怪獣6

「師匠……!」

「困った子ですね、美月」

「うう、数年ぶりに会う弟がいい男になっちゃって恋人まで……そんで料理上手! 私よりも!」

「あなたアバウト過ぎるのだもの。きちんと調味料を計量なさい」

「うえっぐ、ひぐ……」

「……」

 夕方、大学が終わって、帰り道でファミレスで夕飯してからテトちゃんと帰ると、姉がルーシェさん相手にクダを巻いていた。

「……姉ちゃんがダメな酔っ払いになってる……」

「びっくり」

 俺たちに気づいたルーシェさんがにこやかに挨拶する。

「お帰りなさい、光太。テトはいい子にしていましたか?」

「もちろんです。……姉がお世話に」

「いいえ。いきなり来てしまってごめんなさいね。美月が『ついてきて』なんてねだるものですから、可愛くて」

「大丈夫です」

 窓辺では鹿さんがどしっと座っている。

「……」

 迫力に圧倒されていると、鹿が俺を見る。

 視線を逸らすのも失礼かと思って見返していたら、鹿は鼻先で俺の頭をこんとつついた。

 疑問符いっぱいの俺に気付かず、ルーシェさんはテトちゃんを抱き上げている。

「テト、明日からご両親が越してくるそうよ。良かったですね」

「テトちゃん、寂しいよぉ……」

「私も寂しい。美月ちゃんと光太と仲良くなったのに」

「なんて言ってるかわかんないけど意味はわかるよぉ……!」

「まだ気が早いというのに」

 俺も会話に参加したいのだが、鹿との見つめ合いが終わらなくて動けない。円らな瞳はガラス玉のようだ。

「あの、鹿さん……何か御用でしょうか?」

「ルーシェが世話になっている」

「喋った……普通に喋った……!」

 テレパシーなどでなく、口と喉を動かして発する声。しかも低くて渋い。

 ルーシェさんはグダグダな姉をソファに寝かしつけてからこちらにやってくる。

「光太、挨拶をするのは良いことだと思うのだけれど、森の王にまで物怖じしないのはさすがね」

「森の王……?」

「夜と冬の森を統べる王です」

「昔の話だ、我が妻よ」

「ツマ?」

 wife?

「……これで満足か、奇妙な少年」

 喋る鹿に奇妙と言われるのは微妙な気持ちだったが、鹿のシルエットは縮み、毛皮のローブを纏う青年の姿に変わった。

 そして、ルーシェさんに寄り添う。

「ふふ。あなたったら、いつまでも子供っぽいのね」

「妻と不釣り合いと思われては我慢ならぬ」

「あらあら」

 仲睦まじい姿が、雄々しい鹿に乗って移動する美女の優美な姿に被って見える。

 思わず見惚れた俺は、側に足音が近づいてくるのに気付かなかった。

「あ……あう……」

 この声を聞き間違えるはずもない。

「京?」

「る、ルーシェさんっ。光太、どうして……その……」

 顔が真っ赤な彼女は、ゆったりとした白地のドレスのようなパジャマを着ていて、長くなった黒髪をゆるくまとめている。風呂上がりのようだ。

 シンプルな服を好む普段の彼女とはテイストが違って、これまた見惚れる。

「ごめんなさい、京ちゃん。あなたを騙して連れてきたの」

「ええ!?」

 涙目になって足元のテトちゃんを抱きしめる。

「おー」

 京は心許なくてつい抱き上げてしまったようだが、テトちゃんは手足をぶらぶらさせて楽しそうだ。

「……あの、その……光太。ごめんなさいっ……私、光太がいること知らなくて……!」

 混乱する京に代わって、優美なルーシェさんが説明してくれる。

「あなたは友達の家に泊まって居なくて、美月が寂しくて私や京ちゃんに声をかけた。京ちゃんが泊まることにはあなたの許可を取ってある……というシナリオで京ちゃんを連れてきたの」

「だ、騙しだ……詐欺だ……」

「ふふ。あーちゃんったら相変わらず鮮やかな手並みだったわ。本物の詐欺師は嘘を極力つかないのよね」

「なんでシェルさん?」

「テトのために京ちゃんの助けが必要だったから」

「……」

 京のパターンは『現実に引き戻して安定させる』作用がある。たとえるならば、心の傷の海に溺れて姿勢を保てない人に水面を教え、体を支えて落ち着かせる手助けをするような、優しいパターン。

 俺のアーカイブの効果がテトちゃん相手に上手くいったかどうかを見るには適任というほかない。

「……このお姉さん好き。好き」

「?」

「ほっぺにキスしていい?」

 彼氏としては通訳するのも微妙な気持ちだ。

 いやまあ同性だし頰だし……!

「んっんん。……ほっぺにキスしたいって」

「わ……は、恥ずかしいけど、いいよ」

「♪」

 頬ずりして口付け。

 あ、なんか、すごい尊いものを見た気がする……

「ルーシェ、電話がかかった」

「ありがとう、あなた」

 森の王さんが操作したスマホを奥さんに手渡す。……そういや、目と耳が弱いって聞いたっけ。

「あーちゃん、お布団送ってくれないかしら」

 おお。ルーシェさんたちもお泊まりか。

 客間に出来るとこもう一部屋あるし、明日から土日だしで歓迎できる。

「……うん。弟子がホームシックしてるの。酔い潰れているから……ごめんなさいね。ありがとう、可愛い弟」

 スマホを旦那さんに返すルーシェさんに、ゾンビのような体勢の姉ちゃんが抱きついた。

「ししょー……ハグしてくれないとやだー……!」

「困った子。あなたはいつまでも可愛いですね」

「ふぇぐ」

「はいはい。そばについててあげるから、寝ましょうね」

「光太と京ちゃんとお話しするー!」

「明日おしゃべりできますよ。ほら、お着替えしなくちゃ」

「うわああん……ししょー!」

 姉ちゃんがぐでんぐでんだ……

「光太。お泊りさせてくださいな。……それと明日、美月とおしゃべりしてくれるかしら?」

「もちろんです」

 姉と話したいことはたくさんある。

「良かった」

 彼女は姉を抱き上げたまま優美に微笑んで、鹿に姿を変えた森の王さんに乗って移動していった。

 床から天井まで高さが足りないと思ったのだが、鹿が通る場所は空間が歪んでいくので問題なかった。

「……とんでもない……」

 ぼーっとして見送っていると、テトちゃんと戯れ終えた京が俺の肩を叩く。

「ここここ、光太……私、変なところ、ない? いや、そもそも似合ってる?」

「に、似合ってるよ! さっきすげー可愛いって思って見惚れたし!」

「はふにゃんぅ……」

「京ちゃんって光太と相性ばっちりだね」

「えっ、あ、ありがとう……」

 嬉しい。

「天然」

「?」

 テトちゃんはにっこり笑って京から離れる。

「お邪魔虫は退散!」

 そのままとててーっと客間へ走って行ってしまった。

 京と目が合う。

「……あ、あんまり、見られると恥ずかしい……」

 俺の彼女が可愛い。

「その。小さい頃だよ? 幼稚園くらいの時に、お姫様のドレス着たいって、親にねだったことがあって……『くだらない』って殴られたけど。……少しの憧れと感傷」

「……」

「いきなりで寝間着持ってくるの忘れた私に、ルーシェさんが貸してくれたの。髪もまとめてくださってね。夢が叶ったんだ。だからこれで満足、」

「じゃあ、結婚式はウエディングドレスだ」

 俺も京のドレス姿を見たいし、これでばっちりだ!

 ………………………………。

「違っ……! 人によってドレスか白無垢か好みがあるってネットで……!!」

「……光太、検索してたの?」

 これ以上なく墓穴を掘ったことを実感する。

「私も調べてたんだよ。光太なら袴も格好良さそうだなって思ってたんだ!」

 京の顔がだんだんと赤くなっていく。

 二人して羞恥に悶える。

「「…………」」

 なんで俺たちはお互い墓穴を掘り合っているんだろう。これがテトちゃんのいう相性の良さなのか。

 なんとかして起き上がって向き合う。

「ふ、不束者ですが、これからもよろしくお願いします……」

「こ、こちらこそ、未熟者ですがぜひよろしくお願いします……」

「では、また明日……」

「だよな。他の人達いるし」

 話して起こしても悪いしな。

「客間であれこれして、寝かせてもらうね。お世話になります」

「喜んで……」

「おやすみ、光太」

「おやすみ」

 京がリビングを出てからも、俺はしばらく悶えていた。

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