第44話

 


「スティ、グラムもようこそ、ベルンリア領へ」

「少しぶりね。シャル」


 ダティ家が帰ってから一週間が経過して、スティとグラム、そして王太子だから念の為と最小限の護衛の騎士達を連れて我が家に訪れた。

 どうやら、グラムが無理やり予定をねじ込んだようで、騎士達が口々に「殿下の我儘なんて珍しい……」なんて言うから、ちらりとグラムを見ると顔を逸らされてしまった。

 つまり、スティのために頑張ったんだなぁと微笑ましげに見た後、視察も兼ねて来てくれたようで、王太子の勤めも果たせるよう父が案内をする事になり、それに同行した。

 最初に、広大な敷地を利用した乗馬体験の事業を始めたという事で、先週クルエラと訪れた乗馬クラブにて乗馬をする事になったのだが、スティはドレスの為、グラムの前に横座りになって乗った。

 そんな光景を微笑ましげに眺めながら、お父様がグラムにここ最近の売上の伸び具合や、この事業にかけた資産の話をしたり報告をした。

 こういう時だけ王太子なんだよなこの人……と思う。

 かくいう私は、芝生の腕にハンカチを広げてその上に腰を下ろして座っていると、スティと目が合い手を振ってきたから振り返す。

 こちらに戻ってきて二週間が経過したが、学園でもよく顔を合わせていたクルエラやスティ達を見ていると全然寂しくならない。

 屋敷の皆も明るくなった私と接しやすくなったからと、部屋に来ては私がいない間の屋敷の話や世間話をしてくれるようになった。


「ふふっ、お父様が私の手紙みて椅子から転げ落ちたって話は傑作だったなぁ……」


 学園で立て続けに起きた事件を思い返すと、よくまあストレスで胃に穴が開かなかったとホッとしていると、後ろから手が伸びて来て両肩にぽんと置かれて、驚きのあまりに「ひぃっ!」と声を上げてしまう。


「こんな所に座って、服が汚れるぞ」

「……え……え!? えぇ!? なんで!?」

「はは、驚いた?」


 後ろを振り返ると、いないはずのクリス様がそこに居た。


「え、待って下さいクリス様。お仕事で来れないって……ってわぁ!」

「ほら、こっちにおいで。服が汚れる」


 これは夢だろうかと目を疑っていると、隣にストンと並ぶようにあぐらで座り、私を軽々と抱き上げて膝に座らせると、広げていたハンカチを回収して折りたたみ渡してきた。

 この歳で、しかも人前で膝の上に座らされて恥ずかしいのに、一体何を考えているんだと立ち上がろうとすると、腹に手を回されて立ち上がる事を阻止された。


「えぇ、あのっクリス様、服が汚れるなら立ちますので!」

「嫌」

「えぇー……」


 いや、言うと思いましたとも。拒否するって分かってましたとも。

 経験者は語るですよ。

 しっかり腹に腕を回されて固定され、身動きが取れなくなったところで観念した。

 どうやら、先程スティが手を振っていたのは彼にだったのだろう。

 少し恥ずかしくなって来た。


「フェリチタ卿には、事前に手紙を出しておいたんだよ。シャルには内緒でね」

「驚かせたかったわけですね……」


 ふぅっと力を抜いて見たが重くはないのだろうかと遠慮気味に座ると、また更に引き寄せられて私の背中とクリス様の体が完全に密着して身を預ける状態になる。


 ――暑苦しい……!


 お父様に見られたらと視線を向けるが、一生懸命に王太子であるグラムにここでの話をしていてこちらを見る様子はない。

 いや、なくていい、見ないで欲しいこんな娘の姿。

 その光景を楽しそうに、馬の上から手を振るスティは今日も可愛かった。

 少しバランス崩して、それを咄嗟に手を回してしっかりと支えるグラム。

 それに対して広い胸に体を預ける二人を見て仲が良いなあとほっこりしているが、自分のこの状態も似たようなものじゃないかと我に返る。


「お仕事は大丈夫なのですか?」

「大方片付いたから、強引に付いて来たんだ。まあ、少し遅れてきたんだけど」

「なるほど。……でも、クリス様も来てくれて嬉しいです」


 がっちりホールドされた状態で、手も出せない私はまるで動き回る子供を親に捕獲された状態の格好で、乗馬する未来の王太子夫妻の二人を見て和んだ――と言うか現実逃避をした。




 ひとしきり乗馬を楽しんだあとは、アジャスタ湖へと馬車で移動すると、露天がまだ出ていたようで皆で回る事にした。

 グラムも、流石にこの人ごみに騎士をぞろぞろ連れ歩くわけにも行かず、護衛は二人だけに絞り、他の人達は自由行動にさせた。

 桃色の不思議な色をしたアジャスタ湖を囲うように並ぶ露天は、どれも珍しいものばかりで、こういう所にあまり来れないスティやグラムは物珍しそうに回っていた。

 私は、未だにクリス様の過保護の手の中で、馬車から降りる時にエスコートをしてくれたのだがそれ以降からずっと手を繋いだままになっている。


「これは、恥ずかしい……」

「あら、良いじゃない。微笑ましくて」

「何をおっしゃっているのやら」

「シャルは、僕と手を繋ぐの嫌か?」


 また、あの捨てられそうな子犬のような眼差しで見てくる。

 この表情に負ける私を知ってしまってから、私がスキンシップに関して何か言おうとするとこれをされるから困る。

 両想いなのは確かなのだが、今日はお父様も居るのだ。時と場所を考えて欲しい。

 先程膝の上に座らされているのも結局見られてしまい、目尻を垂れ下げながら嬉しそうに笑って頷く姿は完全に娘の嫁入りを察した顔だった。

 いたたまれなさ過ぎて、クリス様に「スキンシップ禁止!」と行ったが、馬車から降りたらこのざまである。

 しっかりと繋がれた手は、こんな暑い夏の炎天下だというのに、彼の手のぬくもりで明らかに汗ばんでいる。表情はもはや虚無に近い。真顔だ、真顔。

 うら若き乙女が、手汗なんて最悪過ぎる。

 しかも、好きな人の手に自分の汗が付いている事が最悪だ。


「クリス様、暑いんですけど」

「はぐれたら大変だからこのままで」

「えぇー……」


 さらにぎゅっと手を握られてしまい更に暑い。


「僕も手汗がすごいから大丈夫」

「じゃあ、混ざって分からないですね」

「はは、そうだな」


 ――いや、笑い事じゃないんですけど。


 さり気なく口から出た発言を、後になって変な意味に捉えた私だけがとても恥ずかしくなった。

 クリス様と手を繋いでお互いの汗が混じるなんて、そんな官能的な表現をしてしまい顔が熱くなるが、どうにか暑いせいだと言う事にした。



2019/08/20 校正+加筆

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