第47話 夜の世界⑥
悲鳴のひとつも上がらなかった。
――あんなの天幕じゃない。
アルシノエは立ち竦んだまま動けない。
そもそもこれは現実なのだろうか。
これは実はただの悪い夢で、アルシノエは歩いているうちにいつの間にか眠ってしまったのではないだろうか。いや、それすらも夢で、本当のアルシノエはまだハルカナの見守るテントの中で、それも夢で、ホントのホントのアルシノエはきっとまだ、家族が眠る履帯船の中で幸せな眠りについているのだ。
きっとそうだ。
だから早く起こして。
この怖い夢から目を覚まして!
どさっ。
重い足音。
アルシノエはすべての感覚がマヒしたように硬直したまま、ぎこちなく上を見上げる。
ぞっとするほど柔らかな光が灯る。
照らし出されたのは、もうひと張りの天幕――を被って、あちこちから触手の手足を生やした、ファイバ。
そして、アルシノエは見た。
そいつが被るその天幕は、
人のように見えた触手がまとっている衣服は、
触手があちこちにぶら下げている鍋は、
背嚢は、
ナイフは、
首飾りは、
ゴーグルは、
頭巾は、
サボットスラグ銃は、
あれは、
あれは、
あれは、
ぜんぶ、
ウルティオ・アイルの仲間のものだった。
「――あああああああああっ!!」
アルシノエは、絶叫した。
心が、とうとう砕け散った。
天幕の入り口が開く。
そこはファイバの捕食器官になっていて、その奥は夜の闇のように真っ暗だった。
このまま飲み込まれてしまえばいい、とアルシノエは思った。もう誰もいないのなら、自分もこのまま飲み込まれてみんなと一緒のところに行けばいい。もう、それしか、みんなと会える方法はないのだから。
真っ暗な闇が迫る。
アルシノエは目を閉じる。
そして、
突然の衝撃が横から来た。
アルシノエはわけもわからないままめちゃくちゃに転がって、でも思ったほど痛みはなくて、身体が止まったとき、誰かに抱き締められていることに気付いた。
だれ?
そんなはずはない、と思うが、同時にそれしか考えられない、とも思う。
アルシノエは呆然と目を開ける。
目の前にあるその顔は、
ハルカナ。
別れたはずの、テントに置いてきたはずの、アルシノエの方から裏切ったはずの、
ハルカナの姿が、そこにあった。
アルシノエと目があった途端、ハルカナの顔がみるみる歪み、
「ぶぶぶ無事ですか平気ですかケガないですかっ!? どこも痛くないですか痛いときは手を挙げてくださいませっ!」
心配を通り越してまるで怒ったように叫び、大慌てで立ち上がってアルシノエも引っ張り起こして身体中をべたべたと触る。
されるがままのアルシノエは、
「……なんで……」
そのひと言を口にするので精一杯だった。
しかしその「なんで」は、ひと言では到底語り尽くせないたくさんの意味が込められた「なんで」だった。
なんでハルカナは、裏切ったはずのアルシノエを助けに来たのだろう。
なんでハルカナは、この真っ暗な闇の中で、どこへどのくらい行ってしまったのかもわからないはずのアルシノエを助けにこれたのだろう。
なんでハルカナは、生きることを諦めてしまったアルシノエなんかを助けてしまったのだろう。
なんで。なんで。なんで――
たくさんの「なんで」が、たったひとつしかないアルシノエの口から溢れ返った末の、ひと言だった。
「お話しはあと」
アルシノエの無事を確認し終えたハルカナが、すっと離れた。
アルシノエはその顔を見上げる。ハルカナはなんでもないような調子で、
「いまはあの、気色悪い奴ら倒してきますので、ここで待っててくださいませ。すぐに帰って来ますから」
「あっ……」
アルシノエはなにか言わなきゃいけないと思った。
「?」
ハルカナが疑問符を浮かべてアルシノエを見直す。
何を言わなきゃいけないと思ったのだろう。アルシノエはしばらくハルカナを見つめながら言葉を探して、結局は、多分一番言いたかったこととは別のことを口にした。
「……あのね、ノビリオルが、あいつに喰われたの。でね、あの天幕とか、あいつらが持ってるもの、ぜんぶウルティオ・アイルのなの」
ハルカナは、何も言わずに黙って頷いた。
それから二体のファイバに向き直る。
ハルカナは丸腰だった。
アルシノエは思い至る。ハルカナの武器のあの剣は、ノビリオルが持っていったことに。そのノビリオルは、すでに喰われてしまったことに。
アルシノエは叫ぶ。ほとんど涙声で。
「ハルカナごめんね……っ。ハルカナの剣、ノビリオルが持ってっちゃったの……っ。持ったままたぶん喰われちゃったの……っ。ハルカナごめんね……っ」
ハルカナがちらりと振り返った。微笑みを浮かべて。
「へいきへいき。大丈夫」
そしてハルカナは二体の天幕被りのファイバへ向けてゆっくりと歩き出した。
もう、アルシノエにできるのは見守ることしかない。
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