第30話 草原の無邪気な天使


 その建物はトウモロコシ畑が続くひなびた未舗装道路の脇にあった。


 軟石で組まれた建物と尖塔、それに十字架。教会だ。俺は白い柵の傍にピックアップトラックを停めると、門から中へと入っていった。アプローチの途中で足を止め、花壇の花に見入っていると玄関の扉が開いて祭服を着た長身の人物が姿を現した。モーガン神父。二十年前までは凄腕の外科医だった人物だ。


「よう、こんにちは。……デイジーは?」


「いつもの丘にいますよ。あなたからの手紙が来てから毎日、あそこでぼんやりしています。早く行ってやってください」


「そうだな。そうするよ」


 俺は神父に礼を述べると、ひなぎくが咲き乱れる丘を上り始めた。丘の上には林檎の木が植えられており、その傍らにオーバーオールを着た少女がたたずんでいた。


「デイジー」

「……ゴルディ!」


 俺は口に人差し指をあて、片目をつぶってみせた。


「その名前を大声で呼んじゃだめだ、デイジー。人前ではあくまでも『テッドおじさん』で通してくれ」


「わかったわ、テッドおじさん」


 デイジーは蜂蜜色の髪を風になびかせると、無邪気な笑みを浮かべた。この十歳の少女は、かつて俺と同じ理想を追った友人の娘だった。友人は天才的な技術者であり、とある私設研究所で「ティアドライブシステム」の実用化を進めたていた。だがスポンサーが技術を兵器に転用しようとしたため、研究所を去って行方をくらましたのだった。


「ね、おじさん見て。この前まではあの枝に届かなかったんだけど、今は届くわ。この半年で背が十センチも伸びたの」


 デイジーは大きな眼鏡の奥で深い瑠璃色の瞳を輝かせた。この少女は知能指数が百九十五もある超天才で、国語と社会は赤点だが七歳で『ティアドライブ理論』を完璧に理解する頭脳を持っていた。


 俺が盗んだ金の大半は友人の願い通り、この少女を大学院に行かせるまでの資金にするつもりだ。それがティアドライブシステムを――悪魔の発明に加担した人間の一人である俺の宿命なのだ。


「ねえおじさん、この前、教会に変な男の人たちが来たの」

「変な人たち?」


「うん、黒い服を着て背が高くて、何も言わずに中に入ってきたの。神父様は私に隠れてなさいって言ったわ。それからその人たちと神父様はしばらくお話してて、帰った後もその辺をうろうろしてたみたい」


 俺は喋りながら花を摘む少女の横顔を見ながら、脳裏に浮かんだある可能性に戦慄した。


 ――奴らだ。奴らはとうとう、あいつの娘が生きていることを嗅ぎつけたのに違いない。


 友人は消息不明となった後、その技術を狙う連中に追われ始めた。一時は友人の物と目される死体が発見されたりもしたが、デイジーが超天才であることは俺と神父の他はごく限られた人間しか知らないはずだった。


――まずいな。いよいよ追っ手たちも彼女の頭脳に目をつけた、ということなのか。


 俺は夢中で花を摘む少女の横顔を見ながら、拳を握りしめた。もしデイジーの身柄が奴らの手に渡るようなことがあれば、人間らしい生活などたちまち奪われてしまうだろう。


 俺が来るのを指折り数えて待っている子を、悪人達に渡すような事があってはならない。


「どうしたの?怖い顔して……私なら大丈夫よ。変な人が来ても相手にしたりしないから」


「そうだな。お前さんもずいぶんと大人になったもんな」


 俺は強く頷くと、おとぎ話より難しい話を読んだことがない少女の頭を撫でた。 

「デイジー、また来るから、神父様や学校の先生の言うことを聞いていい子にしてるんだぞ」


「うんわかった。絶対また来てね。約束だよ」


「ああ、もちろんだ」


 俺がデイジーの差し出した指に自分のそれを絡めると、少女は眼鏡の奥の目を細めた。


「はい、これあげる」


 デイジーはそう言って今しがた摘んだ花でこしらえたばかりの王冠を、俺の頭に乗せた。


「ね、ひとつ聞いていい?」

「なんだい」


「この前、学校の先生が「あんまり遅くまで遊んでいると盗賊に攫われるぞ」と言ってたの。でも私、本当はちょっと盗賊になってみたいんだ。……おじさんはなれると思う?」


 少女の無邪気な問いかけに、俺は思わず目を見開いた。


「ああ、なれるとも、簡単だよ。だがな、それは学校の勉強をちゃんとやった後だ。盗賊だってそれなりの修行を積まないとなれないんだぞ」


「ふうん、そうなんだ。……私、盗賊って何となく好き。格好いいもの」


 俺はデイジーに微笑みかけると「さあ、そろそろ教会に戻ろう」と言った。


「しかしお前さんも、色々な物に憧れる年になったな」


 俺は肩をすくめると、少女の手を握った。


          ※


 「来たんだな、あの連中が」


 おれがおそるおそる質すと、神父は神妙な表情で「ええ」と頷いた。


「もう少し後かと思っていましたが……思ったより早くここを嗅ぎつけたようです」


「……で?どうするつもりだ?」


「連中もそうそう、彼女を拉致するとかいった目立つ行動には出ないでしょう。しばらくはこのまま向こうの出方を見るつもりです」


「そうか。……デイジーをよろしく頼むよ。あんたしか彼女を任せられる人がいないんだ」


「わかっています。私の力が及ぶ範囲であの子の身を守るつもりです」


「頼む。あの子だけがこの分断された世界を救う唯一の希望なんだ」


 俺の言葉に神父は厳しい光を目に宿したまま、無言で頷いた。


          〈第三十一回に続く〉

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る