スマイリィ・ウィッチ、トナ村先輩

織倉未然

第1章

第1章 (1)

 屋上に出ると魔女がいた。

 箒にまたがって宙に浮いているのだから、魔女に違いなかった。

 大きすぎる三角帽子に、はためくマント。

 ピザの紙箱を膝の上に置き、伸びたチーズと格闘していた。

 逆光のせいもあって、彼女は全身黒ずくめに見えた。けれども、僕には彼女の瞳の色がちゃんとわかった。それまでの人生で見てきたどんな色より綺麗な色。影の中でも輝く魅力がそこにはあった。

 実のところ、瞳の色がはっきりとわかるほど、彼女は目を見開いていたのだ。

 魔女は僕を見て驚いていた。

 正確には、 ことに気づいて、固まっていた。

 彼女を乗せた箒はそのまま宙を滑っていき、そして貯水槽に直撃した。見惚れていたせいで気づかなかったが、なかなかの速度があったらしく、箒から落ちたのだろう、ドタドタという音が聞こえた。彼女の姿は消えていた。


 固まっていたのは僕も同じだ。

 ハッと我に返る。

 箒にまたがって飛んでるなんて、そんなのありえるのか。

 幻覚か、と思う。この歳で? いや歳は関係ないか。寝不足、変なものを食べた、思春期ゆえのストレス……色んな理由を並べてみるが、どれも決め手に欠ける。というか、できれば自分の頭は疑いたくない。

 だったら方法は一つだった。

 この目で確かめるのだ。

 僕は貯水槽の方に近づいた。校舎に続くもう一つの出入り口には鍵がかかっている。なんでそんなことを確認したんだろう――ここから逃げたとは思われない。大丈夫。見上げると金属製の円柱に大きな凹みができていた。確かに何かがぶつかった痕がある。ここで僕はちょっと胸をなで下ろす。何かがいたのは間違いなかったのだ。

 問題は、それが何か、だ。

 壁に背をつけ、呼吸を整えてから、勢いよくその向こうを見る。

 誰もいない。

 それどころか、ピザの欠片も落ちていなかった。

「マジで?」

 思わず口に出してしまう。百歩譲って幻覚を見るにしたって、魔女なんか見るだろうか。しかもピザを咥える緑の目の女の子。そういう性癖は僕にはないはずなんだけどな……。ひょっとして目覚めてしまったのか? そりゃあ、男子高校生たるもの、覚醒イベントの一つや二つ、中学時代から継続的に待ち望んではいるけどさ。それがまさか、新たな性癖とはね。

「はぁ……」と僕は深いため息をつく。そんなもの、これからどう向き合っていけば良いんだ。「あんな綺麗な目、しばらく夢に見るぞ」

「げほっ」

 誰かが噎せた。

 ぎょっとしたし、さっと青ざめた。ちょっと今のは見られたくなかった。聞かれたくなかった。かっと耳まで熱くなる。しかしその場を逃げるわけにもいかなかった。口封じ、それか少なくとも、目撃者の正体だけでも掴んでおく必要がある。内なる秘密を知られるわけにはいかないのだ。

 僕はさっと辺りを見回した。

 誰もいない。

 しかし今度ばかりは安心できなかった。立ち入り禁止のこの屋上で、挙動不審なこの姿を吹聴されでもすれば、かけて二倍はマズい。ここに来る可能性があるとすれば、まずは天文部。あるいは教師。それとも外部の人間。いずれにしても、鍵は一つしかないはずだ。だったら残る可能性は――幻覚の正体。

 姿を消したそいつを知覚すべく、僕はもう一度大きく息を吐き、それから胸いっぱいに吸い込んだ。


 春の空気に混じって、ピザの匂いがした。


「やれやれ。探し物かい?」

 上から声が降ってきた。

 僕は振り返って、またも見上げる。貯水槽の横に、一人の少女が立っていた。

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