第22話
マーニーをこちら側へつかせてから一週間、スティやクルエラと話し合ってひとまず様子を見るという事になった。
ホースに関してもしばらく女子生徒と関わる事を禁止し、その間に、私やクルエラ、そしてスティにも話をかける事を禁止された。
だからと言って、流石になにか重要な話がある場合にのみだけ免除となった。
私は話すような事は無いと思っているし、私に話す時はクリス様やグランツを介してと言っておいた。
それを言っただけで、クリス様は随分とご機嫌だったが、見なかった事にする。やはり、私を頼りにされて嬉しいのだろうか。
――私に本当に好意があるからこういう大した事ない事でも浮かれてくれるんだ。ちょっと……嬉しいな。
あれからマーニーの抑止が上手く発動しているのか、親衛隊から何か嫌がらせをされる様子もなく、二ヶ月先の学園祭に関しての準備も恙無(つつがな)く整い、あとは各クラスや部活動の出し物の申請を受付している間はやる事が少なかった。
――勉強はやってるけど、成績が落ちるほど遅れているわけでもないしね……。
この世界は日本の作品の為、一年が十二ヶ月で形成され、三月から五月までは春、六月から九月までは夏、十月から十一月が秋、十二月から二月までは冬となっている。
現在は七月上旬で、もうじき一学期最後の試験があり、それが終わると夏期休暇が待っている。
夏期休暇が終われば、学園祭の準備も本格化して一気にそのまま駆け抜けて多忙になるだろう。
今はそれらの嵐の前の静けさと言った所だろうか。
しかし、クルエラが仕切る役員達が思った以上によく働くお陰で、確認事項以外はとても暇になってしまい、不在になるわけにも行かない為、拠点である生徒会室で待機している間は生徒会の溜められた仕事をそれとなく手伝うと随分重宝された。
――暇で手伝ったけど、なんだかこき使われ始めているような気がしないこともない。
もちろん外部には漏れないようにしている。
スティのように親衛隊からの嫌がらせを受けたりしないように、そのあたりはちゃんとしている。
とくに私は、今回の手伝いでやんわり思い出した事だが、前世がブラック会社の経理で必要以上に計算をやり続けていたおかげもあってか暗算も得意で、電子系に頼る事なく書類の準備を手伝えばとても感謝された。
――でも電卓あればもっと早く終わる作業なんだよね……。
入社前に検定を受けさせられて、そのおかげで経理に配属されたのだが悪い仕事ではなかったと思う。帰りが遅くなって老害プリウスロケットミサイルの被害に遭うとは思わなかったが、今となってもそれも良いと受け取っているつもりだ。
「お前が、こんなに計算が得意だったとは知らなかったな」
「そうですか? これくらいならまだ平気ですよ」
「いや、それ以上に計算するとなると王宮の精算部に連れて行かないとやる事がないと思うが……」
そんな職業があるのか、なんてのんきに考えていると、スティが立ち上がって帰り支度をしている。
もうそんな時間かと時計を見たが、彼女がまだここに来て数分しか経過しておらず、不審に思って声を掛けようとした。
しかし、彼女は私とグランツの顔を見るなりウインクをして出て行ってしまった。
婚約者に親友が少し褒められた事が気に入らなくて、ヤキモチを妬いて出て行ったわけではなさそうだとホッとしていると、生徒会室には私とグランツだけしかいない。
これは一体どう言う事だとちらりと横目に、一歩分の距離の向こうで彼を見ると、少し気まずそうにしている。
「……し、シャル…………ティエ」
「……はい?」
上ずった声に呼ばれて、座ったまま体ごとくるりと歯切れ悪く私を呼ぶ方へ向くと、やはり何か迷いのある視線になんだなんだと黙って聞く体制になる。
もうこの生徒会室に入って来るなとか、スティともっと二人きりになりたいからもう少し気を遣って別の部屋へ行けとかそんなお達しが来るのかと予想したが、だとしたらここを拠点に選んだ彼が悪いわけだから、これではないなと冷静に考えた。
そう言えば彼と改めて二人で話したのはスティが濡れ衣着せられて、その情報収集期間に突然呼び止められて腕を掴まれた時だっただろうか。
――そう言えば、あの時めちゃくちゃ痛かったな。
もうすっかり治った腕に視線を落として手を添えてから、まだ未だに話す勇気が出ないのかグランツの方へと戻すととても傷ついた顔になる。
「あの――」
「――すまなかった」
「いえ、もう治っているので大丈夫ですよ」
「いや、スティに改めてちゃんと話せと言われたんだ」
なるほど、この状況はそれのせいかと納得する。
クリス様は、現在伯爵家からの報告の返事を書く為に寮へ戻ってしまったらしく、クルエラも学園長にここぞとばかりに会いに行ってアプローチを健気に頑張っているようだ――ほとんど私の采配だが。
「とりあえず座りましょう。あとお茶を淹れます」
「あ、あぁ……。そうだな、頼む」
私が立ち上がり、グランツは私と向かい合えるように向こうの席に回り込んで椅子に腰を下ろしたのを確認してティーセットを用意し、お湯を沸かしてお茶の用意を済ませると改めて席に着いた。
茶葉を蒸らしている間に、お父様に先日用意して貰った新しい鞄から円形包みの袋を取り出して目の前で開いて見せる。
すると、中には色んな種類のクッキーが入っていて、それに掌を見せて「お茶請けにどうぞ」と勧めた。彼は甘い物が好きだ。
厳密には、甘い物が好きなスティと合わせて食べていると自然と好きになった……が正しいのだが。
先日のマフィンが全て消えたのもそれが理由だ。
まだ根に持つ。食べ物の恨みは恐ろしい。
「……ありがとう」
「どういたしまして。クルエラが作った物だから味は保証付きですよ」
「……昔はスティとクッキーを作ったりもしたな」
グランツの言葉でじわじわと記憶が一部蘇ってきた気がした。
「私の屋敷で厨房を独占して、料理長にハラハラさせて大変でしたね。あの時、料理すらやった事ないグランツ様が包丁を変な持ち方をして私に怒られたんですよね」
「懐かしいな……、またベルンリア領の草原で横になりたい」
「あはは、グランツ様はもう今の立場じゃなかなか来れないでしょうね」
ベルンリア領、それは私の父が治める国境付近の辺境地で、殆ど田舎だが草木の溢れた自然溢れる敷地だ。
広大な大地と広がる草花を馬で駆け回る事が出来ると評判で、それを商売にした父の懐は随分温かくなっていると手紙に書かれていた。
記憶の中の曖昧なものだが、母が金銭には厳しい人で、浪費は御法度。
きっと私の鞄があんな姿になった事を知ったら顔を真っ赤にして起こるかも知れない。
話が少し逸れたが、グランツはそんな思い出話がしたくてわざわざこんな場を設けて貰ったのだろうかと考えながら紅茶を飲む。
――そう言えば、こういう思い出の話は話せば思い出せるんだよなぁ……。
「腕の件は、本当にすまなかったと思っている。あの後、スティに話したらかなり怒られた。『シャルの腕に痣が残ったら離縁する』とも言われた……」
私が黙っていたのに自ら話してしまうとは想定外だった。
「スティ怖い事言いますね……。本当に大丈夫なのでお気になさらず」
クッキーをひとつ取り、口に運ぶ前に彼の口から「ただ……」と続けた為、その手が止まる。
「まさかお前が、断罪の時に予定外な行動をして掻き乱した後、あんなに高圧的な態度で喧嘩を売られて、正直裏切ったのかと思ったんだ……」
「そういう事だったんですね……。それなら謝るべきなのは私です。本当に申し訳ございませんでした。……裏切るなんて、私があそこで裏切ってもきっと最初の春に戻されていたと思います」
「いや、事情が事情だったしな。それで、スティに言われた。仲直りをして『昔みたいに愛称で呼び合うまでに仲が回復するまでは部屋に来るな』と言われた。お前が裏切っていないと言うのもスティから聞いて分かっていたが……」
いろいろ言い訳を述べてくれているが、そんな事より〝シャル〟で途切れたのは愛称で呼ぼうとして一旦心が折れたせいなのかと把握した。
だとしたら、少し距離を置いてしまっている私も同罪だ。
そう分かった上でもなんだか今更〝グラム〟と呼ぶのは気恥ずかしくなった。
お互い微妙な空気が流れる。
しかし、痺れを切らして私が嘆息すると、グランツもそれに対してちらりと視線をこちらに向けられる。
「……私、小さい頃にクリス様と二人で話した記憶を思い出せないんです」
「記憶?」
「……あの断罪の時の為に、スティやグランツ様達と決めたその事の記憶もまるごと無くなっているんです。おかしくないですか?」
「それはお前が前世……? の記憶が蘇ったのが原因ではないのか?」
その問い掛けにはっきりと頷くが、「じゃあなぜその話を」と聞いてくる。
それに対して、淑女らしからぬ態度だが、机に肘を付いて額に手の甲を当てた。
「……まだ私は、沢山忘れている事があると思うんです。……そのうち、私はシャルティエじゃない。別人だと。……お前は何者で誰なんだと言われるのが怖いんです」
「……その話は、前にスティとしていただろう」
「そうなんですけど、シャルティエとして今まで行動していたのは……全く違う、私じゃない。そんな気がするんです」
私は自分の奥底に置いていた悩みを、まさかのこのタイミングでグランツに打ち明けていた。
優しい彼らは、みんな私を受け入れてくれている。
しかし、クリス様は昔から私の事を好いているようだった。
それで私の過去の記憶を思い出したいと話した時、「思い出す必要はない」と言った。
理由はわからないけど。でも私は思い出したい。
クリス様と何があったのか知りたい。
――どんなに酷い思い出だったとしても……。
今までのシャルティエに比べると、人が変わったようだとクルエラにも、マーニーにも言われていた。
それでも、幼馴染でもあるスティは優しく包み込んでくれた。
でも、それはシャルティエの幼馴染だからであって、前世の意識の強い私ではない。
「じゃあお前は、前のシャルティエが戻る事を望んでいるのか?」
その質問には、しっかりと首を横に振った。
「そうではありません。ただ、シャルティエを受け入れて生きていく為には、忘れた物を取り戻さないといけないんです」
これじゃ他人の体を借りた居候のようなものだと、そんな違和感にずっと苛まれて生きていくのが少し心残りだった。
それに対して、誰に打ち明ければいいのだろうと悩んでいるうちに自然と彼に打ち明けてしまったのは、王太子として国の民である私に何かいい答えが降ってこないかと期待してしまったからなのかも知れない。
手に持ったままのクッキーを眺めながら心の内を明かすと、少し考えている様子だった。
こんな事を言われてもきっと馬鹿馬鹿しいと言われて終わるかも知れない。下手な答えが返ってきても怒らないようにしよう――そう決めた時、彼の口が動いた。
「――時間をかければ思い出すものではないのか?」
「……え?」
思ったよりもあっさりとした回答に呆気にとられ、手元の指の力が強まってポロポロとクッキーが崩れた。
慌ててそれらを掌に戻して少しずつ口に運び入れる。
「確かに、最初はお前は何者だと思った事もあった。しかし、それでもいま昔話をした時に昔を思い出して楽しかったと思える感情がある。それは本物だろう」
「そう、でしょうか……」
「前世の名前は、覚えているのか?」
その質問でふと自分の前世の名前を思い出そうとするが、モヤがかかったように思い出せない。
これも転生の影響なのだろうか?
過去の自分の個人情報は、随分とうろ覚えになった気がする。
時折思い出すこともあるが、本当に大したことじゃない物ばかりだ。
これもシャルティエとの定着の効果なのだろうかと考え、小さく首を振った。
「いいえ、名前は思い出せません」
「お前の前世がどんな物だったかはわからないが、随分思い入れがあったように見える」
「……え?」
更に思いがけない事に目が見開かれる。
そんな事、一度だって考えた事もなかったのだ。
前世は、気に入らない事があって、腹いせにスマホを開いて、文句を言ってやろうとして、そんな間に車に轢かれて二十六年の人生を早々に終えた。
きっと即死だっただろう。生い立ちなんて全然思い出せない。
両親の事も、今では辺境地に住むシャルティエの両親しか思い出せないが、前世はきっと会社が黒かったくらいで順風満帆な人生だったんじゃないかと思う。
だからきっと前の自分の事を考えてしまうんだろうか。
ゲームの世界に転生して、それが次の人生だとは頭で理解出来ても上手く受入れきれてなかったのはそれだったのかと思うとストンと胸の中にあるものが落ちた気がした。
それが分かると途端になんだか胸につっかえていた物が取れた気がして、目頭が熱くなった気がした。
「泣くな、お前は昔から泣き虫だったが……、これだと俺が泣かしている風に見えるだろう」
「あはは、そうですね。頑張って引っ込めます」
崩れたクッキーを口に入れると、チョコチップが口の中でゴロゴロとして、それがまた自分を刺激して耐え切れなくなってポロポロと涙が溢れてきた。
唇を噛んでこらえてもどうしても出てしまう涙を止められず、ポケットからハンカチを取り出して赤くならないように優しく抑えて涙拭った。
ほんの少しの間泣いた後、ふぅっと控えめに力んだ体から震えながら息を吐き出して落ち着く。
手でパタパタと顔を仰ぎながら、顔の熱を取り彼を見る。
相変わらず、整った顔立ちに眼福な気持ちになりつつ言い放った。
「はぁ……グランツ様。私を泣かせた罰として、私の事をシャルと呼ぶまでこの部屋から出さない事を決めました」
「なっ……!?」
「いいじゃないですか、私は幼馴染とは言え、スティとは違ってとても親密と言うわけにも行かないですし。立場上グランツ様をもう愛称で呼べませんけど、私の事をシャルと呼ばないとこちらの部屋にも来れなくなるわけですから、今言うのも後でいうのも同じですよ」
あまり暗い話を続けるのも私が耐えられない為、本題へと戻すと、ぎくりと嫌そうな顔になる。
そんなに、私を愛称で呼ぶのが嫌なのかこの野郎と思いつつ、クッキーを広げた包みを取り上げてにっこりと微笑む――早くしろとアピールをしてみる。
「……シャル」
「はい、グランツ様」
「……なんだか不公平だろうこれは」
「では、プライベートの時だけは私も呼びましょう」
「今すぐ呼べ」
「うっ……」
促されてから気付く。
思った以上に言われて呼ぶのは恥ずかしいという事に。
にっこりとした顔のまま硬直する私に、今度はグランツが頬杖をついてにやりと笑ってこちらを見つめてくる。
そう言えば、攻略の時も好感度がかなり上がると、クルエラに結構意地悪な事を言ったりしていたなと思い出す。
つまり少しSキャラなのだ。
スティには尻に敷かれているが、相手次第では態度が変わる。なんて恐ろしい男だ。
「ぐ、グラム……!」
「顔が真っ赤だぞ」
「もう! さっきすごい良い事言ってくれたのに、今ので見損なう所でしたよ!」
「はは、大丈夫だ。シャルはどんな人間になったとしても、それでも側にスティやクルエラも居るだろう。今のお前で上手くやれているんだから、他の誰でもいいわけではない。劣等感を感じる必要もないから気にするな。そういうものは時間が解決する」
流石は王族だ。良い事を言ってくれる
ありがとうと頭を下げると、グランツ――グラムは満足げに笑ってくれた。
掻き乱した事もあったけど、学園祭の実行委員会も上手く事が運んでいるような気がする。
それだけで少し自信がついた気がする。
思い出せない事はきっといつか思い出すし、忘れた事によって傷つけてしまうかもしれないけど、きっとそれも彼の言う時間が解決してくれるのだろう。
なんだか悩んでいた物が軽くなった気がして晴れ晴れとした気分になった所でチャイムが鳴り響いた。
しかし、帰り際に気になっていた事を聞いてみる事にした。
「あ、クリス様が変わってしまった原因が私だというのも教えてください」
「それはお前達の問題だ――とは言っても、シャルだけの問題……だろうな。それに振り回されたクリスがあぁなった。それ以外は俺もわからない」
つまり、私がシャルティエの記憶を取り戻さないと分からないという事かと肩を落とした。
グラムは、戸締りをすると私を女子寮まで送ってくれた。
窓から覗いていたスティがこちらを見てにこやかに手を振ってくれた為、大振りで返すとはしたないと怒られるから小さく同じように振り返した。
――その背後で、誰かが付けていた事に誰も気付かなかった。
2019/08/15 校正+加筆
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