Vol.11
1.価値観は≡が成立しない
怪獣1
大学生活も、始まって3週間。
だいぶ慣れてきたある日。俺こと森山光太は、数学の必修授業の直後にシェルさんからメールで呼び出しを受けた。
『from: シェルさん
用件あり
授業が終わり次第、数学科で待機してほしい』
この内容である。心臓はドキドキと暴れ回っているのに、指先と頭は冷えていく。
(……何かやらかしたっけ?)
授業のレポートの出来が悪すぎて呼び出し? はたまた彼の祖母にお世話になっていることについて文句?
戦々恐々として数学科フリースペースで待っていると、シェルさんは自身の教員室からポットとお菓子を持って現れた。
「お待たせして申し訳ありません」
「あ……大丈夫です」
彼の腰あたりに、小さな人影がくっついている。
コアラのように。
「? その子は……」
「妹です。……連れ出すのに手間がかかりまして」
水色パーカーのフードを被って顔をグリグリしているので、悪竜さんだとわからなかった。
「小さくて可愛いですね」
「はい」
シェルさんは妹を自分から引き剥がそうとしていたが、やがてため息をついた。
しがみつかせたまま、俺の向かいに腰掛ける。
「ところで用事というのは?」
「先に言っておきますと、俺は生徒の提出物が単位を落とす寸前の出来であろうと呼び出しなどしません。単位を取れないのは自己責任だと思っておりますので」
「安心しま……できない!」
「忙しいですね、光太は」
誰のせいだと思っているのやら。
ようやく離れた妹さんを抱き上げたシェルさん。妹さんが今度は正面から抱きつこうとするのを留めて、俺に向き直らせた。
フードから覗くのはきらきらと輝く桜の髪に碧眼。お人形さんのように可愛い悪竜さんだ。
「妹のテティアラです。……テト、挨拶しなさい」
「@☆#@@」
どうしよう聞き取れない。
「はじめましてと言っています」
「あ、はい……」
「☆☆*○☆〒〆〜♪」
何を言ってるのかは全くわからないが、機嫌が良さそうで何よりだ。
彼女は俺に手を伸ばし、俺はその手をなんとなく握る。
「÷¥¥*&、+@@、〒^☆#*」
「なんて言ってます?」
「端的に訳しますと『オレサマ オマエ マルカジリ』です」
「うわあい!?」
俺の手にかぶりつこうとするテティアラちゃんから距離を取る。
「? →$%!!」
彼女は不機嫌そうにぷんすかしている。
シェルさんは妹を撫でながら首を傾げた。
「腕一本くれてやるという気概で差し出したのかと思いました」
「すみません、俺の右腕って一本しかないんです! 生え変わったりもしないんです!!」
この人は日常と非日常の境目が薄すぎて、常人に死ぬような覚悟でいることを平然と要求することがある。
「ってか、メガ○ンシリーズ知ってるんですね」
マルカジリのくだりは、某ゲームの特定のキャラが言うセリフ。
「ひぞれが『怖いから代わりにやってほしい』と涙目で差し出してきたゲームの1つです」
妹さんにマフィンを食べさせながら答えてくれた。
「……」
翰川先生、ホラーゲーム苦手だもんなあ。
そのシリーズはホラーではないのだが、なんとなく不気味で怖い雰囲気もあるゲームだからクリアを頼んだのだろう。
「あの……手、食べられてません?」
マフィンごとあんぐと口の中だ。テティアラちゃんは幸せそうにもぐもぐしている。
「甘噛みですよ。可愛い妹です」
がりっ、ぼりっ、ごきっ。
「マフィンにあるまじき硬質な咀嚼音が聞こえるんですが」
「いつものことです」
ごっくん。
「飲んだ。いまこの子なんか飲んだ!!」
シェルさんは手を妹さんの口から引き抜く。
……銀色の液体が手を形作り、彼の元の肌と同じに変わっていく。つまり手が生え変わった。
やっぱ食べられてんじゃねーか。
「可愛いでしょう」
「……その」
「可愛いでしょう?」
「超絶可愛いと思います……」
ゴリ押しすげーな。メンタル無敵かよこの人。
「@〜♪」
「マフィンもう一つですか?」
がぶっ。
ひょいっ。
「俺の手はマフィンではありませんよ、テト」
がぶっ、ひょい。がぶっひょい……
テティアラちゃんが食いつこうとするたび、シェルさんは右手を猫じゃらしのごとく振って躱し、空いた左手でマフィンを取る。
妹さんの口に放り込んだ。
「°<×÷♪」
「よく噛んで食べなさい」
高度な攻防戦が繰り広げられ、お腹いっぱいになったテティアラちゃんが眠ってから、ようやく本題。
「見ての通り可愛い妹なのですが、食欲が強いという問題点がありまして」
「……そっすね……」
食欲以前に、彼女は倫理観と価値観が生物として根本的に違うのではないかと思ったが、身内への評価が謎に甘いシェルさんのことだ。指摘は意味をなさないだろう。
「封印監獄において10段階目。《阻まれるべきもの》として封印されております。テトの階級は最も低い」
初対面の俺にマルカジリ言ってんのに、それでも低いのか。……基準がますますわからない。
「階級が低いと、暴走した時に抑え込める付き添いが一人つくだけで連れ出すことが可能です。なので連れてきました」
「へえー……授業中はどうしてたんですか?」
「俺の教員室に。本好きですから、楽しんで待っていてくれましたよ」
「シェルさん、指に食いつかれてますよ」
「これは甘噛みです。吸って安心しています」
確かに、微かに漏れ聞こえる音はちゅぱちゅぱといった感じだ。寝ぼけているらしい。
「……この子について何か用があるんですか?」
「俺たちの養父母がこちらに越してくることになって、テトは養父母の家に引き取られることになりました」
「! 良かったですね」
「俺もそう思うのですが……」
「……ですが?」
「養父母はなんというか天然でして。テトがそこらを歩く人やペットに齧り付かないように制限はかけても、野を駆けて鳥を狩ることは『元気だなあ』で流しそうなんです」
ああ、鷹揚なご両親だからシェルさんの仕上がりはこんな感じなのか。
「喧嘩を売っているのなら買う」
「すみません。……でも割と自覚あるんじゃ?」
「…………。申し訳ない」
口調のブレは俺のアーカイブの作用らしい。落ち着くまで待っていると、ため息ひとつついて頭を下げた。
改めて話が繰り出される。
「テトの片親は竜を喰らう竜です」
え、共食い?
「竜にもサイズや形状の違いがあるのは想像がつきますよね」
「……まあはい」
以前、この人の娘さんに教えてもらった。
「テトは、竜の姿を取ると、小山を丸呑みするとされる巨体に変わります。その巨体を維持するには、莫大な量の食糧……あるいは質の高い魔法生物を喰らう必要があるんです」
「つまり、ほかの小型の竜を食べる超大型竜ってことですか」
「そうなります」
「なんで竜?」
小型とはいえ強い種が多いだろうに。
「竜以外の魔法生物ではスケールの差が大き過ぎるんです。ミニチュアで作った箱庭を本物のショベルカーでいじるなんて不可能でしょう?」
「……なんとなくわかりました」
俺の知る限り、妖精さんは魔力たっぷり含んでいそうな種族だ。でも彼らは人間サイズ。それを捕まえるなんて無理があるよな。
「それと、アーカイブも強力ではあっても大雑把。逃げ惑う豆粒のような人影をピンポイントで撃ち抜く真似もできません。撃ち抜けたとしても蒸発します」
「うーん……メガロドンみたいですね」
古代の巨大サメ。諸説あるが、体長が16〜20mくらいあったのではないかと言われている。滅んだ理由は環境の変化が起こって、主食のクジラがほかの海域に行ってしまったから……だそう。
「実際、テトの巨竜一族は似たようなことで滅んだそうです。主な獲物にしていた竜種が新たに良い環境を見つけて移住してしまい、巨体故に小回りの効かない巨竜たちは追いかけきれなかったのだとか」
「……ファンタジー世界でも自然淘汰とか絶滅とか起きるんすね」
「ファンタジーに生きる生命体は、何も霞を食べて生きている訳ではないのですよ」
世知辛い。
「巨人とか居ないんですか?」
「その頃には姿を消しておりました。……巨人が居たとしても巨竜が狩猟されるイメージしか浮かびませんが」
巨人族、そんなに強いのか。
女王様のスペードさんが強かったし仕方ない。
「さておき。テトは巨竜と、宝石の魔法竜のミックス。なので、要求される一日の栄養は本来の巨竜より抑えられています。……が、それでも量が多い」
彼はテーブルの上のカラフルなマフィンを指差して言う。
俺にくれたアーモンドマフィンとは明確に皿が分けられており、最初に、俺には『食べないように』と目線で伝えてくれていた。
「このマフィン、宝石を魔術的に練り込んで作ったもので、食欲が止まらないテトのために開発した緊急栄養食です」
「なんか売れそうですね」
魔法の力でパワーストーンが食べられるようになったとか宣伝文句をつければ……
「魔力を栄養として消費できる種族しか食べられません。人間は死にます」
「あ、はい」
そうだよな。普通の人間は宝石を消費できない。
「マフィンを朝からずっと食べてもお腹が空くようで……かといって、竜や俺のような魔法生物ばかりを食べさせるわけにも。人間でも食べ過ぎると胃が膨らんでいくように、いつしか際限なく要求するようになってしまいます」
「……」
「思いついたのがあなたのアーカイブです。テトに、料理を食べる楽しさを伝えられるのではと」
「わかりました。協力します」
断る理由もない。
「ただ、俺にも大学があります。授業の間はどうしたら?」
「数学科に連れてきてくれれば対応します。俺が不在でも、あなたのアーカイブに反応して鍵が開くように設定しておきましょう」
「うす」
「光熱費などはあなたの口座に一括で。また、食費については現金でお渡しします」
「明細作っておきますね」
「助かります」
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