怪獣5
「はじめまして! 私はテティアラだよ!」
「……うん? ……うん。うんうん。なるほどな。面白いとは思うが、まさか生体で実現してしまうのがさすが竜といったところ」
翰川先生は頷き、テトちゃんを撫でる。
「良ければもう少しおしゃべりしたいな」
「お姉さん綺麗ですね。すっごく可愛いよ」
こんなセリフを聞いたら翰川先生は真っ赤になって停止するはずなので、彼女には理解できていないとわかる。
しかし同時に、俺より深く彼女の性質を推察しているようなセリフも聞こえた。
ノアくんは椅子に腰掛けて静観している。
「キミの悪竜ナンバーはいくつかな?」
「悪竜54334番だよ!」
「光太。彼女はなんと? 聞こえたままの答えを喋ってくれ」
「『悪竜54334番だよ!』……だそうです」
「うむ、解読した」
「!?」
海色の髪を揺らして、テトちゃんに目線を合わせるように少しかがむ。
「初めまして、テティアラ」
「初めまして。テトって呼んで欲しい」
「よし、テト」
「!!!!」
大興奮のテトちゃんが俺をぺしぺし叩いてきて胸がキュンとする。
「ひぞれちゃん好き!」
「ありがとう、僕もキミが可愛くて興味津々だぞ」
「お兄ちゃんがひぞれちゃんのこと褒めてた」
「ふむ。シェルかな。むずがゆいが嬉しいな……」
「可愛くて優しくて頑張り屋さんで愛おしい友達だって! その通りなんだね!」
「…………」
真っ赤になる先生はノアくんを振り向くも、ノアくんはスケッチブックを掲げるばかり。
『弟に聞いても「事実を言っているだけなので恥ずかしくありません」と答える』
「……わかっているとも……」
彼女は咳払いして、俺に向き直る。
「言っておくが、光太のように一発で聴きとれているわけではなく、聞こえた音を元に、現在彼女が喋っているであろう日本語に頭の中で変換している」
さらっと言うが、やはり完全記憶と超越演算を持つ人は凄まじいと思う。
「不思議ですね……」
「テトの種族特性を鑑みるに……暗号化のようなものかなと」
「暗号化?」
「ネットでIDやパスワードを打ち込むとき、何も工夫せずに送信したら危険なのはわかるな?」
「送信情報抜き取られたら一発ですもんね」
「うむ。そのままの文字列を
リーネアさんの専門分野ってここら辺なんだろうか。
「現実の手作業による暗号は、アルゴリズム自体を秘匿する。アルゴリズムが見抜かれたその時は暗号解読が成った時だ。……が、コンピュータにおいては秘匿が難しい」
「解かれちゃうじゃないですか」
古代の暗号なら解かれるのは喜ばしいだろうが、個人のパスワードを解かれてはたまったものではない。
「なので、平文を暗号化するときに使う際の鍵……要は『アルゴリズムが見抜かれても平気だけど、変換の計算に使ったこの数列が無いと解読はできないよ』というようなものを用意して安全性を担保するのだ」
「おお……!」
「こんな感じかな。セキュリティを高めたかったら鍵を複数使ったり、暗号にするための鍵と暗号から戻すための鍵を分けたり……鍵自体を長く複雑にしたり。場面によって使い分ける」
テトちゃんを撫でつつ言葉を続ける。
「キミたち巨竜はたぶん、鳴き声が大きいんだ。そして集団で狩りをするとも聞いた。獲物も竜ならば、鳴き声のコミュニケーションを見抜かれては逃げられる。なので理解されないように複数の鍵でその度ランダムに暗号化して発声するんじゃないかな」
「ひぞれちゃん好き、好き。ぎゅってして?」
「ぎゅってするとも!!」
二人とも可愛い。
「まあ、彼女が日本語以外の言語を喋ったらまた分からないわけだが、その時にも解読は可能だ」
「♪」
「鍵が複数あって、巨竜は生まれつき理解しているか親から教わるか。そして鍵を当てはめて言語になるものを選ぶ、と。超絶な直感を持つ竜だから成り立つコミュニケーション方式だな」
「ひぞれちゃんいい匂いする」
「……んむう。やはり悪竜は可愛くて困る」
翰川先生はテトちゃんにチョコブラウニーを渡し、それからノアくんを振り向く。
「さて、ノア。あなたの足の具合によってアドバイスできることが違うのだが、どうか?」
ノアくん曰く《チューニング》とやらが終わったようで、あの不思議な会話方法で発声する。
〔立ち続けるだけであれば問題はない。転移も使用可能だ〕
「うむ。およそ問題ないな。……調理器具の配置を厳密にできればなお良いのだが」
〔佳奈子と相談してみよう〕
「オーダーで具材を切ることは?」
〔アリスに教わればおそらく〕
「ならば、僕が足の訓練時代初期に使っていた簡単レシピを渡そう。印刷するから待ってくれ」
〔ありがとう〕
翰川先生は印刷機をコードで遠隔起動している。
ノアくんが俺を見上げた。
〔佳奈子が好きな料理はなんだろうか。普段世話になっているので、彼女が喜ぶメニューにしたい〕
「なんでも食べるけど……そうだなあ。鶏肉と大根の煮物とか」
佳奈子の祖母が得意とする煮物で、俺もよくお裾分けにもらっていた。
翰川先生も頷く。
「ミドリさんの煮染めか。あれは美味しかった」
〔そうなのか。光太はレシピを知っているのか?〕
「一応ね。……レシピっても、出汁と調味料の配分と、なんとなくのタイミングだけだよ。煮物は経験がものを言うから、練習してくしかないんじゃないかな」
俺も何度かチャレンジしているが、ばあちゃんレベルの味が出来たことは一度もない。
〔……精進しよう〕
「ばあちゃん、近いうちに佳奈子に荷物送るって言ってたし、煮物も送ってくると思うよ」
「私も食べてみたい……」
テトちゃんがもじもじしている。
「俺にも送ってくれるから、その時はテトちゃんご招待させてもらうね」
「!」
興奮を表すためか、ノアくんに抱きついてぐりぐりしている。可愛い。
「終わった。あげる」
〔ありがとう〕
先生は冊子をノアくんに手渡し、くすりと笑う。
「しかし……ユニとそっくりなのに料理に挑むなんて、特定層には大混乱を巻き起こしそうだな」
〔かもしれない〕
「?」
「ユニというのは彼らのお父さんで王様なのだが、家事に含まれる行為が一切できないんだ」
「え……大変そうですね」
王様だから、家事をする必要はなかったのだろうが……こちらの世界ではお手伝いさん居るんだろうか。
「お父さん、仕事のこと以外しようとすると固まっちゃうの。……お皿一枚持っただけで虚脱するから、家事なんてできない」
かなり深刻そうだ。
〔父は家事ができないが、母は喜んで父の世話を焼くだろうし、王城時代からのお付きも来るから心配いらない〕
「うむ。それに、僕とリーネアのお隣さんになるのだからな!」
「……翰川先生たちのフロア、面子が濃いですよね……」
立地の良い場所に建つ高級マンションなだけあって、設備もすこぶる良いのだが、階が上に行くに従って異種族さんの割合が増えてくる。
変人の割合も増えるのが玉に瑕的なマンションである。
「そうだろうか?」
「ひぞれちゃん、私も住むんだよ。お隣さんだよ!」
「可愛くて胸が痛い……!」
ラブラブで可愛い。
無表情で眺めるノアくんは、それでも以前より感情が表出しているように思える。どことなく微笑ましそうというか、妹が愛おしそうというか……
〔光太〕
「? なに、ノアくん」
〔一般的に、一人称というものを持つのだと、思った。今まで自分に必要のないものだったから〕
「…………」
自身を示すための自分の呼び名。他人と密なコミュニケーションを取ろうとしない限り必要のないもの。
閉じこもっていた彼にとっては、それがなくとも、会話が成り立っていたのだ。
〔佳奈子に自分のことを話そうとして止まるのは、一人称というものを持ったことがないからだと気づいた。それによって日本語の難しさも知った〕
英語なんかだと全部、Iとかmeだもんな。性別や性格で多種多様な一人称があるのは日本語の特異性かもしれない。
〔光太はどういう変遷を辿ったのか教えてほしい〕
「……すっげー小さい頃は自分のこと名前呼びして、なんかのアニメか漫画のキャラに影響されて今の『俺』になった……と思う」
朧げな記憶ながらそんな感じである。
〔ふむ。やはり成長過程で変わるのか。……成長する余地がもうないのだが、何がいいのだろう〕
「俺か僕とか?」
無難なものを挙げると、彼は頷いてから会釈する。
〔ありがとう。参考にさせていただく〕
「いえいえ。佳奈子が世話になってます」
〔世話をされているのはこちらだ〕
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