「stargazer」

熊翁

第1話 車輪の星①

 七番目に旅立つ彼女に与えられた名は、ハルカナという。


 もちろん型式番号もちゃんとある。あるにはあるが、数字とアルファベットとハイフンを十ばかり並べた味も素っ気も可愛げもないそれは記録上にさえ存在していればそれで十分で、開発者たちでさえそのロボットのことはハルカナと呼んだ。

 ハルカナという名が示す通り、そのロボットは女性型だ。世が世なら中学校に通っていそうなくらいの少女の姿をしている。名前に使われている言語と同じ東洋系の顔立ちで、千以上に及ぶサンプルに平均値という呪文をかけた容姿は黙っていても人目を引くほどになった。

 しかし、どんなにシャクヤクボタンの可愛らしさでも、その人工皮膚を一枚捲れば現行の主力兵器も真っ青の魔法のようなテクノロジーが詰め込まれているのだ。

 骨格の素材に採用された炭素と窒素の重合体は最近ようやく生成に成功したばかりの最先端中の最先端技術で、ダイヤモンドが可愛く思えるくらいの硬度を誇るとんでもない代物だ。リミッターを外せば四桁の馬力を叩き出すことも可能な正副二つの反応炉は理論上エネルギー変換効率百パーセントの空想科学のような物質を食い物にしている。本物と見分けが付かないくらいのツヤツヤの黒髪の中には電波送受信用のアンテナ髪だって装備している。三つの副思考野とひとつの中枢野を持つハルカナの人工神経回路網は恐ろしく優秀で、ハルカナはその気になれば人間と変わらないくらいの感情を表すことだってできる。嬉しければ花が咲いたように喜ぶし腹が立てばプリプリ怒る。哀しいときは萎れたように項垂れるし楽しいときには声を立てて笑うことさえできるのだ。

 ハルカナには、人類が今持てる最高の技術と、不完全の危険性を孕んだままの革新的なアイディアと、使えるかどうかもわからない過去の繁栄の残りカスのような機能がありったけ詰め込まれた。

 たったひとつの目的のために。


 方舟計画。


 名称に捻りを加える余裕さえ失った人類による、瓦礫と鉄屑とそこに潜むものどもが支配する大地からの、人類救出計画。

 その第七次、そして最後の実行者として、


 ハルカナはひとり、


 およそ三万六千キロメートル下の地球へ行く。


 ◇◇


 無作為な電子のやり取りがハルカナにいっぱいの好奇心をくれた。

 ハルカナはとにかく知りたがりで、まだ各種センサー内蔵中枢管理殻と動力郭――つまり頭部と胴体しかない頃から周りの人間を質問攻めにした。

 あのっ、あのっ、それはなんですかっ?

 ……超小型3フェイズインダクションモータ。

 照明の半分が消された薄暗い研究室にいるのは大体いつもその若い技術者ひとりで、大体いつも黙々とハルカナよりもロボットっぽく部品の組み立てを行っていて、大体いつもハルカナの話し相手になっていて、大体いつもハルカナの質問にも必要最低限の言葉でしか答えてくれない。

 あのっ、それはなんですかっ?

 ……誘電エラストマーアクチュエータ。

 とはいえ、ハルカナはまったくめげずに繰り返す。

 あのあのっ、ゆうでんえらすとまあくちゅえーたってなんですかっ?

 ……電場で伸縮する熱硬化性樹脂。人工筋肉になる。

 えとえとっ、それっていまなにを作ってるんですかっ?

 ……右部マルチロールマニピュレータ。ハルカナの右腕。

 若い技術者が誤差の範囲で収まるくらいほんのちょっとだけハルカナの方に押し出してくれた部品は、人の腕によく似た形をしていた。

 ハルカナの疑問は尽きない。

 そのあのっ、どうしてハルカナは人型なのですかっ?

 ハルカナの目的は人類を救い出すこととはいえ、地上での戦闘も当たり前のように想定されているはずだ。であるならばこのような見るからに頼りない華奢な機体ではなく百二十ミリ滑腔砲の直撃にも耐えうる逞しい装甲やどんな悪路もものともしない不屈の多脚無限軌道や千ミリの鉄板だって紙のように貫通できる超電磁の主砲やそれらすべてを支える魔神の如き巨体であった方が良いのではないか、ということをハルカナは聞いているかもわからない若い技術者の横顔に向かってしどろもどろになりながら主張した。

 その間一度も組み立て作業を中断することのなかった若い技術者は、やはり手を止めることなく言う。

 ……人を怯えさせないため。あと人間用の装備も使えるように。

 ハルカナが女の子の姿なのも?

 ……それは、教授の趣味だと思う。 ……多分。

 きょうじゅ、って、だれですか?

 ……開発チームの一番偉い人。

 あの、じゃあ、技術者さんは何番目くらいですか?

 ……多分一番下。

 じゃあじゃあ――

 こうしたやり取りをハルカナは完成されるまで飽きもせずに続けた。若い技術者はそんなハルカナに嫌な顔ひとつせず、そもそもほとんど表情を変えることすらなく、最後まで付き合ってくれた。

 ハルカナが歩き回れるようになるころには一般人に混じって生活しても違和感なく過ごせるくらいの常識は身に付けていたし、とりわけ『メガホイール』については若い技術者の偏った知識のおかげでバカみたいに詳しくなった。

 いまのハルカナは、この『メガホイール』が直径一・五キロメートルの、名前の通り車輪の形をした宇宙ステーションであることも、一分間に一回転しながら静止衛星軌道上を秒速三・一キロメートルで公転していることも知っている。人工重力が一Gの八十三・六七パーセントしかないのも始まりは二十世紀末のひとつの小さな実験用モジュールだったことも今よりもっと内側の軌道を回っていたことも教えてもらった。『メガホイール』それ自体がひとつの研究機関で、今はもうその半分近くの区画が閉鎖されていて、人の数も一番多かったときの三分の一くらいまで減ったこともちゃんと聞いた。

 若い技術者は最後に、地球からでも条件が合えば『メガホイール』はマイナス二等くらいの明るさで見えるはずだから、と教えてくれた。

 地球に降りたら毎日探そう、とハルカナは回路に刻み込んだ。

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