5.3月下旬、裏2

悪夢

 僕には足があった。

 でもある日、ずっと足が痛くて――痛くなくなった。

「っ!!!!」

 目が覚めてすぐ、足を確認する。

 ない。

「っひぅ……」

 僕の足がない。膝から下がなくなっている。

 どうしよう。足がないと僕は歩けなくて怖い――

「うあ、ああぁ……!」

 足。足を作り直す。

 邪魔な皮膚を剥がしてやる。足。僕の足!

 再生してしまえばどうして足がないのなぜ歩けないのなぜ。再生。再生すべき不具合なぜ足がないの僕の足が――

「ひぞれ」

「……」

 名を呼ばれて抱きしめられて。言霊を受けたから、落ち着いた。

「ん、ぇう」

 ここは、僕とミズリの寝室。僕に足はない。ないのだ。

 失ってしまったから。

「怖くないよ。抱きしめてるから」

「……っうあ……」

 ああ、そうだ……義足を外して寝たんだった。

「大丈夫。……そばにいるよ」

「ミズリ……」

「足、つけてあげるね。じっとしていて」

「……」

 虚脱したような格好のまま、僕はミズリが桜色のキューブを出すのを見ている。

 キューブは僕の足に変わって僕の足になる。……足の代わりになる。

「ミズリ、ごめん……」

「俺はひぞれを支えたくて結婚したんだ。もっと甘えてよ」

「ふ、ふふふ……」

 夫は僕の髪や肌を大切にしたいからと、会社の設立すら成し遂げてしまった。

「……いつもありがとう」

「どういたしまして。大好きだよ、ひぞれ」

「ん……僕も、好き」

 今日の朝ご飯は、ミズリの好きなオムレツにしてあげよう。

 活動開始だ。



  ――*――

「…………。広い」

 俺こと森山光太は、東京の翰川かんかわ瑞理ミズリ緋叛ひぞれ夫妻の家に一時の居候中。

 北海道から来る前にも『マンションの9階だ』とは聞かされていたのだが、その言葉には『超高級な』という枕詞が見事に省略されていた。

 未だに把握しきれぬ総面積と部屋数。俺が暮らしていた家の洗面所より広いであろう湯舟(ジェット機能つき)。大人3人が同時に動いても狭さを感じさせないキッチンと七面鳥の丸焼きができるオーブン……

 下手なホテルに泊まるより豪華な生活をさせてもらってしまっているお礼に、家事を引き受けて働いている。

「光太、おはよう」

「はよっす、翰川先生」

 先生は海色の髪をゆったり束ねてパジャマ姿。可愛い。

「お米炊いときましたよ」

 頼まれていた3号分はそろそろ炊き上がる頃だ。

「なんだか当番のように頼んでしまって……ごめん」

「居候なんだからこれくらいやりますよ」

「ありがとう」

「ミズリさんはシャワーですか?」

「うん。美味しい朝ごはん作るから、待っててね」

 寝起きの先生はほんわかしていて可愛い。

「楽しみに待ってます」

 キッチンを譲り、リビング脇の和室に移動する。

 干してあった洗濯物をおろして畳む。

 粗方のものを畳み終えたタイミングで先生に呼ばれ、味見を頼まれた。

「……うん。いつも通り美味しいです」

 みそ汁もオムレツも見事な美味しさ。

「ん……あ、ありがとう……」

「こんなに上手なんだから自信持ってください」

「昔から、僕が何を作って食べさせてもミズリは『全部美味しいよ』って言ってくれるから……」

 照れ照れする先生が可愛くて砂糖吐けそう。

「光太が言ってくれるなら安心だ。キミは料理上手だからな」

「料理の慣れと舌が肥えてるかどうかは別問題っすよ」

 翰川家で出される食材は俺が作って食べてきたものとグレードが違う。

「んむう……」

「食器、出しときますね」

「頼む」

 頭が冴えて凛とした先生もまたかわゆし。

 翰川家の居候も明日が最終日だ。名残惜しい。

「良い匂いがする」

「! ミズリっ」

 先生がぱあっと美貌を輝かせて、ミズリさんに抱き着く。

「ひぞれ。今日も可愛いよ」

 ミズリさんは嬉しそうに受け止めて抱き返す。

 朝からお熱い二人だ。

 俺が来た日から今日まで全く変わらなかった翰川家のあたたかな日常に――しかし、少しの違和感。

(? なんだ、今の)

 翰川先生のファンを自負する俺としては、なんとなくでも気にかかる。

 今までのシーンを思い返してみると……

(……そっか。いつもより先生がちょっとだけ甘えん坊なんだ)

 納得。さすがの翰川先生も、しがみつくような長いハグは朝からしない。

「光太、朝ごはん食べよう?」

「あ、はい!」

 味は、言うまでもなく絶品だった。



「…………。今日のひぞれはおかしい」

「……」

 食べ終えて二人で食器を洗っていると、ミズリさんがいきなり言い放った。

 翰川先生はシャワータイムである。

「ミズリさんの翰川先生への第六感は恐ろしいものがありますもんね」

「愛の力だよ」

「さいですか。……愛の力の人、先生の食器を舐めようとしないでください」

「何円で黙っててくれる?」

「いや、お金の問題じゃなくて……えい」

 持っていたボトルから、洗剤をぴっとかける。

「ああああああなんてことするんだ光太あああ」

「そんなことよりもですね、翰川先生が変だってのはなんなんですか?」

「そんなこととは何だ! ひぞれの唾液を摂取するのは日課なのに!」

「翰川先生の異変をどうにかしようと考えることより大切な日課があるんですか」

「それもそうだね」

 奥さんが絡むとミズリさんは途端に暴走しやすくなり、同時に操縦しやすくなる。……普段は真面目で優しい人なのになあ。

「ひぞれのシャワーの平均時間は約30分。誤差は前後3分程度」

「気持ち悪っ」

「何か言ったかな?」

「いいえ特に何も」

 ミズリさんの愛はストーカー気質だ。

「つまり、残り時間は正味20分」

「タイマーかけましょうか」

「そうだね」

 本人の前で様子がおかしいと話し合うのは、お互い気分の良いものではない。

 ミズリさんが冷蔵庫にくっついたタイマーをセットする。

 翰川先生は完全記憶で頭に演算を積んだ人なので、このリンゴデザインのキッチンタイマーはミズリさん用で翰川先生からのプレゼント。

 聞かないでもわかるのは、彼が毎回、宝物のように大切そうに触れて操作するからだ。

「よし。……光太はどう思ってた?」

「いつもより甘えん坊で、ちょっと不安そうに見えました」

「俺も同感だ。起きた時も少し……いや、光太なら言ってしまえるか」

 幸いにも俺は、翰川先生を慕う生徒として、ミズリさんから一定の信頼を得ているらしい。

「足を失ったときの夢を見てしまって……泣きながら目覚めたんだ」

「え……」

 呼吸が止まるかと思った。 

「なんで、どうしてですか⁉ 先生の内側には、お母さんが居るのに……!」

 過保護なお母さんは、先生のことを内側から守っている。完全記憶の彼女が辛く苦しい思い出に潰れてしまわないように調整しているはずだ。

「……それを説明している時間はない」

 タイマーを指差す。

 残り16分。

「説明していたらこんな時間じゃ足りないんだ。……悪いが話を続けるよ」

「……っ、はい……」

 聞きたい気持ちを抑え込む。

「あの夢を見たひぞれは必ずメンタルと体調を崩す。……光太には悪いんだけど、出来れば今日はそばについていてやってほしい」

「もちろんです」

「隙を見て、事情も話すよ」

「無理しないでいいですよ。俺は何があろうと、先生とミズリさんのために動きますから」

「……。ありがとう」



  ――*――

「…………」

 僕は昔から、水温低めのシャワーを浴びると落ち着いた。

 ミズリからは心配されて止められるのだが、彼が見ていない時にはいつもこうしている。

 昔に暮らしていた研究所では、シャワーポットの中に入るだけだったから、これくらいの水温に慣れてしまっているのだ。

 太ももから膝へ指を滑らせると、保護バンドを外した継ぎ目で少し引っかかる。

「……んむー……」

 怖くて嫌な夢を見てしまったせいで。気分が最悪だ。光太とゲームで対戦しようと思っていたのに。

「…………」

 最後に温かめの湯船に浸かって、あがることにする。


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