一釣さんと新入社員
季節は新年度を迎えた。
特に大きく何が変わったと言う訳ではないけれど、この季節になると気が引き締まる。
それまで下っ端だった社員たちにも後輩と呼ばれる新入社員がやってくる。
イベント部にも、新入社員が2人配属されることになった。
「あーっ!」
「何で、あんたがここにいるのよ!?」
新入社員は男が1人で、女が1人である。
その2人が1人ずつ紹介する…と言うはずだったのだが、彼らは何故かお互いの顔をあわせたとたんにそんなことを言いあった。
えっ、どうしたの?
あたしはもちろんのこと、ここにいる全員も訳がわからなかった。
「お前、何でここに入社したんだよ!?
しかも同じ部署って…」
「それはこっちのセリフよ!
あんた、頭がいいんだから今すぐに転職しなさいよ!」
「いや、お前が転職しろよ!」
彼らはギャーギャーとケンカを始めた。
…何だ、この状況は。
課長は突然ケンカを始めた2人にオロオロしている。
「ちょっと、ここは会社よ!?
ケンカするんだったら外でやってくれる!?」
そう言って彼らを止めたのは、女の方の教育係を担当することになったカイちゃんだ。
カイちゃんにケンカを止められた2人はフンと、お互いの顔から目をそらした。
さすが、大家族一家で育っただけのことはある。
ケンカを止めるのは朝飯前と言った感じだ。
「ほら、自己紹介をしなさい」
カイちゃんに促されて、
「大和千鶴(ヤマトチヅル)です」
女の方の新入社員――大和さんが自己紹介をした。
彼女はセンター分けにしたストレートの黒髪と一重の切れ長の目が特徴的な子だ。
まるで日本人形のようだと、あたしは思った。
「芦田尊(アシダタケル)です」
もう1人の男の方の新入社員――芦田くんが続けるように自己紹介をした。
彼はフワリと整えられた黒髪に、三白眼の目が特徴的な子だ。
こう言っちゃあれだけど、なかなかクセがすごい社員が入ってきたなと思った。
「えーっと…以上を持ちまして、本日のミーティングを終了します」
課長が言って、ミーティングが終了した。
大和さんはカイちゃん、芦田くんは矢部さんと言うあたしの2年先輩の男性社員のところに行った。
ふうっと、あたしは息を吐くと自分のデスクに腰を下ろした。
カイちゃん、大変だろうな。
と言うか、大和さんと芦田くんは知りあいなのかな?
ずいぶんと仲が悪そうだけど、何か因縁みたいなものがあるのだろうか?
昼休みを迎えた。
「まほろ、一緒に食べよー」
カイちゃんが声をかけてきたので、
「うん、いいよー」
あたしは返事をすると、デスクから腰をあげた。
「私もご一緒していいですか?」
そう声をかけてきたのは大和さんだった。
「いいよ、一緒に食べようか。
まほろ、いいよね?」
「うん、いいよ」
そう返事をしたあたしに、大和さんはありがとうございますとお礼を言ったのだった。
あたしたちはオフィスを後にすると、社員食堂へと足を向かわせた。
「今朝のミーティングを見て思ったんだけど、芦田くんと知りあいなの?」
あたしは大和さんに今朝から気になっていることを聞いた。
「いわゆる、腐れ縁と言うヤツです」
大和さんは、それはそれは面倒くさそうに答えた。
「腐れ縁?」
そう聞いたあたしに、
「もう腐れ過ぎて腐れ過ぎて、今すぐに切ってしまいたいくらいですよ!」
大和さんはやれやれと言うように息を吐いた。
…これは、マズいことを聞いてしまったかも知れない。
そう思ったあたしに、
「どうやら、芦田くんとは家が隣同士の幼なじみらしいの」
カイちゃんが言った。
「幼なじみなんだ…」
「幼稚園や小学校はもちろんのこと、中学校も高校も、そのうえ大学まで芦田くんと一緒だったんだって」
「ひぇーっ」
何だかすごいな。
「しかも就職することになった会社も一緒で、そのうえ同じ部署って…。
もう本当に腐れ過ぎているにも程がありますよ!」
大和さんはもううんざりだと言うように言ってきた。
「今日まで知らなかったの?」
そう聞いたあたしに、
「全く知りませんでした!」
大和さんは強調するように答えた。
「あーあ、何で社会に出てまであんなヤツと顔をあわせなきゃいけないんだか!」
大和さんがそう言ったのと同時に、社員食堂に到着した。
券売機の前に立つと、ずらりと並んでいるメニューを眺めた。
今日は何を食べようかな?
そう思っていたら、
「相楽さん…でしたよね?
何かオススメってありますか?」
大和さんが声をかけてきた。
「えっ、あたし?」
と言うか、何であたしにそんなことを聞いてくるんだ?
「貝原さんに聞いたんですけれど、相楽さんは相当なまでに料理が上手だとおうかがいしましたので」
大和さんはエヘヘと笑いながら言った。
「ちょっと、カイちゃーん」
あなた、大和さんの教育係でしょうが。
そう思いながらカイちゃんを呼んだら、彼女はテヘッと舌を出して笑った。
「だって、こう言うのってまほろの専門じゃん」
「専門って…」
意味がわからないんですけど。
「とりあえず、オススメを教えてあげなよ。
昼休みが終わっちゃうし、待っている人もいるんだし」
カイちゃんにそう言われて後ろに視線を向けると、すでに何人か並んでいた。
「もうー」
あたしはメニューに視線を向けると、
「よく食べるのは五目ラーメンかな」
と、言った。
「じゃあ、それにします♪」
大和さんはそう言うと、五目ラーメンのボタンを押した。
「まほろは何にするの?」
そう聞いてきたカイちゃんに、
「あたしは親子丼にする」
あたしは答えると、親子丼のボタンを押した。
カイちゃんはいつも食べているチキンカレーにすると、あたしたちはカウンターへ行くとおばちゃんに食券を渡した。
「へい、お待ち」
「ありがとうございまーす」
あたしたちは頼んだメニューを手に取ると、空いているテーブルの方へと向かった。
カイちゃんと大和さんが並んで一緒に座って、その向かい側にあたしは腰を下ろした。
「いただきまーす」
両手をあわせて言った後で、食事を始めた。
大和さんは五目ラーメンをすすると、
「美味しいです!」
と、嬉しそうに言った。
「ホント?
それはよかった」
あたしは返事をすると、親子丼を口に入れた。
うん、美味しい。
「こんなことを聞いたら失礼かも知れないですけれど、貝原さんと相楽さんはおつきあいをしている人がいるんですか?」
大和さんが聞いてきた。
「えっ、それ聞いちゃう?」
その質問に1番驚いたのはカイちゃんだ。
「社内恋愛の1つや2つくらいあるかな、なんて」
エヘヘと笑った大和さんに、
「あのねー、会社は恋愛するところじゃなくて仕事をするところよ?
恋愛がどうとか言っているくらいならば、まずは仕事をして…」
そう解説するカイちゃんだけど、頬はほんのりとピンク色に染まっていた。
「カイちゃんね、経理部の末次さんって言う人とこの間からつきあっているの」
「コラ、まほろ!」
そんなカイちゃんをからかうように言ったら、案の定で怒ってきた。
でもピンク色の顔で怒られてもたいして怖くない。
「えっ、そうなんですか!?
どんな人なんですか!?
どっちからつきあおうって言ったんですか!?
デートしたんですか!?
手を繋いだんですか!?」
大和さんは目をキラキラさせて、芸能レポーターよろしくと言うようにカイちゃんに質問した。
女の子って、本当に恋の話が好きだよね。
「もう、聖徳太子じゃないんだからそんな1度に聞かないでよ…」
質問されたカイちゃんはやれやれと言うように息を吐いた。
「ねえ、教えてくださいよー。
私、気になって午後から仕事ができる自信がありません」
「じゃあ、気にしなければいいじゃないの」
「嫌です、教えてください」
「と言うか、まほろもまほろで何ちゅーことを言うのよ。
助けなさいよ」
助けを求めてきたカイちゃんに、
「あたしだって聞きたいんだもん。
カイちゃん、詳しいことを教えてくれなかったから」
あたしはそう言い返すと、親子丼を口に入れた。
そんなことをしていたら、
「相楽さん」
聞き覚えのある声に視線を向けると、一釣さんだった。
「隣、座っていい?
時間帯も時間帯だから、どこも満席で」
そう言った一釣さんに、
「いいですよ」
あたしは隣の椅子を引いて、彼に座るように促してきた。
「ありがとう」
一釣さんはお礼を言うと、あたしの隣に腰を下ろした。
テーブルのうえに置かれたのはたぬきそばだった。
「いただきます」
一釣さんは両手をあわせると、そばをすすった。
こうして彼があたしの隣に座ったのは、『スケキヨ』の初来店以来だなと思った。
あの時はまだつきあっていなかったけど。
「一釣さん、助けてくださいよー」
カイちゃんは一釣さんに泣きついた。
「えっ、何?」
一釣さんは訳がわからないと言った様子で、カイちゃんに聞き返した。
「大和さん、カイちゃんと末次さんの恋の話が聞きたくて仕方がないんですって」
あたしが説明をしたら、
「あー、それに関しては俺も聞きたいかも」
一釣さんが言った。
「えーっ、一釣さんまでー」
味方をしてくれると信じていた一釣さんにも裏切られ、カイちゃんはガックリと肩を落とした。
「何か意外ですね」
そう言ったのは、大和さんだ。
それに対して首を傾げた一釣さんに、
「一釣さん…ですよね?
そう言うのに興味がないんだろうなって思ってました」
大和さんは言った。
「興味がないって…」
そんなことを言われた一釣さんは困った様子だ。
興味がないように見えますけれども、意外にも食いつくタイプなんですよ。
あたしは心の中で呟くと、丼を持ちあげて親子丼をかき込んだ。
彼女であるあたししか知らないその事実に、口が笑いそうになったからだ。
持ちあげた丼をテーブルのうえに置いたら、
「相楽さん」
一釣さんに名前を呼ばれた。
「何ですか?」
そう聞き返したら、
「ついてる」
自分の頬を指差して、一釣さんが答えた。
「えっ?」
頬に手を当てたら、
「反対」
一釣さんの手があたしの頬に伸びてきたかと思ったら、ご飯粒を取った。
「あ、ありがとうございます…」
一釣さんの手が触れた頬に自分の手を当てると、あたしはお礼を言った。
頬が熱く感じるのは、あたしの気のせいだと信じたい。
「お父さんと娘、って言う感じですね」
そう言った大和さんに、
「えっ?」
一釣さんは聞き返した。
あっ、これはちょっと怒ってる。
表情は特に変わらないけれど、雰囲気からして彼がちょっと怒ってることを理解した。
恋人同士になると相手の喜怒哀楽が雰囲気だけでわかるから不思議だ。
「さり気なくサッと相楽さんからほっぺのご飯粒を取ったんですもの。
彼氏彼女と言うよりも、お父さんと娘ですよ」
「ちょっと、大和さん!」
カイちゃんが大和さんをたしなめるけど、時すでに遅しである。
「へえ」
うわっ、マズい…。
一釣さんの怒りがさっきよりも増した。
と言うか、お父さんと娘って…。
一釣さんの方が背が高いですし、しっかりしていますし、あれの時はとんでもない肉食狼ぶりを発揮するうえに絶倫ですし。
まあ何にしろ、この人はあたしの彼氏なんですが。
「そんなことを言われるんじゃ、ねえ?」
一釣さんがそう言って、あたしに同意を求めてきた。
ちょっと待て、あたしはどうすればいいの!?
ねえ、これははっきりと言った方がいいですか!?
彼氏ですって、ちゃんと伝えた方が安全ですか!?
「もう、それくらいにしなさい!
2人がかわいそうでしょ!」
怒りを向けられて戸惑うあたしにカイちゃんが止めてくれた。
「はーい」
大和さんは不服だと言うように返事をした。
「もう少しで昼休みが終わっちゃうし、早く食べよう。
2人共、本当にごめんね?」
彼女の代わりに謝ったカイちゃんに、
「いいよ」
一釣さんは返事をした。
「あたしも、いいよ」
続けてあたしが返事をしたことを確認すると、すぐに食事に取りかかった。
ああ、助かった…。
何ちゅー昼休みだ…。
親子丼はすっかり冷めてしまっていたが、やはり美味しかった。
「ごちそうさまでした」
同時に食事を終えて椅子から腰をあげたら、
「相楽さん」
一釣さんに声をかけられた。
「はい」
あたしが返事をしたら、
「この後、資料室の方でお手伝いをお願いしてもいいですか?
3年前の見積書のファイルが欲しいと、ここへくる前に課長に頼まれてしまいまして」
一釣さんが言った。
「いいですよ、わかりました」
あたしは返事をすると、カイちゃんと大和さんに視線を向けた。
「そう言うことだから…」
そう言ったあたしに、
「わかった、先に戻ってるね」
カイちゃんは首を縦に振って返事をした。
食堂の前でカイちゃんと大和さんと分かれると、あたしと一釣さんは資料室へと足を向かわせた。
「さっきはごめんね」
あたしは一釣さんに声をかけた。
「あたしもはっきりと言えばよかったよね。
光也はあたしの彼氏で、あたしとつきあっているんだとそうはっきりと言えばよかったよね」
やれやれと息を吐いたあたしに、
「あの小娘、なかなか侮れないな…」
一釣さんはそんなことを呟いた。
「えっ?」
何の話?
と言うか、小娘って…。
それ以前に一釣さんが今までにないくらいに怖いんですが…。
マンガだったら“ゴゴゴ…”って言う効果音が出てきそうなんですけど…。
「大和さんが侮れないって、何が?」
そう聞いたあたしに、
「彼女はなかなかの曲者だ」
一釣さんが答えた。
「意味がわからないんですけど…」
曲者って何だ、曲者って。
「口説き落とした結果、まほろは俺の彼女になったんだ」
「いや…だから、何の話?」
何故だか闘志を燃やしている一釣さんがよくわからない。
「絶対に負けない」
「…何が?」
もはや、どこにどうツッコミを入れればいいのかよくわからないよ。
「あっ、資料室につきましたよ」
「んー」
あたしたちは資料室へと足を踏み入れた。
資料室のドアを閉めると、
「まほろ」
一釣さんに名前を呼ばれた。
「はい」
返事をして一釣さんの方に視線を向けたら、彼はそれまでかけていた眼鏡を外した。
「光也、ここは会社…」
資料室とは言え、ここは会社なので誰がくるのかわからない。
「無理」
そう返事をした彼の精悍な顔が近づいてきて、
「――ッ…」
唇が重なった。
先ほどの食堂の件もあるので、ここは彼の気の済むままにしてあげようと思った。
唇が離れると、
「――今日は何も言わないんだ?」
一釣さんがそう言って、あたしの顔を覗き込んできた。
二重の切れ長の目に見つめられたせいで、あたしの心臓がドキッ…と鳴った。
「…食堂でのこともあるので」
あたしがそう言い返したら、
「へえ」
一釣さんはまた唇を重ねてきた。
すぐに唇が離れると、
「早く目当てのものを探しますよ?
あんまり遅くなるとあれなんで」
あたしは言った。
「探し物が終わったら、またキスをしてもいい?」
「…早く探しますよ」
そう返事をしたあたしに、一釣さんはクスクスと笑いながら眼鏡をかけた。
こう言うのを“惚れた弱み”と言うんだろうなと、あたしは思った。
まじめで無口で、いい意味でも悪い意味でもぬぼーっとしているこの人が好きなのだ。
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