第73話

 



「――彩香……お前は優秀な娘だ。幼稚園の友達なんかと仲良くせず、自分の能力を育てるために、習い事をきちんとこなしなさい」

「……はい。お父さん」


 父に肩をがっちりと掴まれ、洗脳するかのように毎日同じ言葉を告げられる幼い彩香は無表情で機械的に頷いた。

 赤坂彩香(あかさかあやか)は、幼い頃から厳しい父により英才教育を受け、多数の習い事をさせられていた。

 父は、努力の末に手に入れたエリート企業に勤める上層部の幹部だった。

 母は、そんな夫を尊敬していたが、娘へその完璧を求めるあまりに、話し合いを何度も続けたが改善の余地もなく見限り、父から娘の彩香を置いていく事を条件を出されて渋々了承し離婚した。

 父子家庭になっても、父は彩香にピアノやヴァイオリン、フルート、琴、華道、茶道を、そして社会に出た後のために家庭教師を呼んで英会話も学ばさせられた。

 生まれ持って凡人として生まれた彩香は、どれも人並みには出来たが、特別才能として開花する事はなかった。

 習い事のついでにと、体力作りのために通わされたバレエだけは、唯一向いていたのか、高校生の受験まで続ける事が出来た。

 しかし、父はそれを将来性が無いと言い捨てて受験シーズンに入ってすぐに辞めさせられたのだった。

 父は、ただ自分の娘が周りより多彩で優れた存在だと自慢がしたかっただけだったのだ。それなのに、向いていたバレエは辞めさせた。

 それが納得いかずに、勇気を振り絞って尋ねることにした。


「……お父さん」

「なんだ」

「どうして、バレエはダメなの……?」


 リビングで新聞を読む父に声をかけると、ぎろりと鋭く睨みつけてくる。

 びくりと体を震わせながら、理由だけは聞こうと逃げずに見つめ返すと、新聞をテーブルに置いてこちらに近寄ってきた。


「っ……お父さん?」

「……お前は、いつから俺に立てつけるほど偉くなったんだ!?」

「い、っだ……! ごめんなさいっ……! ゆるしてぇ!」


 父は怒鳴りながら前髪を引っ張り、彩香は恐怖で震えて謝罪の言葉を何度も繰り返した。

 そして、喉を鳴らしながら彩香の前髪を手放すとズルズルと座り込んだ。


「っく……うぅ……っ」

「理由が知りたいか……?」


 しゃがみこんで、視線を合わせながらにやりと笑う父の眼光は狂気に揺れていた。

 彩香は、ここで首を横に振れば殴られると察して小さく頷いた。


「それはな……――お前が楽しそうにしているからだよ」


 その瞬間、彩香は目を瞠り、そして光を失ったように力なく床にうずくまって泣いた。





 それからも、父の支配はエスカレートした。

 学校では、学年上位じゃないと父は激しく折檻をした。

 順位が落ちると頬を叩き、体中には服で見えない部分に痣を作った。

 そして髪を引っ張り、口ごたえをすれば唇を強く抓られ、泣いてもそれはやめない。

 ひどい虐待だった。


「この成績なら良い大学にも入れるだろう。偏差値の高い学校をお父さんが選んであげるからな」

「……はい」


 学力が上がれば褒められた。

 だが、それ以上に母が居なくなってからの彩香は、エスカレートしていく父の脅威に怯え耐え続けていた。

 そのため、友人もおらず、親類も関係を断たれていた。

 孤独な生活を続けていたある日、それが一変する日が訪れた。

 彩香が、深夜に勉強をしていると停電が起きた。

 電気を使いすぎた覚えはなかったが、ブレーカーを上げるために一階に降りると、電気が一切着いておらず真っ暗闇だった。

 父は居ないのだろうか、そんなことを考えているが何を言われるかわからないから遭遇はしたくない。

 物音のない一階を不審に思いながら、携帯電話で照らして電気を付けようとしたが、不意に人の気配を感じて振り返ると、その携帯電話の明かりが何かに反射した。


「……お父さん?」

「…………彩香なの?」


 キラリと反射で光って見えたのは包丁だった。

 問いかけの言葉に反応したのは、女性の声。

 聞き覚えのある懐かしい声に、心の何かが解けていくようなそんな気持ちに目頭が熱くなったが、すぐにブレーカーを上げると――その光景に絶句した。


「……な、に……おかあ……さ……これっ」

「こ、これは……。そう、貴女のためなのよ!」

「いやぁ、お父さん……! お父さんが!」


 床には、赤い絨毯ではなく血だった。

 そこに横たわる父。

 その側には、赤く染まる昔出ていってしまったはずの母の姿だった。

 数年越しに見たその姿はほとんど変わっておらず、どこかスッキリしたような表情をしている。

 はげし父を殺めてしまったからだろうか。


「お母さん、なんで……!」

「こうしないと、貴女が自由になれないから……!」

「そんな……」


 ――これは、私のせいなの……?


 母の言い分に、キャパオーバーだった彩香は急に頭が痛くなる。

 もうすでに絶命した父を無言で見下ろしていたが、手に持っていた携帯電話を使って震える指を動かして決まった数字を押した。

 それからの母は、駆けつけた警察に連れて行かれ、彩香も事情聴取を受けた。

 その後は、身寄りが無く孤児が集められた施設へ入った。

 施設でしばらく生活をしていたが、すぐに自立するまでを条件に引き取り手が見つかり、義理の養父母に面倒を見てもらいながら、無事大学卒業する事が出来た。

 数年後無事に就職し、厳しい職場環境ではありながらも、親の干渉なく好きな事をやりながら働く日々はあまりにも平和だった。

 好きとかそんな感情はなかったが、告白されて恋人だって出来たことがあった。

 長く続くことなく別れたが、それなりに人生経験としては悪くはなかった。

 しかし、アニメやゲームで楽しい日々を過ごしていた彩香は不運な事に車に轢かれて若い人生に幕を下ろした。

 そんな赤坂彩香の、人生の次に待っていたのは、自分が不服に感じたゲームを基盤とした世界だった……。





 ――ふと、突然意識が浮上する。

 気を失っていたようで、目を覚ますと不思議と苦しかった呼吸は落ち着いていて、重たい瞼を開くと視界に入ったのは、必死にこちらに声をかけるクリス様とスティ、そしてその後ろで心配げに見守るグラムと今にも泣きそうなクルエラとジャスティンだった。


「……くり、す……さま……。みんなも……」

「シャル……!」

「……しゃる……?」


 ぼんやりとした意識の中、前世の記憶が鮮明に蘇ったせいで今世の名を呼ばれても一瞬だけしっくり来なかった。

 頭が働いていない私の手足に縛られた紐を切ると、やっと開放的になれた体は力なく脱力した。

 ようやく体が自由になり、少しずつ頭の中で落ち着きを取り戻していく。


「……大丈夫か?」

「……はい、ありがとうございます」

「ずっと探し回っていたんだ……」

「すみません……、何故か分からないんですけど……気付いたらここに居て」


 先程までの事を、ぽつりぽつりと説明していると、クリス様は私の膝裏と背中に手を差し込んで横抱きにする。

 落ちないように肩に弱々しく手をおいてしがみつくと、その状態でぎゅっと抱き締められた。


「本当に無事で良かった……。怖かっただろう」

「……っ、はい……。とても……、怖かったです」


 それは前世の記憶の事がなのか、または暗闇に一人でいた孤独からなのかは分からないが、自然と安堵の涙がこぼれた。

 ただ一つ言える事は、今の私の人生が一番幸せで、恵まれているのだと言うことだった。



2019/08/26 校正+加筆

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