第37話
とうとう週末が明け、試験初日になってしまった。
「結局勉強してない……。ただ範囲を把握して、ちょっとかじったくらいになってしまった……どうしよう。もう無理かもしれない……」
「きっと大丈夫よ。試験範囲ならシャルも授業に出ていたのだから」
「そうかなぁ……」
今週いっぱいは、多数(あまた)の教科や学科の試験が待ち構えている。
その中でも、音楽は最悪だ。
実技になると楽器ならともかく、歌は駄目だ。
私の知る限りシャルティエは音痴設定になっている。
ゲームでも取り巻きがエストアールの周りでミュージカル風にふざけてやり取りするシーンがあり、その時シャルティエの歌だけは最低にして最悪に酷かった。
――この世界に転生して一度も歌った事ないけど、本当に大丈夫かな……。
音楽の授業も受けたが、実は音痴設定の事を気にして全て口パクで受けていたのだ。
もし声優のせいなら今は私だから問題なはずなのだが、実際どんなものか分からない。
試しに歌おうものなら、もし音痴だったら地獄だろう。
人前で歌う勇気が出ないし、そんな度胸もない。だから口パクなのだ。
前世の私であればカラオケで、平均より上の高得点を取るほどには普通に歌える。
前世の方の自分のセンスに期待しよう。
テストは流石に口パクはできないから、ここで恥をかいたらそこで終わりだということだ。他のテストでカバーしなければ。
もし上手く歌えたら私は確実に知性と技術を手に入れてしまう事になって、ちょっとした完璧人間になってしまうのだが、性に合わないなとふと思って笑いが出る。
あ……今の嘘、体育は最悪なんだった。
体力系統は、もはや底辺だったことを思い出した。
「ふふ……」
「あら? さっきの不安はどこへやら?」
私を見るスティは試験に挑むにはなかなか余裕そうだ。
昨日見せてもらったノートは、確かに完璧だった。
上位のマルシェがいきなり高得点を取らない限りは、私も何とかなるだろうかと緊張でもやもやとする気持ちを抱えて挑んだ。
そんなこんなで始まった試験が、取り留めもなく始まり、そして私の不安をよそに怒涛に進んでそしてあっけなく終わりを告げた。
「おわ……っ……た……」
「お疲れ様」
「埋められるだけ埋めた……」
生徒会室の机に額を付けて項垂れる私に、左からクルエラ、右からスティ、正面からクリス様、そして背後からグラムが私の肩や背中、そして頭を撫でて労ってくれた。
皆からの優しさが身にしみて、目尻から涙が浮かぶ。
それを見せたくなくて机に突っ伏して顔を隠すと、わしゃわしゃと背後から頭を撫でられて髪がグシャグシャになるのを感じる。こういうのも悪くない。
――頭起こしたらすぐ髪を直そう……。
今日は私の不安を除くために、グラムが生徒会室で試験の答え合わせをしようという提案をくれて、一通りの問題用紙と自分の答案用紙の複製を用意して全ての教科の答え合わせをした。
彼から言われなくても自分一人でやろうとは思っていたが、皆で出来るならその方がいい。
皆のおかげで小一時間程で終わり、外した答えは幸いにも少し程度だった。
不安だった唯一の音楽は、やはりシャルティエの声優のセンスが問題だったようで、普通に歌えた。
むしろ、スティの方が遥かに上手くて自分が上手い下手とか気にした私が馬鹿だった。
ここの女の子達はスペックが高すぎる……。
「これなら二位はいけそうね」
「えっ、スティどうだったの?」
「私は全部正解だったわ」
――そんなんある……?
流石は、王妃教育をテスト勉強そっちのけで受けているだけの事はある完璧美少女令嬢だと納得せざるを得ない。
私の記憶力も暗記力あるとしても一時的なものだ、彼女はそれを上回るから周りも一目置いている。私も憧れる存在だ。
もしかすると、クリス様と結婚したら彼女は義理の姉妹になるのかと考えると少しニヤニヤしてしまう。
顔を突っ伏してて良かったと思う、今すごくだらしない顔をしている。
「シャル、また体調が悪くなったのか? 心配だからすぐ帰ろう」
「え!? く、クリス様!?」
ここ最近で一番何が変わったかと言うと、クリス様の過保護が悪化した。
再会してから、度々こうやって心配したり気にかけてくれていたのだが、最近はとにかくひどい。
この試験期間中は、放課後になると決まって教室に入るなり私を抱き上げて人気のない屋上に連行されるのだ。
それはもう、周りからは最悪の目立ち方だ。
親衛隊からの、槍のように鋭く冷ややかな眼差しに貫かれて死ぬ日も近いかも知れない。
――もしかして年貢の納め時……? 違うか。
立入禁止だと言われている所に、白昼堂々と入っていくのを誰も咎めないのが不思議な程だ。
連行されても屋上の庭園で話をする程度だが、軽いスキンシップは明らかに私の勉強を邪魔していたし、それを無視して勉強していると捨てられた子犬のようにしゅんとして見ていられなくなり、教材を閉じると嬉しそうに笑う顔がたまらなく好きで、つい面白がってまたわざと教材を開いてしまう。
しかし、それも数日で彼のスキンシップには慣れてしまい、抱きつかれる程度であれば無表情で過ごせるようになった。まるで虚無の顔である。
――全ての始まりは、私が午前のテストが終わって短縮になるから、屋上にお弁当持ってきて自習すると言ったからなんだけど……。
まさか、こんな事になるとは思わなくて言わなきゃ良かったと思う。
彼なりに体を気遣って休ませようとしている事は分かるのだが、先日両思いを確認してから積極性が高まり過ぎて、これでは告白を後回しにさせた意味がない。
それが連日続き、私を独り占めしているクリス様からそれを阻止するべく、いつものメンバーが私の周りを固めているという事だ。
今日は、試験最終日の金曜日。
土日を挟んで、月曜日には順位が貼り出されて正式に採点された答案用紙と成績表を渡される。
先生この休みの間、ずっと採点するのかと思うと可哀想に思えるがこれも仕事なのだろう。
学園長には先生方にもっとホワイトな待遇をしてあげて欲しいとクルエラ伝いに言ってもらおう。
名前も忘れてしまった相手の順位を気にするより、上位を維持すれば勝ったも同然だ。
あとは神頼み。
そもそもこの世界に神がいるのか分からないが……。
――そもそも転生させたという事は神様的なものが存在する……のか、な?
二次元に転生なんて、それのキッカケになる人物が居るはずだからそのうち現れるだろうと楽観視した。
そして、試験も終えたことだし、私達の部屋で厨房の料理長にお願いしてお昼ご飯兼ねて打ち上げをしようと女子だけで話をしていた――のだが、未だに私を囲っている皆と睨み合いを続けるクリス様を見上げた。
「今日は、皆と過ごしたいんですけど……」
「……そうか、分かった……」
――ほら、またしゅんとしてしまった……。
これももしかしたら作戦なのかもしれない、と思うようにしてクリス様の過保護を少しずつでも解消させていかねばならない。
私がこの一連の事件で酷い目に遭い続けているから心配しての事だろうとは重々承知しているのだが、私の周りにこんなに心強い味方がいるのだからクリス様だけに守られる必要もないし、私だって自分の力でどうにか出来るはずだ。
――それに、まだ順位も出ていないのに、親衛隊から悪印象になるような事はやめて欲しい。切実に。だって目が怖いし……。
上司の怒りを買った時以上の怖さなのだ。
女子は、それを上回るから陰湿で困る。
「そう言えば、シャルは実家に戻るって聞いたんだけど……ベルンリア領ってどんな所なの?」
「確か、すごい田舎だったはずだよ。辺境だし、でも広いし緑が多くて空気も美味しいし、あと乗馬が楽しめて、少し行くとアジャスタ湖って言うピンク色の湖があってね、それを飲むとどんな不調な体も癒やされるって言われているの」
覚えている範囲の自分の地元の話を伝えると、クルエラは目を輝かせながら私の手を握ってブンブンと上下に振る。
興味津々といった感じで、私の話を楽しそうに聞いてくれた。
――思い出せなくて、必死になって調べたなんて言えないな……。
両親にいきなり『記憶がなくなったので教えてください』なんて手紙を送ったら確実に病院送りにされるだろう。
学園生活も送れなくなるし、それは困る。
しかし、今度の夏期休暇で説明しないといけなくなるから上手く話せる自信はないが、近いうちにスティに相談しよう。
……話は戻るが、クルエラは男爵家とはいえ、もともとそこまで裕福な家庭では無かったらしく、旅行をした事がないらしい。
最近父親の事業が上手く行き、学園に通えるようになったらしいから、辺境の地はおろか王都から離れた事もないそうだ。
「へぇ、じゃあ観光客とか沢山来そうだけどどうなの?」
「お父様が乗馬関連で収益を得るようになって、アジャスタ湖の水を使って商売も始めたから、結構認知度も上がってる見たい。最後に帰ったのは、去年の夏季休暇だからどうなってるかまでは……」
私が転生する前までのシャルティエに関しては、スティに暇があれば聞くようにしていて、それで思い出せたらなと思っていたが、イマイチな効果で他人の行動を把握した気分になっている。
シャルティエは乗り物酔いも酷いらしく、実家までは片道二日弱ほどかかるため、年に一度しか帰らないらしい。三半規管も弱いようだ。
運動神経がアレだからなぁ……。
しかも、年末年始は読書して過ごすとか……絶対暇だったでしょ。
今回の夏季休暇は、しばらく向こうで過ごす事になると思うから皆に会えないのは少し寂しく感じた。
「ねぇ、私も乗馬とかやってみたいんだけど、この夏季休暇の間にシャルの方に遊びに行ってもいい?」
「……え? 少し遠いけど、いいの?」
クルエラの申し出に、つい舞い上がりそうになるのを抑えて、首を傾げて尋ねると、首を縦に何度も振った。
「え、ずるいわ。私も、久し振りにシャルの家に行きたいわ」
「でも、スティは王妃の準備とかで忙しいんじゃ……」
「そんなの知らないわ」
「えっ」
『私が決めたらそうなの』と言わんばかりの言い方は、悪役令嬢の片鱗を感じた。
そういう強引な部分は、兄と全く同じで吹き出しそうになる。
スティの一言で、グラムも流石に狼狽した。
すぐに「冗談よ、半分は」と言う婚約者に、頭を抱えるグラムを見て仲いいなぁと微笑ましげにこの国の将来は安泰だと安心した。夫婦円満だ。
「お父様にお願いして、ベルンリア領に行けるかお願いしてみる! もし大丈夫そうだったら手紙を送るから」
「嬉しい! クルエラが遊びに来てくれるなら、ぜひうちに泊まっていってね。部屋ならたくさんあると思うから」
女子だけで夏季休暇の予定に盛り上がる中、グラムはスティと予定を合わせて一緒に行こうと計画をしているようだ。
そこですっかり忘れていた目の前のクリス様に視線を移すと、私の顔をじっと見つめて何か考えているようだ。
目を合わせて「どうしました?」と尋ねると、「僕も行きたい。でも仕事が……」とだけ言って拗ねてしまった。
普通の十八歳なら、間違いなくもう少し遊びたいだろう。年齢的な意味で。
しかし、伯爵というのは大変そうだ。
心の底から同情した。
2019/08/18 校正+加筆
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