「…………」

 何か口を開きかけて、しかし倒れかける。

 すんでのところで受け止めると、服越しでも高熱が伝わってくる。

「全く平気じゃないですよね今の状態!?」

「平気。少し経てば……」

「無理です。救急車、」

「呼んだら殺すっつってんだろ」

「…………」

 鬼気迫る様子に気圧されていると、彼女はくったりとして眠ってしまった。

 はてさて。この女性、どうしたものか。

「……救急車は、嫌なんだもんなあ」

 救急に頼るのは、財力も筋力も、神秘による転移もない俺が、一人でも協力できる唯一の方法だったのだが。

 ならば仕方がない。

「……あ、先生? ……はい、いま大学近所の本屋さんから近いバス停で……」



 電話の直後にやってきた翰川先生は、女性と俺を連れて大学医務室へと転移してくれた。

 彼女はベッドで眠る女性を見て首を傾げている。

「……こちらに来ているとは……」

「お知り合いですか?」

「知り合いも何も、彼はオウキとラーナのお父さんだからな」

「    ?」

「声出てないぞ、光太」

「え、だって、女性……」

 完全に寝ついてからようやく認識できるようになったが、見れば見るほど恐ろしく美しい女性だ。

「見ればわかるよ」

 彼女は水の入った瓶を開け、スポイトで液体を吸い上げる。

 女性の頰に数滴落とす。

「…………!」

 姿が男性へと変じた。美貌はそのままだが、体つきは完全に男のものだ。

「雨に降られれば激痛と高熱と共に姿は女性となり、地下水で元に戻る。呪いの一種だそうで、姿が戻れば少しは和らぐ」

 名前も知らない男性は、翰川先生に手を伸ばす。

 彼女はそっとその手を取る。

「……ひぞれ」

「うん。ひぞれだよ、お兄ちゃん」

 お兄ちゃん。

 質感は違えど、同じ青の髪。恐ろしく美しい顔立ち。

 彼はオウキさんの父親で、つまりはオウキさんの大叔父にあたるミズリさんは、彼にとって叔父で。

 そのミズリさんの姉は?

 翰川先生の魂に宿っている。

 つまりは。

「…………」

 翰川先生に宿る《お母さん》は。

「……た。光太」

「っ、なんでしょう」

 翰川先生は困ったような笑顔で俺を見ている。

「キミが推察する通りだ」

「え……と。……すみません」

「謝ることじゃないさ。迷惑をかけて申し訳ないが、キミのアーカイブ、お兄ちゃんの体調に良い作用をするらしい。そばにいてくれないか。説明するから」

「……はい」

 先生の手を握ってうとうとしている男性は、シンビジウムさんというらしい。

「愛称はシュビィで、通称はシンビィ」

「違いは?」

「許しなく前者で呼ぶと鼓膜が破裂するパンチや掌底を繰り出すところかな」

「……起きて挨拶できたら、シンビィさんって呼びますね」

「ふふ。一度だけなら許してくれると思うよ」

 さすがに自分の鼓膜をかけてまではやりたくない。

「お兄ちゃんは……僕の《お母さん》の実の息子。お父さん、つまりパフェの実子でもある」

「……」

「そして、オウキとその双子の妹の実父。大学にいるレプラコーンたちの長兄にもあたり、お兄ちゃん自身も双子の妹がいる。キミの姉の師匠の育て親でもあり、また、シェルの養父母の育て子でもあり……」

「すごく、複雑な……立場の……」

 一気に情報を投下されると頭がこんがらがってくる。

 完全記憶の彼女ならば把握もたやすいのだろうが、俺には難しい。

「すまない。ホワイトボードに書けばよかったな」

 彼女は虚空からホワイトボードを出現させ、さらさらと関係図を書き出してくれた。

 さっき教えてくれた関係性に加えて、《お母さん》から翰川先生の名前に矢印が伸びている。

「……で、僕はお母さんの魂を使って作られた人工生命というわけだな」

 あまりにも壮絶で、口を開くことさえできない。俺が何か言っていいようなことじゃない。

「お兄ちゃんとお姉ちゃんは、それでも僕を許してくれたのだが。……優しい人たちだ」

「ひぞれ。……母さんに似てる」

「混ざり物な僕より、お兄ちゃんの方が生写しだと思うのだが」

「…………」

 目が開く。

 俺はまた彼という存在の認識が上手くできなくなって、混乱する。理解できないものを目の前に突き付けられるのは久しぶりだ。

「妖精さんの……認識阻害でしたっけ。それ使ってます?」

「使わねえよ。お前のその訳わからん神秘のせいじゃねえの?」

「! わ、わかるんですか?」

 夏休みの検査待ちなのだが。

「うん。でも俺、馬鹿だから説明できない」

「えっ」

 予想外の事態に硬直する俺に、表情の変わらないシンビィさんが舌打ちする。

「異種族全員が天才だと思うなよ」

「失礼だぞ、光太。お兄ちゃんは頭の回転とか計算とかそういう方面ではないだけで天才なんだ!」

「頭の回転全否定じゃねえかよ」

 ナイスコンビのようで安心である。

「ところでお兄ちゃん。お母さんと話さないか?」

「遠慮しとくよ」

「……。わかった。今日の御用は?」

「息子と娘と、あと、孫たちとひ孫に会いに来た」

「ご兄弟の方々は?」

「あいつら俺の顔なんか見たくもないだろ」

 無表情のまま言い切った。……なんとも、これは切ない。

「できればオウキとラーナだけ会いたい」

「協力しかねる。弟妹さんたち、お兄ちゃんに会いたがってるよ」

「……。俺は会いたくない」

「むう……お兄ちゃんの分からず屋め……」

 彼ら彼女らの兄弟仲は単純ではないらしい。

「お父さんには会わないんですか?」

 パフェさんは本日、神秘について教えるオムニバス形式の講義で魔法の道具を作っていた。

 今も魔術学部にいるのではないだろうか。

「合わせる顔ないから、大学内で会うのは息子と娘だけでいい」

 彼はベッドから起き上がり、腕を伸ばす。

「ん。治った」

「ほんとにか? 無理したら怒るぞ」

「わかってるよ。……お前の生徒、神秘を悪用しやすくて素敵だな」

 えっ。

「面白かった。まあ、協力してくれないんなら仕方ない。俺一人でも潜入する」

 彼はなぜか医務室の奥へと向かい、『更衣室』と書かれた扉を開けた。

 そして戻ってくる。

「出口どこ?」

「……」

 翰川先生を見ると、彼女は恥ずかしそうに耳打ちしてくれた。

「お兄ちゃんは致命的な方向音痴なんだ」

「……道案内しますね」

 彼女はこれから授業があるそうだから、手すきが俺しかいない。

「僕のお兄ちゃんをよろしくお願いします」



 あっちこっちにふらふら進みたがるシンビィさんの軌道修正は、とても大変だった。

 料理サークルの焼いたケーキの匂いに釣られたり、体育館でやってるバレーに興味津々だったり、ホールでの研究発表の場に走って行ったり……

「ちょうちょ」

「はいはいちょうちょですねー」

 挙げ句の果てには中庭から迷い込んできたアゲハチョウを追いかける始末。

 翰川先生から好物だと教わったキャラメルを箱で渡し、落ち着いた隙にシンビィさんを魔術学部に連れて行く。

 ……犬の散歩の気分が分かった気がした。

「ついに魔術学部に」

 無表情ながら感動してるっぽいシンビィさん。

「その。奥さんは?」

 彼にストッパーとなる人はいないのかと問うてみると、彼はそこはかとなく嬉しそうに答えた。

「フローラは一足先に、孫のお嫁ちゃんとひ孫と遊んでる」

「……良かったですね」

 つまり、ストッパーは居ない、と……


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