第78話
私の前世の話をしてからは、特に何かあった訳でもなく穏やかな休日だった。
あの話を聞いてグラムは何か考え込んでいたようだが、私には関係ない――と言いたいが、どう考えても前世の世界の話だろう。
彼は、この国の王太子だ。王位継承権を持っている。
今後の国を担う大事な存在でもあり、私達にとっては大切な幼馴染でもある。
だからこそ、私を悪いようにはしない事は火を見るより明らかだ。
どんな話を振られても、彼を信じようじゃないかと言い聞かせた。
それにグラムの事はスティなら分かるだろう。
さり気なく聞いてみようかと、読書をしている可愛い幼馴染に声を掛けようと様子を伺うように顔を覗き込む。
「……どうかした?」
「え? ううん、何でもないよ」
「そう? 相談事なら遠慮なく言ってちょうだいね」
「うん、ありがとう」
ふわりと微笑むその表情が最近、大人びたと言うか、慈愛さが増したような気がする。
これが成長と言うものだろうか。
不思議な感覚に胸がとくんと脈打つ。
しかし、じっと見つめている場合ではないと声をかけた。
「ごめん……スティ、ちょっといい?」
「何かしら?」
両手で、膝に置きながら読んでいた本に栞を挟んで膝に置くと、こちらに向き直ってくれる。
彼女は本当に優しい。
身内思いで、それでいて思慮深い所もある。
精神年齢が、私より高いような気もしてくるくらいに大人びていて、素直に尊敬する。
「あのね、最近グラム何か言ってた?」
私の質問に、まさかグラムの名前が出るとは思わなかったようで、一緒大きな瞳が更に大きくなった。
瞳孔が少し大きくなるのが見える。
もしかして、何かまずい事を聞いただろうかとこちらも驚く。
「ぐ、グランツ様?」
「例えば、私の話とか」
探るような事をしたくはないが、率直に尋ねると、目を伏せて長い睫毛がその瞳を隠す。
そこには、安堵のようなものが含まれていて、彼と彼女の間で何かひとつ事件が起きたのかとすぐ分かったが彼女達の問題だろう、あえて触れなかった。
白磁器の肌は、微かに赤らんだような気がするが、不快を示すような素振りは無い。
ここは、屋上の庭園にあるいつもの東屋の中。
お昼休憩でクルエラ達は食堂へ行ってしまった為、私達だけで屋上に来ていた。
なんと、学園長に今更ながら無断で何度も出入りした屋上の話をする機会があったのだが、立入禁止の理由は、庭園に魔力を溜め込んでいるから、普通の生徒が紛れ込んでしまうとクロウディアが魔力の充電が出来ないらしい。
それゆえ、あまり人を近付けたくないというそれだけだったらしい。
その魔力がこの庭園の植物と関わりがあるようで、それ以上は教えてもらえなかったが、特別に今後の使用の許可がおりたのだ。
日頃の行いとも言える。
――と言うか、学園長って私の頼みごとの殆ど叶えてくれているような気がする。
魂を引っ張ってきた罪悪感からだろうか。
悪いようにはしない約束の為、今の所は公爵閣下として、学園長としてしっかり彼の庇護下にいた。
学園を不在にする時は、クロウディアから連絡が来るから寮へ戻って自習をするようになるがそれも慣れた。
「……特に話していなかったわよ」
そう言えば、スティにグラムの事を聞いていた事を思い出してその回答に納得は行かなかったものの、話せない内容なら私からはこれ以上聞き出せない。
引き際をきちんと見極めなければ、友情にヒビが入ってしまうだろう。
「――でも、貴女にとって良くない事では無いはずよ」
「……そっか、分かった。ありがとう」
幼馴染だからこそ、お互いの考えている事がよくわかる。
『心配しないで』と言っているように聞こえて、私はそれに素直に従った。
その日の放課後、私はグラムに呼び出されて生徒会室に入ると、スティとクリス様もそこには居た。
それぞれの表情は、極めて真面目で楽しい話ではない事は察した。
「今日は、シャルに頼みがあって呼んだ」
「頼み……?」
王太子ともあろう方が、辺境伯の娘ごときの私に一体何を頼むというのだろうかと、空いた席に座すると、「その前に……」と付けた。
「お前が嫌なら頼まないし、拒むなら今後この話を一切しない事を約束する。別に、幼馴染を傷付けたり不愉快にさせたい訳ではない。これは……俺の傲慢だ」
そこまで言われて、私は何の話がしたいのか概ね悟った。
前世に関して、私の知恵が欲しいのだろう。
先日も、彼は時代の発展について気にしていた。
王太子である彼は、この国の在り方を考えているのだろう。
ちらりとクリス様とスティの様子を伺うと、私の前世の知識を利用する事をあまりいい気はしていないようだ。
昼時に「良くないことではない」と言った事は、おそらくこれに該当するのだろう。
つまり、良くも悪くもないと言う事だ。
「私の前世の、何が知りたいのですか?」
「話が早いな。シャルの前世とこの世界違いと、個人的な見解でいいから話して欲しい。向こうにあったが、ここには無い物の話でもいい。何度も言うが、これは強制ではないから答えたくなければ拒否してくれ」
突然そう言われても、今まで生活していて、フリューゲルスの国の制度に関しては思う所が無いと言ってもいい。
むしろ何が不満なのだと言いたいほどだ。
そもそも、平民同然の普通の暮らしをしてきた前世から、貴族として生まれ変わった私は、どう考えても生活環境のランクが上がってしまっているのだ。
平民視点から考えると、恵まれた生活していて、今の平民の暮らしを知らないからああしろこうしろと言えない。
――むしろ、そういう話はジャスティン達が適任なのでは?
しかしこれでは参考にならないだろうと、顎に手を添えてうーんと体を左右に揺らしながら考える。
「んー、文化は置いといて、不便な事は多くあると思いますね。前世では既存の書類の複製機などがあったり、遠方の人間とすぐやり取りが出来る物も存在しました。これは科学の発展も関わるので私はそこまで詳しいわけでは……。あぁ、馬車はまぁ……別にあれはあれでも構いませんが、列車とかはこの世界にあるのですか?」
「蒸気機関車が最近開発されたな」
「なるほど、蒸気機関車を開発した人はまだご存命ですか?」
「あぁ、勿論だ」
――ジョージ・スチーブンソンみたいな人がこの世界ではまだ生きているのか。すごいなそれは。
少し感動を覚えつつ頷いてみせると、機械ものはそれに精通した人間にやらせたほうがいい。
そう判断してグラムに提案する。
「書類を、沢山インクを用いて複製出来る機械を開発できないか相談してみると良いと思います。何でも発展する原点は、物づくりが得意な方に任せてしまうのが良いと思いますので」
それ以外にも、こたつや電話など私が欲しいと思った前世の物をペラペラと思いつく限り話した。
次第に、蒸気機関車があるならなぜ車がないのか不思議に思いながらも、もしかすると数年後には昭和レベルの文明になっているかもしれないと思った。
そうして気付いたら、平成になってその先の時代に追いつくのも夢じゃないなと笑みをこぼす。
――あ、でもこの世界でスマホとかは嫌だなぁ……。夢がない。
「ねぇ、シャル。私も前世の事で聞きたい事があるの……怒らないで聞いてくれるかしら?」
「うん、いいよ」
「……貴女の――前世の名前はなんていうの?」
唐突の予想斜め上を突き抜けた質問に、数秒ほどの沈黙が流れたが、気を張っていた肩の力を抜いて笑ってしまう。
「あはは……、何聞かれるのかと思った」
「どうして!? 私は前世なんて分からないから、不思議な感じなの……」
「でも、教えてもそっちで呼ばないでね」
あの両親に付けられた名で呼ばれたくないから、先日も口に出さなかった。
でも聞きたいと言うなら教えてあげたい。
私は、メモ帳を用意してペンを走らせると懐かしい漢字を綴る。
「これは?」
「これで、彩香(あやか)って読むの」
「アヤカ……綺麗な名前ね」
「彩る香り、って書くの。この世界でも、探したらこういう字を用いてる国があるかもしれないよ。漢字って言うの」
「不思議な文字だ……」
漢字を見て感心するクリス様とグラムに、外国人を相手にしている気分になって笑いを堪えながらそのメモ帳を閉じた。
「私の、前世の名前は赤坂彩香(あかさかあやか)。ファミリーネームが赤坂ね。でも今は、フェリチタのお父様とお母様が付けてくれた、大切なシャルティエという名前……気に入ってるの。だから彩香は呼ばないで。これが彩香の魂だとしても、今はシャルティエだから……。それに両親に思い入れもないし」
困り顔で笑いかけると、皆は納得してくれた。
でもなぜか、胸の奥でざわざわとして、時折ズキズキと痛んだ。
それがなぜなのか。考える前に押し込んで隠す。
彼らは、私をシャルティエだけではなく、赤坂彩香としても受け入れてくれた。それだけで嬉しかった。
でも今は、シャルティエだ。
自分にそう言い聞かせるように、何度も頭に刻み込む。
「……グラム、前世の知恵でも私の視野は随分と狭いと思います。宛にならない事も多いですし、私の得た知識はこの世界で通用するかもわかりません。……ですが、国にとってどんな事が間違いかなんて、結局やってみなければ分かりません」
「シャル……?」
グラムは、何を言い出すんだと首を傾げる。
「可能な範囲であれば助言はします。ですが、これから国を支えてくのは異世界の私ではなく、貴方の側で将来は王妃として支えるエストアールです」
「っ!」
先程から殆どグラムに口出しをしなかったスティが、私の言葉に目を瞠った。
きっとどこかでそう言って欲しかったのだろう。
次第に、今にも泣きそうなクシャっとした表情に崩れて俯いてしまった。
「……スティ」
「そうです! 私を、もっと頼ってください……シャルのようになにか特別な事を知っているわけではありませんが……ですが――」
気遣わしげに名を呼ぶグラムに、目を赤くしたスティは勢い良く顔を上げて強気にそう答えた。
ちょっとやそっとでは崩れない、彼女の強みだ。
「――すまない。そうだな、これからは俺達がこの国を育てていくんだ」
「はい、王太子妃として、私もしっかり頑張りますから……」
「あぁ、頼む」
二人のお互いに見えていなかった溝が、ちゃんと埋まったような気がした。
それだけで私も安心出来る。
穏やかな空気になった所で、スティは突然立ち上がって荷物を持つと、「先に帰るわね」と簡単に言い残して出ていってしまった。
顔も少し青ざめていたような気がする。
体調が悪いのだろうかと、心配になって追い掛けようと立ち上がるが、グラムに腕を掴まれて阻止された。
「……俺が行く。シャルは、後からクリスに送ってもらえ、できるだけゆっくり帰って来い」
「は、はい……」
何か心当たりがあるのだろうか、切羽詰まったグラムが珍しくてきょとんとしたまま頷いた。
すると、すぐに手を離して足早にスティを追うように出て行った背中を見て「もしや……」と顎に手を添える。
「クリス様」
「ん?」
二人きりになった私達は、クリス様を見てこんな個人を探るような事を聞いて良いものか悩みつつも、馬鹿な私の口は先に出してしまっていた。
「スティってもしかして――今年度で卒業する予定とかありません?」
その問いかけの意図に気付いたのか、少し考えた後に首を傾げながら腕を組んだ。
彼も何も知らないようだ。
一緒に生活をしていても、彼女の体の状態なんて把握出来ない。
それにまだ十月なのだ、もしそうなのだとしたら卒業式まで在学は難しいだろう。
ここ最近の様子を思い出すと、思い当たる所はいくつかあるような気がする。
「――スティ、中退するかもしれませんね」
「そうだな。そうなったら、少し寂しくなりそうだ」
聡い二人の穏やかな予想は、数日後にそれが確定に至る事を知る。
2019/08/27 校正+加筆
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