感情分析
シェル先生は遠い目で言う。
「姉があなたに縄張りを設定している以上は全力で避けようと思っていましたが、佳奈子や光太のアーカイブのせいで姉と鉢合わせになりましたし、俺と姉を無意識で引き合わせた紫織に至っては俺の感情を察せずに『仲良しですね』と明るく言う始末。……なのでもうあなたを避ける意味がなくなりました」
「そ、それは……お疲れ様です……」
札幌組のそれぞれの性質による現象が彼に巻き起こっていたらしい。
疲れの表情を振り払い、私に深く頭を下げる。
「無礼を謝罪いたします。申し訳ありませんでした」
「あっ……いえ。お気になさらないでください」
佳奈子から、シェル先生が本気でお姉さんを苦手としていることはたびたび聞いていた。
「……佳奈子経由であれこれ暴露されている気がします」
「よく聞いてますよ。佳奈子、シェル先生のこと大好きですから」
「これだから性善説は」
「? いえ。佳奈子、ほんとに慕ってますよ」
「天然には挑むだけ無駄だと知っていますから、それ以上は結構です」
「??」
たまに彼は難しいことを言う。
「リーネアの影響が大き過ぎる……」
私がリーネア先生から影響されているのは間違いない。感情と人格を形成し直してくれた人だから。
「……とにかく。まあ、あなたが何か用や相談があるのならこれから聞きますし、授業やらで顔を合わせる機会もあるでしょう。その時はよろしくお願いしますね」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
頭を下げあったところで、私の椅子の横に小さな人影が現れる。
「お父さん、京と話せた?」
「……っ……かわっ」
可愛い!
シェル先生によく似た女の子は上品なデザインの冬用ワンピースを着ていて、そのまま私の膝上に乗った。もこもこふわふわで可愛い……!
「わたし、京と話すの久しぶり。嬉しい」
「は、はあ、はあ……!」
膝の上に『お嬢様』のイメージを凝縮して洗練させたような可愛い子が!
「……パヴィ、何も言わず膝に乗るのはやめなさい。京が錯乱しています」
「ほんとだ。ごめんなさい」
ぺこり。
「可愛い……」
「京?」
「……可愛いね」
白い肌には痣一つもない。
シェル先生がパヴィちゃんを私の膝から回収して、椅子に座らせる。その仕草には、父から娘への優しさがあった。
「…………。ごめんなさい……」
「泣いちゃった?」
「……収拾がつかないと思ったら、そういうことか」
二人が口々に言うことにも反応できない。
「ごめんなさい」
こんなつもりじゃなかった。
私はこんなに……いつから、嫉妬なんてするようになったんだろう。
「じっとしていなさい」
毛布を被せられ、抱き上げられて転移。本の森のさらに奥へと視界が移り変わる。空いたスペースにはソファと折り畳みベッドがあって、私はソファに押し込まれた。
「…………」
「ごめんね、京。泣かないで」
「パヴィちゃんのせいじゃ、ないよ。大丈夫……」
「……パヴィ、呼び出しておいて申し訳ありませんが、ひぞれのところに行ってもらえますか?」
「うん」
パヴィちゃんは私を撫でてから、気品のあるお辞儀をする。
「またね、京」
「…………」
パヴィちゃんは隙間を縫ってあっという間に森を抜けていった。
「どうぞ」
濡れ手ぬぐいは暖かくて涙が出る。
「目にあてると良いですよ」
「っぐ、ぅ」
「落ち着くまで待ちます」
まぶたを固く閉じ、手ぬぐいをあてた。
シェル先生は、しゃくり上げる私の背をずっとさすってくれている。
「……私は親に愛されてなかったと思います」
「聞き及んでいます」
「でも、昔の私……つい最近までの私は、周りを見る余裕なんてなかったんです」
「はい」
渡されたティッシュを受け取りお礼を言う。
「周りの人みんな羨ましいって、思うようになりました……」
入学式の間中、醜いことばかり考えていた。
「地元が関東かその近くの新入生だと、ご家族が入学式見に来てたり。……そうじゃなくても、きっとご家族が大学受験を応援して、入学を祝っているんだと思ったら、羨ましくて……友達みんなも羨ましくなりました」
お父さんと話せる仲の光太、優しいおばあちゃんに見守られる佳奈子、妹と仲の良い紫織。はたまた両親のいる家庭で育った他の友人たちも、みんな羨ましい。
「……大好きなリーネア先生にも嫉妬です」
人混みが苦手な彼は入学式に来ていない。それも少し寂しい。
「みんなに心配かけたのに、内実は嫉妬……とことんまで醜悪な……」
「嫉妬の何が悪い?」
「……?」
「自分にないものを他者の内に見て思うことは、初めは羨望。膨らんで濁れば嫉妬だ。心の動きとして当然だろう」
「……でも、嫉妬しても良いことなんて……」
「嫉妬でやつあたりや嫌がらせに及べば醜いが、心の内に留められるのなら全く問題はない」
彼は淡々とした声音はそのままに、静かな威厳のある口調で私に問いかける。何故だか、心が落ち着く。
「今日嫉妬してしまった対象全員、同じ目に遭えばいいと思うか?」
「っ、いいえ……」
そんなこと、誰にも起こってほしくない。
「だろう。やつあたりもしないし暴言も吐かない。ならば何も問題はない。感情を捻じ曲げる方がよほど厄介だ」
「…………」
感情も記憶も捻じ曲げたから、私はまともな精神が残っていなかった。
「それに、その嫉妬……お前の両親がお前のことをきちんと見て愛情を注いでいれば生まれることさえなかっただろう。なぜ自分のことばかり責める? 怒りは正しい方向に向けなさい」
「でも、私が嫉妬したの、は……事実なんです……」
「自分への愛着が生まれたからこその嫉妬だ。何も興味を持たなかった時よりお前は進んでいる。もっと自信を持てばいい」
こらえきれず、声を上げて泣き叫ぶ。
情緒不安定極まりない、これまでほぼ他人に近い知人だった女に、シェル先生はそばについていてくれた。
その優しさが嬉しくて、でも、彼にその優しさを注がれるお子さんたちや佳奈子にも嫉妬する。
何もかもぐちゃぐちゃだ。
それでも、さする手は温かくて心地良かった。
「……格闘技の試合、あるいはアクション映画。人がなんらかの形で攻撃し合う映像を見ると、人は自分の運動能力を棚に上げて『今のはこうしてたら勝てた』だとか言えるでしょう?」
ココアを私に手渡して、彼は静かに言う。
「あなたはそれを現実でしているというだけ。――自分に対しての圧倒的な無関心がそうさせている」
「……はい」
私は両親に頭を殴られても関心がなかった。こうすれば痛くないだとか、急所を避けるにはどうしたらいいかだとか、他人事のように考えてそれを実行していた。
「今はそこまでではないと思いますが、技能は残っているのでしょうね」
「……変ですよね」
「いいえ? お前の両親が腹立たしいから百回くらい殴りたいです」
「……………………」
ぽかんとする私の前で彼は意外な攻撃性を発露した。
そのまま、ぶれる口調で話し続ける。
「お前の両親、それぞれお前と似たような幼少期だったそうだがな。自分の受けた傷の深さと数で罪は帳消しにならない。その傷は傷つけてきた相手に主張すべきことだ。子どもに振るっていいはずがないだろう」
「…………」
「自分がそういう目に遭ってきたから同じ目に遭えと考えるほど生産性のないものはない」
「……っ……」
「なぜ泣く」
「私、お父さんとお母さんに死んじゃえって思ったことあるんです……」
汚い思考。
「障害物がなくなることを想像するのは自然な心の動きであって、あの極限の精神状態で実行していないことに尊敬すらしているのだが」
実行する寸前の心理状態でリーネア先生に保護された。……先生に会いたい。
シェル先生はため息をついて、本棚の裏にあった扉を開けた。
――夕焼け髪の少年が立っている。
「……先生?」
彼はすぐに私の元にやってきて、大きな息を吐く。
「ごめん……人混み苦手で、外から見てた」
「あなたのために監視カメラをハッキングして入学式を観覧していましたよ」
「暴露すんなよ。……ケイ、大丈夫か?」
収まったはずの涙がぶり返す。
「先生っ、先生……!」
「ごめんな。帰ろう」
「でもステラさんと、ユーフォちゃん……」
彼の妻子さんにご迷惑をかけてしまう。
「事情を話して、父さんと姉ちゃんのとこ預かってもらってる。明日から土日だろ? ゆっくり話せるさ」
「……っ」
シェル先生を振り返ると、彼は再び現れたパヴィちゃんを抱き上げていた。
「今日は帰って休みなさい、京。……また話しましょう」
「ましょう!」
「ありがとう、ございました……!!」
二人が笑って手を振った瞬間には、私は車の助手席。リーネア先生は運転席に座っていた。
「……先生の車ですか?」
「ああ。直に転移させてくれるとは言ったけど、まさか本当にやるとは……」
ため息。いつもの先生。
「……お前の傷は俺に推し量れないけどさ。将来のためにも今の自分のためにも、カウンセリングとか受けてみないか?」
「はい……」
「ん」
「……落ち着いたらステラさんたちと会いたいです」
「わかってるよ」
ギアチェンジ。ブレーキからアクセルへ。
体がゆっくりと加速感に包まれていく。
「帰るぞ」
「うん、先生」
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